五章 獅子令嬢と町の花娘(1)

 美男子と出会い、情熱的な恋愛を経て結婚する、という流れは、年頃の少女ならば誰もが夢見るものだ。すっかり結婚適齢期を過ぎてしまったマーガリーも、幼少期の頃は、他の少女達と同じような憧れは持っていた。


 王族に継ぐ人気物件は、もちろん侯爵家のクリストファーだろう。


 容姿端麗で思慮深く、柔和な笑みは分け隔てなく優しく、それでいて騎士団に入団した頃から誰よりも最強と謳われた男だ。彼の妻に、と夢見ない女はいなかった。


 二十歳にして婚約者もないクリストファーは、むさ苦しくもなければ、相手の歳に関係なく礼儀正しい。侯爵家の一人息子でもあり、将来は立派に家を継ぐ姿も容易に想像がつき、彼を狙っている女性も多くいた。


 マーガリーも、騎士見習いだった頃は少しだけ夢を見たものだが、それは、次第に純粋に強さへの憧れに変わっていった。クリストファーは、どんなに褒められても驕ることなく、「自分にはまだ強さが足りない」のだと先を見据え、努力を重ねていたからだ。


 その頃には強くなっていたマーガリーも、男性と並んで、国を守りたい方に気持ちが傾いていた。



 英雄候補――現在は英雄となっている彼には、多くの有名な話がある。



 特に、幼馴染の少女の件に関しては、彼の逆鱗とまでいわれていた。クリストファーの逆鱗に何らかの形で触れたらしい、赤薔薇の騎士団が、当時十七歳だった彼に壊滅させられた話も有名だ。


 彼が、怪我をさせてしまった責任感ばかりで、幼馴染の少女のもとへ通っているだけではないらしい事は、彼と親しい者ならば口を揃えて語る話だった。マーガリーは、滅多に笑わない指導教官から陽気にそれを聞かされた時、なんとなく納得してしまったのだ。


 指導教官が語ったクリストファーは、幼少の頃は持った才能も錆らせるほどの、泣き虫な男の子であった事だった。


 弱かったせいで町の子供達に守られ、怪我一つなく生還を遂げた事で意識が変わった彼は、戦う事への恐れを一切捨て、血を吐くような訓練を進んで受け、行ったのだという。


 彼の外見ばかり見ている女性達は、幼馴染らしい少女について悪い噂を立てた。


 けれど、マーガリーは「これからちょっと行ってくる」と菓子を持って出ていく彼の姿を遠目に見た時、ああ、本当に彼女の事が好きなんだな、と思わされた。彼は他の女性を妻には迎えもしないだろう、と。


              ※※※


 年頃のトキメキも感じなくなってくると、異性を冷静な目で見られるようになる。槍使いで名が知られ始めた頃、マーガリーは、クリストファーが笑顔の下に隠した過激な性格を正確に理解した。


 以前から噂を聞くたび、怖いところがある男なのだなとは思っていたが、幼馴染の女の子がすごく大事であるせいだろうと、自分の中で美化して目を瞑っていた部分もある。逆鱗に触れなければ、とても良い同僚ではあるのだが、その起伏の激しさには「うーん、大丈夫かしらね」と悩ましくも思う。


 叩きのめされた者、破壊された現場で巻き込まれた者、寸前のところで一命を取り留めた者の話を聞きながら、マーガリーは、彼らになんと言って良いのかも分からなかった。


 そもそも、騎士団の男達は、異性との接点が少ないから下心も多いのだ。


 どうやら、クリストファーの幼馴染を見にいった強者もいたらしく、その件でクリストファーを怒らせた者が大半だった。しかし、懲りない男達の中では年々、その少女についての噂も強く大きくなっていった。


 彼らの話によると、クリストファーの幼馴染は少々変わっていて、髪は短いのだそうだ。


 平民の中でも、短髪にする風変わりな女性をマーガリーも見た事がなかった。それでも、その少女は目を引く美人ではないのだが、怒った顔も笑った顔も、まるで花が咲くような魅力的な可愛らしさがある、とは聞いた。


 両親を失ったその少女は、『町の花娘』として住民達に愛されているようだ。


 幼さが抜け始めてからというもの、更に町の住民達のガードが硬くなっているのだと、見回りの騎士が残念そうにこぼしていた。ちょっとした口説き文句も言わせてもらえないし、デートに誘うチャンスもまるでないのだそうだ。


 英雄の幼馴染は、少年の恰好ぱかりしているらしい。


 あの少女に、それなりの格好をさせてみたいものだ、とこぼした者もいた。最近十六歳になった英雄の幼馴染は、可愛らしさの中に、不思議と線の細い美麗さも感じさせるようになって来たらしい。


 ふと見せる表情には品が窺えて、もしかしたら将来は、精霊族のような美しい女性になるのかもしれない、とうっとり思い返す者もいた。全体的に華奢で、どこもかしこも細い少女だから、どんなドレスも着こなしてしまうだろう、と……



