三章 若き魔王の初恋(6)
「前半の愚痴、しっかり聞こえていますよ。私も相手はきちんと選んで対応していますし、勿論、場もわきまえています」
「……あれ、おかしいな。むしろ私だから遠慮がなくて当然だ、っていう風に聞こえるんですけど」
何この温度差、おかしくない?
ティーゼが真剣に悩み出した時、手紙の清書を終えたルイが、顔を上げてにっこりと微笑んだ。
「ルチアーノは女性に人気があるよ。気配りも出来るし、こう見えて複数愛を持たない上級魔族種だから、たくさんの求婚希望書が城に届くんだ。だから、マーガリー嬢に関しては色々と助言をもらっているんだよ」
ルイは疑わない目でそう言ったが、ティーゼとしては、ルイが相談相手を間違えているとしか思えなかった。恋の台詞一つで十の嫌味を語れるルチアーノほど、女性の敵はいないと思うのだ。
とはいえ、ティーゼは言葉を胸の内に留めて「そうですか」とだけ相槌を打った。ルイもようやく手紙を完成させた事だし、退出してもいい頃合いだろう、と前向きに考える事にする。
「無事に手紙は仕上がったことですし、私はこれで――」
「うん、次はどうやって手渡せばいいのかを一緒に考えようか」
ルイが、満面の笑顔で言い放った。手渡す事を想像すると緊張で心臓がどうにかなってしまいそうで、どうしたら一番自然な流れで渡せるだろうか、と爽やかな微笑みで悩みを語る。
ティーゼは、しばし愛想笑いのまま硬直していた。
空気を読まずにマーガリー嬢に話し掛ける度胸がありながら、手紙一つ渡せないというのは、おかしくないだろうか。
「ルイさん、手紙なんて普通に手渡せばいいんです。挨拶して、去り際にちょろっと渡すだけですッ」
「そうですよ陛下、プレゼントや花束を贈る時と同じで問題ありません」
「うーん、プレゼントと手紙は全然違うじゃないか」
「いやいやいや、プレゼントの方が緊張すると思います!」
思わず立ち上がってしまったティーゼは、ふと、問題の早期解決のため提案してみる事にした。
「プレゼントに手紙を挟んで渡せばいいんですよ、ほらすごく簡単でしょ! これで解決、もうばっちり本番に臨めますね!」
「ラブレターは、個別でちゃんと手渡しした方がいいと、本に書いてあったよ?」
「くそッ、ロマン小説か!」
ティーゼは、前国王夫妻が贈ったというロマン小説コーナーを睨みつけた。確かに、そのような内容が書かれていた小説を見掛けたような気もするが、現実世界でそんなルールは聞いたことがない。
若干の空腹も覚えてもいたので、ティーゼとしては早々の退散を希望していた。
この町に到着してから、クッキーしか口にしていない。
「ルイさん、大丈夫です。まずは普通に声を掛けて、ちょっと談笑した後に、それとなく手紙を渡せばいいんですよ。ルチアーノさんの言う通り、プレゼントと同じ要領です、ちっとも怖くありませんッ」
「でも、突然手渡されたら困らないかな?」
「同じ女性として言わせてもらいますが、世間話のついでに『どうぞ』と優しい笑顔で渡されて、嫌に感じる人はいないと思います。ルイさんの笑顔ならいけます!」
マーガリー嬢も本心からルイを嫌っているわけではなさそうなので、恐らく、警戒はされても、受け取るぐらいはしてくれるだろう。
ティーゼが自身たっぷりに頷いてみせると、ルイもようやく自信が戻って来たのか、笑顔を浮かべて大事そうに手紙を整え、封をした。宛て名に「愛しい人へ」と書き記し、後ろには「魔王より」とペンで記す。
「不安がおありなら、プレゼントの時と同様に、練習してみては如何でしょうか? 時間と場所を事前に想定しておけば、陛下に限って失敗という事はあり得ないでしょうし」
二人の様子を傍観していたルチアーノが、ふと、そう言った。
ティーゼは、聞き間違いだろうかと数秒考え、聞き間違いであって欲しいと思いながら彼に視線を向けた。
「……もしかして、プレゼントの時も、渡す練習とかしていたんですか?」
「光栄ながら、大きさの違う箱を、陛下から手渡される練習台を務めさせていただきました」
ルチアーノが淡白な声で答え、含むような目をティーゼに返した。
出会い頭から続いている巻き込まれる感じを思い起こし、ティーゼは嫌な予感がして、早々に退出しようと勢い良く立ち上がった。
「では私はこれで失礼しますねッ。お腹もすいたことだし、それじゃあさようならマーガリー嬢にうまく手紙が渡せるよう祈ってます!」
最後は一呼吸で言い切り、図書室の出入り口まで駆けて扉に触れた瞬間、ひんやりとした大きな手に、肩をガシリと掴まれた。
数時間前とは違い、その手にはまるで優しさがなかった。掴まれた肩が、ぎりぎりと痛むほどの強い怨念を感じて、ティーゼは、捕獲される小動物の心境で硬直した。
「うわぁ、デジャブ……」
「いくらなんでも、男同士で手紙を渡す練習はしないでしょう? 陛下の相手を務められるのですよ、光栄に思いなさい」
ティーゼは、ぎぎぎ、と首だけをぎこちなく動かして、ルチアーノを振り返った。
「か、勘弁して下さい。他に使用人さんとかいるんでしょう? 私の事は通りすがり――じゃなかったか。えぇと、ギルドの依頼を済ませただけの人って事でスルーして下さいよッ」
「現在この館に女型の使用人はおりませんし、陛下があなたの世話になったのは事実ですので、こちらで夕食と寝室を無償で提供させて頂く考えでもあります。ちなみに、部屋にはコンパクトながら手作りの温泉もありますので、ご希望があれば――」
「手紙の件、協力させて頂きます」
温泉なんて滅多に利用できるものじゃない。
ティーゼは、素早くルチアーノの手を握った。魔族としての体質なのか、真っ白な彼の手は、ひんやりとして冷たかった。
「食後には温泉に浸かってもいいですか」
「欲望に正直な方は嫌いではありませんよ」
薄ら暗いやりとりが成立したところで、ルチアーノが早速、ティーゼの泊まりの件について許可を取るべくルイに伝えると、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「いいね、友達を別荘に招いて食事して泊まらせるなんて初めてで嬉しいよ。あ、夜は枕投げでもする? 人間はそれが好きなんでしょう?」
「ルイさん、私は一応女性なので、それはちょっと頂けないかと」
「そうですね、仮にもコレは女であるらしいという残念な事実がありますので」
「ルチアーノさんは一言多いです」
屋敷の主人の許可が出たところで、ティーゼの一泊が決定したのだった。
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