三章 若き魔王の初恋(5)

 図書室の窓沿いの席で、午後の柔らかな暖かさを覚えながら、ティーゼはテーブルに突っ伏していた。


 魔王の屋敷にあった図書室は、高価そうな本の帯が壁一面の棚にずらりと並んでいた。完全にプライベートな別荘として機能しているせいか、滑らかな手触りをした長くて白いテーブルが部屋の中央に鎮座している他は、すべて膨大な本で埋め尽くされている。


 書籍の一部は、前国王夫妻からの贈り物らしい。



 それは、やけに恋愛をメインとした書物が多かったのだが、ティーゼは「何故だ」と納得がいかない。



 本人が無自覚だろうと、ティーゼから見れば、ルイは女性を褒める事に優れている。しかし、恋がそうさせるのか、いざ手紙として書こうとすると言葉選びに悩みだしたのだ。


 愛しのマーガリー嬢を言葉で表すなんて、とルイは惚気のような事を言い始めた。ティーゼは、ルイに協力すべく、マーガリー嬢に送るに相応しい愛の言葉を探そうと、ルチアーノと手分けして多くの詩集本を見繕い開いていったのだが……



 図書室に来て一時間以上が経過したが、数十枚の便箋を駄目にしたが、ルイの手紙はまだ完成していない。



 さぞモテるらしいルチアーノに関しては、確かに言葉選びは素晴らしかった。しかし、彼は「とはいえ、陛下はご自身が贈るに相応しいお言葉をお探しでしょう」と、もっともらしい言葉で、助言を早々に諦めていた。


 悩む上司を脇目に、ルチアーノの、愛の詩集に目を通す姿も様になるのが悔しい。暇を覚えると、冷ややかな嫌味を口にするのも忘れない腹黒宰相と、女性を褒める賛美の言葉を一生分聞き終えてしまったような疲労感に、ティーゼは打ちのめされた。


 この一時間の苦労を思い返すと腹が立って来て、ティーゼは、テーブルに顎を乗せたまま、ルチアーノの涼しげな横顔を憎らしげに睨みつけた。


「……ルチアーノさんは、ロマンの欠片もないですよね」

「ロマンがなくとも跪く雌は多々います」

「あ~、冷たくあしらわれて喜ぶ系のお姉さんですか」


 魔族の女性は、気丈なタイプが多い。ギルドのマリーが良い例で、ティーゼは容易に想像がついてしまう自分を悲しくも思った。


 ルチアーノが「やれやれ」と眉を潜め、手に持っていた詩集本を閉じた。


「あなたは免疫がなさ過ぎますね。もう少し勉強なさった方がよろしいのでは?」

「愛を囁かれることに慣れろと? その言葉の裏で考えている腹黒さを、先程ルチアーノさんに聞かされたせいで、ロマンチックの真意が余計に分からなくなったばかりなんですが」


 これでも私だって、乙女としてそういう事に理想は少なからず持っているんです、とティーゼは心の中で呟いて、深々と溜息を吐いた。


              ※※※


 ティーゼが机に突っ伏し、ルチアーノが愛には関係のない本を引っ張り出して読み始め、しばらくが経った頃、何百枚もの便箋を駄目にしたルイが、唐突にこう呟いた。


「出来た」


 待っていたその言葉を聞いて、ティーゼは、ガバリと顔を起した。


 目を向けた先には、自分一人で完成させた手紙を、念入りにチェックしているルイの姿があった。先にルチアーノが「手紙は文章が多ければいいものではありません」と説明してくれた甲斐もあって、手紙は二枚の便箋に収められている。


「うーん、もうちょっと字がきれいに書けるかもしれない」


 仕上がりに少々不満をこぼし、ルイが新しい便箋を引っ張り出して書き写し始めた。


 ティーゼは、向かいから彼の手紙を覗きこんだ。便箋には、丁寧で読みやすい字が並んでいた。


「ルイさん? あの、完璧なラブレターだと思うのですが……」

「中央のココとか、僅かにずれているだろう?」


 たった一つのラブレターに、そこまで求めるのか。


 ルイの意気込みには絶句しかけたが、真剣な顔で手紙を模写する様子を見ると、「マーガリー嬢はそこまではチェックしないと思う」とは言ってやれず、ティーゼは頬杖をつき、ルイの作業を見守るしかなかった。



 太陽はすっかり傾いてしまっており、結局、町の観光すら出来ていなかった現実を、ティーゼはぼんやりと考えた。



 この町に物珍しいものはないにしても、唯一にある食堂で夕飯は食べたい。そして、シャワー付きの宿でぐっすり眠りたい。


 本当は「もう帰っていいですかね」と声を掛けたかったが、ルイが集中して便箋に向き合っている間は無理だとも悟っていた。声を掛けた拍子に字がずれたらと思うと、怖くて実行に移せない。


 彼が書き終えたら、すぐに声を掛けよう。


 ティーゼはそう考えて、片頬をテーブルにあてるように突っ伏し、向かいにいるルイが便箋にペンを走らせる音を聞いて過ごした。



 それにしても、彼は本当に、マーガリー嬢が好きなのだろう。初対面で見知らぬ人間を巻き込むほど、どうにかして彼女との距離感を縮めようと頑張っているのだと思うと、今日一日が無駄になってしまった事も、心からは怒れないような気もしていた。



「ルイさんは、本当に一生懸命ですよねぇ……それに比べると、ルチアーノさんは、もう少し努力しないと独身のままだと思います」

「はて、身に覚えがありませんが。どんな努力が必要だというのです?」


 当然のように言い返され、ティーゼは顔を上げて、ルチアーノに半眼を向けた。


「その無駄な腹黒さと自尊心に目を瞑って、相手に優しくしてやれって事ですよ」

「そんな価値がある相手であれば申し分ないのですが、今までそういった女性は目にしたことがありません」


 ルチアーノは本を閉じると、口角を薄く引き上げてこう言った。


「私や陛下より美しい女性が、この世に存在するとお思いですか?」

「…………うん、そういう風に考えちゃうんですね。だから、そういうところが頂けないんですってば」


 こいつは駄目な方の残念な美形だ。


 いや、美形だという自覚があるのも問題だが、ルチアーノの自信は一体どこから来るのだろうか。やはり、種族間の違いのせいか?


「くそッ、性質の悪い美形め……。ハッ、まさかとは思いますが、全女性にそんな態度で挑む訳ではないですよね?」

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