5.雪山とジーンズ
父の日当日。
百合が原公園のそばにある『芹菜ママご自宅』にふたたびお邪魔をする。
今日は寿々花が車を運転、拓人だけを乗せてでかける。
いつも将馬と岳人パパと一緒、四人でおでかけが当たり前。二人だけでどこにでかけるのかと聞かれるとやっかいなので、寿々花は母の遥と一緒に作戦を立てた。
父からゴルフへ行こうと誘うようにお願いをすることにした。
岳人パパはもともとゴルフにも興味があったので、すっかりその気になって乗り気に。将馬はそれこそ『上官の交流に付き添うのも仕事』のため、元から上官とゴルフに出かけるのは当たり前。本人もスポーツが大好きなので『お義父さん、久しぶりですね』と楽しそうにでかけていった。
北海道の六月は、森林部の雪が溶けてやっとアウトドア活動がしやすくなる季節でもあって、短い夏の始まりでもある。すぐに雪が降り始める季節がやってくるのでいまのうちに行こうと父が押しに押してくれ、若い父親二人を説得。『父の日だし、父親だけで行こう行こう』とでかけていった。
岳人パパも将馬も、心の奥では『拓人を置いて大人だけで楽しむなんて……』という戸惑いもあるようだが、そこは寿々花と母の遥がヨイショする。
『帰ってきたら父の日パーティーをしましょう。ご馳走は妻チームが作るから楽しみにしていて。たっくんは妻チームに入ります』と大袈裟に笑い飛ばして、さりげなく拓人をぶんどった。
拓人も『ぼく、遥ママとすずちゃんと買い物行っておいしいものたべてくる』と、用意してたお断り文句で父親たちを制してくれた。
なので、今日は本当に『父の日』。男同士、気兼ねなく大人の男だけで楽しんでくればいいと送り出した。
男たちが朝早くでかけた後は、寿々花と拓人も活動開始。
百合が原公園そばの神楽教官宅まで訪ねる。
今回の依頼を快く引き受けてくれた芹菜ママが、いつもの優美な物腰のよさで出迎えてくれた。
「たっくん、また来てくれて嬉しい」
「こんにちは、芹菜ママさん、今日はありがとうございます」
「ふふ、お行儀いいわね。かわいい」
白髪ボブカットの初老女性だが、年齢を感じさせない愛らしさを持っている方だった。
寿々花が初めてお会いした時、既に義足をはめた状態で普通に歩行をしていた。義足を装着していることなど、言わなければまったくわからないほどのお姿だったが、聞けば少し前まで常に車椅子で過ごしていたとのこと。そう聞かされ驚いたことを思い出す。
拓人も初めて、自動車事故で足を失い義足をしている人を目の前にして、最初は戸惑って岳人パパのそばから芹菜ママを伺っていたほどだった。
片足がない人が怖いのではなく『どうおはなしをしたらいいのか。普通におはなしできるか』と怖々と聞いてきたらしい。もちろん優しい岳人パパのこと、『他の人と変わらないよ。ほら、ちゃんと歩いている。でも、歩けるようになるまでいっぱい困って、いっぱい哀しい思いもしたんだよ。でも他の人と一緒に見えるようになったことが嬉しかったと思うよ。他の人と一緒に見てもらうことがいちばん嬉しいと思うよ。遥ママと一緒だと思ったらいいよ』と、柔らかに諭していた声を寿々花もそばで聞いていた。
それからだった。急に拓人が『芹菜ママ』と呼んで、芹菜さんがびっくりして、でも嬉しそうに拓人とお喋りを始める。
『拓人くんが来ると聞いて、ママ、ケーキを焼いてみたのよ』
出てきたケーキにはチヌークをかたどったクッキーが乗っていたので、拓人は大興奮。すっかり芹菜ママと慣れ親しんで、楽しそうに食べていたことも寿々花は思い出す。
だから今日も拓人は遠慮なく、義足をして出迎えてくれた芹菜ママの隣に並んで歩いて行く。
玄関からリビングに入ると、この日は神楽教官と、芹菜ママの息子『広海さん』も在宅していた。
「お、拓人君。来たな。教官、待っていたよ」
「いらっしゃい、拓人君。おじさんも今日はちょっとお手伝いさせてもらうな」
拓人がリビングにキッチンをキョロキョロと見渡した。
「今日はユズちゃんいないんだね」
日曜日で皆がいると思ったようだった。
そこは『ユズちゃん』の夫である広海が答える。
「ユズ、今日は荻野のお店でお仕事の日なんだ」
「あ、そっか。お店はお休みの日も開いているんだもんね。広海おじちゃんは荻野の仕事お休み?」
「うん。今日は芹菜ママ、俺の母さんのアシスタントをするからお休みしたんだよ」
「広海おじちゃんもお菓子作れるの?」
「んー、どちらかというとお菓子のアイデアを出したり、売ったりしたりするほうが得意かな~。今日は芹菜ママのお買い物のお手伝いをしてきたんだ」
芹菜ママに似た優しいハンサムさんと言いたくなる息子さんが、拓人をキッチンへと連れて行く。
既にケーキをつくる材料と調理器具が揃っているので、拓人の目が輝いた。
