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美空は家の横の路地にいた。気にならないくらいの細かい雨が降っている。

美空は、いつのまにかレインコートを着て長靴を履き、ランドセルを背負っていた。

猫の声に振り返ると垣根の前に美空と同じくらいの歳ごろの女の子が立っていた。

探し物をしているようだ。なんとなく見覚えのある子だと美空は思った。


女の子は美空に気づくと「手紙がないの」と呟いた。

くるりと身をひるがえして走りだす。

美空は追いかけた。女の子は美空の家の門を入っていくと、乱暴に玄関扉を引っ張った。


「ほらね、だれもいないの。急なお出かけのときはいつも、お母さんが垣根に手紙をつけてくれるはずなのに」


女の子は拗ねたように頬を膨らませてから「どうしちゃったのかなあ」と心配そうな顔をした。


美空はレインコートのポケットに手を忍ばせた。

玄関では女の子がまた扉をガチャガチャと引っ張っている。


「ごめんなさい!本当にごめんなさい!」


美空はポケットからしわくちゃになった手紙を出した。


「枝についているのをみかけて、気になって、つい・・・。でも中は見てないわ」


女の子は美空の手から手紙をひったくるようにとると、美空の顔をじっとにらみつけてきた。美空はじっと見つめ返した。

身長は同じぐらい。肩あたりで切りそろえられた髪、黒目がちの大きな目。長袖の薄いトレーナーにジーンズをはいている。水色のスニーカーはきれいで、ぐずついた天気だというのに雨にぬれた様子も泥で汚れた様子もなかった。

どこかで見覚えがあるような気がする。それにしてもどうしてうちに入ろうとしているのだろう。


「あんた誰?」


女の子は、腰に手をあて、美空に言った。


確かに手紙をとったのは悪かったけれど、人に名前を聞くのなら、まずは自分で名乗るべきではないのかと美空は内心むっとした。しかも、うちの玄関を乱暴に開けようとしているこの子に、簡単に自分の名前を教えてなんかやるものか。


「あなたの方こそ誰?なんでうちに入ろうとしているの?」


美空の問いに、女の子は大きな目をますます見開いて突っかかってきた。


「なんですって?ここは私の家よ。ほら表札を見て。阿形。私は阿形美丘」


今度は美空が目を見開く番だった。

阿形は確かにおばあちゃんたちの苗字だ。美空の苗字は父親の苗字なので阿形ではない。いとこか親戚だろうかと考えを巡らせる。お母さんは一人っ子だからいとこではないだろうが、おじいちゃんの兄弟の孫とかがいるのかもしれない。でもこんなに年の近い親戚なら、今まで会わなかったことの方がおかしい。まして同じ町に住んでいるのであればなおさらだ。


「あがた みおか。みおか。」

 

口の中でつぶやきながら考え込んでいる美空を、美丘は怪訝そうにのぞき込む。

美空はふいに頭に差し込むような痛みを覚えた。


どこかで見覚えがある。この子。

確か、そうだおばあちゃんちの居間の茶箪笥の上にある写真立てだと美空は思った。


「思い出した・・・。私、あなたの事知っているわ」


美空は思わず言ってしまった。ますます怪訝そうに顔をしかめる美丘を前にして、美空の口は止まらなくなった。美丘のことについて、頭に浮かんだことが次々と口から飛び出してきた。


「コーヒーが好き。

スイートポテトづくりがうまい。

海で一緒にシーグラス拾いをした。

無理言ってぬいぐるみの洋服を作ってもらった。

仕事で忙しくてたまにしか授業参観に来てくれなかった。

寝る前にいつも布団をかけてくれた」


考える間もなく次から次へと口をついて出てくる言葉。美丘は首をかしげながら、それでもじっと耳を傾けてくれていた。美空も、自分が何を言っているのか、わけがわからなかった。まだ、言葉は止まらない。


「そして、そしてあの日、習い事からの帰り道だった。

とても風が強い日で、雨が降り始めていた。

人通りの少ない踏切の途中で、動けなくなっているおばあさんを見つけた。」


おばあさんは強風にあおられて転倒したらしかった。

カートや手提げ袋が散乱していた。

カンカンカンと警報音が鳴り始め、遮断機が下り始めた。


「美空は先に踏切を出て」


自分が口にした言葉のあと、美空は一瞬頭が真っ白になった。

何も聞こえない。

頭の中のクリプティックスがくるくると回りだす。


「あなたは、おばあさんを助けおこそうとしていた。

その時、電車が・・・。」


美空は話しながら、心臓をぎゅっと抑えた。震えが止まらなくなった。

そうだそうだったと思った。だけど、いくらクリプティクスを合わそうとしてみても、記憶はそこでぷっつりと途切れている。


じっと話を聞いていた美丘は、はっとした顔をした。

少女の顔はゆらゆらと歪んで、みるみる大人の姿になり、困ったような顔をして美空を見つめた。


「美空、ごめんね。私、死んじゃったのね」


つぶやくと、ふっと、霧雨にまぎれるように消えていなくなった。


「おかあさん!」


美空があわてて呼びかけた時、玄関の扉が開いて、おばあちゃんが顔を出した。


「美空おかえり。さっきじいちゃんが帰ってきて、間違って鍵閉めちゃったもんだから。入れなかったね。ごめんね」


おばあちゃんは美空が泣いているのに気づいて、あたふたと駆け寄ってきた。


「おかあさん、おかあさん、おかあさん」


お母さんが帰らぬ人となってから、これまで一滴たりとも出なかった涙が一気に溢れて、後から後から美空の頬を流れ落ちた。 

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さまよい人 あじみうお @ajimiuo

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