三章 若き魔王の初恋(4)

「あの……、お会い出来てないんですか?」

「今回の討伐に関して、魔族は参加していないからね。ほら、魔力を解放した僕らを見ても、人間側には敵か味方かの違いが難しいじゃない? もしもの場合は、僕達も力を貸すつもりでいたんだけど、人間だけであっさり勝っちゃったみたいだから喜ばしいよ」


 あれ、妙だぞ、とティーゼは首を捻った。


「えぇと、ルイさんは、祝典の時は城にいらっしゃったんですよね? 確か、魔王と国王と英雄と姫様が揃っていたから、すごく盛り上がったと聞きましたが……」


 ティーゼは、パレードで幼馴染の無事は確認したものの、城の方までは行かなかった。英雄が城に到着し、国達の挨拶が始まった時は、既に酒屋のどんちゃん騒ぎに加わっていたためスピーチも全部は聞けていない。


 城では王族と英雄、そして今回の働きに携わった魔法使いや剣士などが揃い、そこには勿論、魔王の姿もあったと噂で聞いている。昼食会も開かれたというぐらいだから、魔王と英雄は、しばらく同じ空間にいたはずなのだ。



「祝典には参加したんだけど、英雄がどこにいるのか分からなくて」



 ルイは残念そうに微笑んだが、ティーゼは、思わず片頬を引き攣らせていた。


 国民の前で、国王が英雄を紹介する場面は、絶対にあったと思われる。しかし、そのタイミングでルイ本人が、他の何かに気を取られていた可能性が脳裏を過ぎった。


 ティーゼは会ってまで少ししか経っていなかったが、目の前にいる呑気な魔王が、英雄の姿に気付かなかった場面が容易に想像出来て、上手い返し言葉がすぐに思いつかなかった。


「えぇと、あのですね、ルイさん。例の英雄ですが、多分、すごく近くに居合わせてはいると思うんですよ」

「そうなの? ルチアーノは、英雄を見た事はある?」

「……何度か、お顔は拝見した事があります」


 魔王の優秀な部下は、うまく言葉を濁した。


 やはり祝典で言葉は交わさなかったものの、同じ場所に居合わせていたのだろう。真面目に考えると疲労感が込み上げて、ティーゼは淑女らしかぬ頬杖をつくと、クッキーを口に放り込んで無心で咀嚼した。



「なるほど。陛下に対して免疫があるのは、英雄を近くで見ていたせいですか」



 しばらく思案していたルチアーノが、相変わらず私情の読めない冷ややかな目をティーゼへと向けた。


「そういえば、あなたのファミリーネームは『エルマ』ですか?」

「そうだけど。え、何それ気持ち悪――」

「甚だしい勘違いです。リーバス侯爵家の英雄クリストファーには、平民の幼馴染があると聞いていたものですから」

「噂になっているんですか!?」


 ティーゼが慌てて問い掛けると、ルチアーノは僅かに眉を寄せた。


「何か都合の悪い事実でも?」

「いや、その、悪い噂じゃなければいいなぁと思っただけでして……。ん? もしかしてあれか。交友関係が広いから、それで私の名前もチラリと上がっていたとか、そういう感じですか?」

「そのようなものです」

「なぁんだ」


 ティーゼは、思わず胸を撫で下ろした。年頃の貴族男性にとって、不利になるような噂でも立っていたら早急に手を考えなければならないところだ。



 英雄である幼馴染の名前は、クリストファーといった。


 彼は、平民であるティーゼの友人達にも、愛称の『クリス』を呼ばせるほど心の広い男だ。



 他の少年達は大人になるに従って、早々にクリストファーと呼ぶようになった。ティーゼも、愛称呼びが親しい間柄だけだと教えられてからは、『クリス』とは呼ばないよう気を付けている。


「クリストファーは、昔、遊んでいた私達の中に飛び入り参加して来た男の子だったんです。女性に対する礼儀意識が強すぎるせいで、今もよく家に来ていると言いますか……」

「貴族でなくとも、傷跡一つで嫁のもらい手がなくなる事も少なからずありますから」

「庶民は半々だと思いますけどね。そんなには大きくなかったんですけど、結構ざっくり切れちゃいましたから、それでびっくりしていた感じではありました」


 自然と声を掛けられたティーゼは、流されるまま答えた直後、ふと我に返った。



 こいつ、今なんて言った?



 ぎこちなくルチアーノを見れば、彼は涼しい顔で紅茶カップを持ち上げていた。そばで話しを聞いていたルイが、少し驚いたようにこちらを見つめている。


「ティーゼ、怪我したの?」

「いやいやいやッ、昔の話しですよ。今は寒くなっても痛みませんし、痕だって目立たないんです」


 ティーゼは慌ててそう答えたが、優しい魔王が、ますます心配そうに目を細めた。


「人間の女性で髪が短いのも珍しいよね。男の子みたいな恰好をしているのも、怪我と関係があったりするの?」

「しないですッ、全然ないです! 私は昔からこんな感じでした!」

「綺麗な髪なのに勿体ないよ。まるで精霊が舞っているみたいに柔らかそうで、つい触ってみたくなるよ。ねぇ、ルチアーノ?」

「陛下、その無自覚な色気をマーガリー嬢に向けて下さい」


 ルチアーノがまともな指摘したが、ルイは、実際にティーゼの髪を触って感触を確かめ始めてしまい、聞いていなかった。


 ティーゼの髪が想像通りの柔かさであると満足した後、ルイは、マーガリー嬢への想いがどれほどのものなのか語り始めた。それは口を挟むタイミングが見付けられない饒舌さで続き、ティーゼは、堪らずルチアーノへ助けを求めた。



 それから数十分ほどの時間が過ぎるまで、ルチアーノは、当然のようにティーゼの視線を無視した。



「陛下。想いを手紙にしたためてみるという手もあります」


 ルイが同じ話題を繰り返し語り始めた頃、ルチアーノがそう提案した。


 口で言えないのなら、紙に文字を起こすのは名案だと思えた。ティーゼは問題解決を察し、相談役は撤退の頃合いだろうと考えて、「じゃあ、私はそろそろ帰りますね」と言い掛けたのだが、ルイが台詞をかぶせるようにこう告げた。



「それは良いね。女性の意見も聞けるし、早速書いてみようか。ね、ティーゼ」



 魔界一と謳われる魔王ルイの、麗しい美貌に微笑まれて、ティーゼは断るタイミングを完全に失ってしまった。

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