「広海おじちゃんが車を運転して、一緒にお買い物をして準備してくれたのよ。まずは、レンジャーのバッジのデザインをしましょうか」
ケーキ作りの下準備をしましょうと、芹菜ママの声で拓人も寿々花もダイニングテーブルにおじゃまする。
そこで待機していた神楽教官が拓人と約束していたものをテーブルへと出してくれた。
金色の幹部レンジャーバッジと、冬季遊撃レンジャーの雪山バッジだった。
「将馬おじちゃんとおなじだ! 金色と雪山のバッジふたつ。やっぱり教官も持ってた!!」
「そりゃそうよ。三佐の教官だったんだもの」
将馬が毎日胸に付けているバッジなので寿々花も拓人も見慣れてはいるが、同じ物をひょいと出してくる人もそうそうはいない。それが逆に拓人は『もっとすごい人がいる』と驚きのようで、寿々花は笑った。
「これ、ふたつとも持ってる人ってすごいんでしょ」
「うん。自衛隊の中でもこれを付けている隊員さんを見ると『うわー、強者!』って驚いちゃうの」
「教官になるのもすごいんでしょ。教官すごい!!」
「いやいや、もう~。だいぶ昔の話だよ」
駐屯地にいたらクールな顔つきで威厳を保っていただろうに、神楽教官はいつもの愛嬌で謙遜している。
それでも拓人が『すごい、すごい』と鼻息荒く神楽教官へ尊敬の眼差しをまっすぐに向けてくるので、さすがの教官も照れてばかりいた。
「じゃあ、たっくん。まずはクッキーのデザインを決めましょうね」
「えっと、あの。芹菜ママ……。三佐のだけじゃなくて……パパのケーキもいいかな」
「もちろんよ。岳人パパはなにが好きなのかしら」
「ジーンズがすき。古いのさがして集めてるの。あと、抹茶のクリームが好き」
「わかりました。三佐とお揃いにして、クリームを変えて、ジーンズのクッキーも乗せましょうね」
急なお願いをした拓人に寿々花はぎょっとしたが、芹菜ママはおおらかな微笑みですっと受け入れてくれる。
抹茶とか材料があるのか、ないのなら寿々花が買い出しに行こうと、芹菜ママに尋ねたのだが、『お菓子作りはユズちゃんと良くするので、大抵のものは揃ってるのよ』と笑ってくれてた。急なお願いも快く受け入れてくれ、寿々花は『ありがとうございます』と何度も頭を下げてしまう。
さすが。荻野製菓にお勤めの息子夫妻がいるだけある。それに『素敵な暮らし』のお手本ともいうべき、スーパー主婦な芹菜ママ。お菓子作りや料理になると準備はいつでもOKという余裕、これが私の日常とばかりの貫禄が窺える。子供にもすごく優しい。一度しか会ったことがない拓人が、あんなに安心して頼ってしまったのも、線が細そうに見える女性であっても、悠然とした母性を醸し出しているからなのだろう。寿々花の理想、尊敬する女性でもあった。
小柳母子と神楽教官に囲まれ、エプロンをつけた拓人はクッキーのデザインを決め、キッチンで調理を開始する。
今回はロールケーキをデコレーションすることにした。雪を模した白生クリームのロールケーキと、抹茶クリームのロールケーキをふたつ作る。
拓人と寿々花はクッキー作り担当、芹菜ママがロールケーキ担当になった。
荻野製菓に勤務しているからなのか、息子の広海さんは菓子作りの工程もよくわかっていて、拓人のアシスタントについて、逐一やり方をわかりやすく教えてくれる。その合間に、母親のケーキ作りのアシスタントへと忙しく動き回っていた。
小さな身体にエプロンを着けた男の子。ほっぺに小麦粉をつけて、ふんふんと生地をこねる姿がかわいくて、寿々花は途中で動画撮影をする。
いつもならここですぐに夫と岳人パパへと動画を送信しているところだが、今日は我慢我慢。あとで、どのようにして拓人が頑張って作ったかを、ふたりのパパに見てもらう。
拓人の小さな手が、雪山のバッジを模した形へとクッキー生地を整えていく。パパのジーパンも。
クッキーをオーブンで焼いたら、次は芹菜ママのロールケーキ生地もオーブンにセット。
クッキーの熱がとれたら、色つきアイシングで、雪山バッジについている三つの赤丸と桜の花を雪山のてっぺんに、パパのジーパンもかっこよく色づけして飾り付けする予定。
「焼き上がるまでお茶にしましょうか」
芹菜ママが優雅にティーポットで紅茶を煎れる準備を始める。
せっせと動いていた拓人もひと息、ほっとした顔を見せる。
寿々花と一緒にダイニングテーブルに座ったところで、神楽教官がひとつのアルバムを持ってきて、拓人の隣に座った。
「これ、教官が最後に隊員と訓練をした時の写真だよ」
開いた最初のページから、小雪にけぶる真っ白な風景。ニセコの山中だった。
「冬のレンジャー訓練の写真?」
「そう。この訓練の時に、館野がいたんだ」
拓人もなんの写真かわかったようで身を乗り出した。
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