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その夜、美空は影を見た。

皿洗いをしている美空の足もとに、じっとうずくまっている影だった。最初、靄のようだったそれは、だんだん黒くはっきりしてきて、膝を抱えてうずくまる人の形になっていった。

気味が悪くなり、美空はじりじりとダイニングテーブルまで後ずさった。目が離せずに見ていると、ふいに音もなく影がぬうっと伸びるみたいに立ち上がった。

そして、小さい前ならえのような姿勢で固まると、すすすと前に進みだした。

人影は足も使わず滑るみたいに美空の横を通り過ぎ、ダイニングテーブルの周りを半周すると、その先の食器棚に吸い込まれるようにして消えた。


叫ぼうにも声が出せずに、うろたえていると、流しの下から次々と影がいくつも湧き出してきた。伸び上がり、先ほどと同じ姿勢で固まると列になって食器棚に消えていく。

美空はなんとかして逃げ出したかったが、行列は途切れる様子がなかった。

囲まれているため、逃げるには列を横切るしかない。  

そこにいるのに耐えきれず美空は動いた。


ところが行列を突っ切ろうとした途端、口の中いっぱいにがさがさした銀紙を食べたようないやな感じが広がって、身動きが取れなくなった。

ふわりすすすす・・・身体が勝手に進んでいく。

影と同じ格好で行列にぴたりとおさまり、すすすと前に進んでいく。

美空はどうすることもできないまま、みるみるうちに影と共に食器棚に吸い込まれていった。


下から風が吹きあげてきた。上下に伸びる煙突のような空間の壁面に細い石段がらせん状に連なっており、いつのまにか行列はその石段を上っていた。どうせならこの石段こそ、ふわり、すすすす・・・とやってほしいところなのだが、石段は裸足で一歩一歩登らなければならなかった。しかも少しでも立ち止まろうものなら、後ろの影に追い抜かされる。追い抜かされるのは構わないが、影が美空をすり抜ける時に、銀紙を食べたような嫌な感覚に襲われるのが耐えられなかった。美空は必死になって上空の光を目指して登っていった。


あんなにがんばって高く高く登ったのに、気付くと美空はまた、流しの下からぬっと出て、キッチンを進んでいた。さっきとまったく同じようにダイニングテーブルをまわり食器棚に吸い込まれていく。

まるで不思議絵の階段のようだった。登っても登っても同じところにたどり着き、行列は止まらない。不思議と疲れはしなかったが、同じルートを繰り返すたびに、美空は自分が列になじんでいくのを感じていた。


流しの下から出た後は身動きが取れず、食器棚の中では身体は動くが必死に階段を上るだけ。

嫌だ、このまま影になんかなってたまるものかと、美空は階段を登りながら必死に辺りを見まわした。

気になってはいたのだが、階段の途中にぽつりぽつりと扉がある。影に抜かされるのを覚悟で、見つけた扉を手当り次第に開けようとした。

しかしどれも鍵がかかっていて開かない。


すり抜けていく影の、嫌な感覚にも麻痺し始めたころだった。

足もとに猫のためのくぐり戸のついた扉を見つけた。

すがる思いでドアノブに手をかけるが、開かない。

ところがその時、くぐり戸がゆらりとあいて見覚えのあるシャム猫が顔をのぞかせた。こちらだというように目配せをする。


美空は猫が引っ込んだくぐり戸を持ち上げて覗き込んだ。

とたんに猛烈な風が巻き起こり、美空はくぐり戸から外に吸い出された。

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