 ――後日、そうこぼした男達が全治一ヶ月の怪我を負って療養休暇を取ったが、黙秘を貫いた彼らの相手は、容易に想像がついた。



 マーガリーにとっては、そういった話を耳にすることはあっても、彼女自身は相変わらず恋愛や情愛といった世界とは無縁だった。


 嫁ぎ先に困るのであれば貰ってやってもいいぞ、という気心知れた友人はいたが、彼女は仕事が楽しかったから困ってもいなかった。


 二十代中盤を超え、半ば諦めていたせいでもあるのかもしれない。


 幼い頃の熱い胸のトキメキも忘れ、男所帯の騎士団ですっかり免疫がついた事もあって、マーガリー自身にそういった希望はなくなっていた。爵位は弟が継ぐし、自分は貴族の女性として、父がいずれ用意するだろう政略結婚の相手と結婚すればいい、と楽観もしていた。



 だから、先程の走り込みの途中で、初めてもらったラブレターとやらに彼女は酷く混乱した。



 ルイに「初めて書いた『ラブレター』なんだ」と、いつもの完璧な微笑と共に手渡されたが、マーガリーはそこで思考が止まり、何も答える事が出来ないまま逃走した。


 思わず全速力で騎士団支部に戻り、一体どういうことだろうかと尋ねるべく、周りの部下達に事情を説明すると、「普通のラブレターじゃないですか、それが何か?」「露骨なアプローチだったでしょうに」と特に驚きもされなかったのだった。


              ※※※


「……団長、これは果たし状でも、魔族部隊への勧誘でもないという事かしら」

「だーかーらー、れっきとした恋文だろうが」


 彼女の上司である団長のクラバートは、何度目かも分からない返答をして、何本目かも分からない煙草を吹かした。


 プライバシーの関係もあって、――魔王に殺されてしまう可能性も考え――手紙の文面は見ていないが、だいたいの内容を聞かされれば察せる事だった。クラバートは、魔王ルイが今度は、ラブレター作戦に出たのだろうと容易に推測していた。



 マーガリーは、日課である走り込みから戻って来てから、ずっとこの調子だ。



 普段なら戻り次第汗を流し、非番であろうが、緊急事態に備えて几帳面に騎士団の制服を着込んでいるというのに、今のマーガリーはトレーニング着のまま、執務室のソファに座り込んで動かないでいる。クラバートは休憩にも出れず、彼女の相手に付き合わされていた。


 うん、勘弁して欲しい。腹が減って、ピークに達しているんだが。


 クラバートは、もう一時間もこの押し問答が続いていることを思った。空腹過ぎて、ついでの書類処理をやる気も起こらない。


「団長。この手紙に陰謀や、策略といった可能性は?」

「……あのな、どんな文章かは聞かせてもらったけど、それは好きな女を口説いているだけなんだって。俺だって結婚するまでは、必死に口説いて褒め殺して、時には土下座も――」

「つまり、あの魔王陛下は、私の事が好きだというの?」

「あんだけアプローチされて気付かなかったのかッ?」


 クラバートは、逆に驚いてしまった。完璧な彼女が、恋愛面に関して初心だとは意外な一面である。てっきり彼の想いを知ったうえで、魔王からの甘い言葉を一刀両断していたと思っていたからだ。


 マーガリーは混乱したまま、再び手紙を茫然と眺めて「だって」とうろたえた。


「私、一度も『好き』だなんて言われてもいないのに……」

「いやいやいや、言葉にしなくても分かるだろ」

「そんな素振りもなかったのに……」

「いつも露骨に愛想を振りまいてたろうが!」

「駄目だわ、頭が回らない」


 クラバートの話を聞いていないのか、マーガリーが、唐突に思い立ったように腰を上げた。


 嫌な予感を覚え、クラバートは呑気な面構えを顰めた。彼女は優秀な部下だが、頭が固すぎるのか、その行動力が斜め上へそれる事があるのだ。



 マーガリーは数秒ほど頼もしい顔で考え込んだ後、一つ頷いて手紙をポケットにしまった。その様子を見ていたクラバートは、彼女の中で、何かしら次の行動が決まったのだろうと察した。



「取り乱して申し訳ありませんでした、団長。シャワーで汗を流してから、少し外出します」

「あのさ、お前、今日はずっと非番だから別に申告の必要もないんだが……」

「失礼致します」


 話しも途中だというのに、マーガリーは早々に退出して行ってしまった。


 クラバートは、目先で閉まった扉を見つめたまま、行動の予測が掴めない部下を思い、不安な面持ちで「大丈夫かねぇ」と煙草を灰皿に押し潰した。


 とりあえず飯を食うのが先だ。悩むのも考えるのも、その後だと決めて、彼も重い腰を上げた。

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