4.愛すほど澄んでいく

 館野三佐に嗅ぎ取られないように遂行せよ。


 まず、将馬のレンジャー恩師『神楽教官』に連絡?

 この前、初めてご自宅に招待されたばかりで、寿々花自身はあちらのご家族との連絡先の交換はしていない。

 将馬と神楽教官が交換をしているけれど、寿々花は妻だからしていない。お嬢さんの柚希さんとは、同世代で新妻同士ですね――なんて親しげな会話を楽しんだが、連絡交換なんてしていない。そんな彼女のお姑さんになる『芹菜ママ』ともまだ繋がっていない。だって、あちらの小柳・神楽家は夫を通じて知り合ったんだから。


 さて。どうする。

 柚希さんに会いに行く? そうだ。平日代休の日に、荻野製菓本店まで行けば会える!?

 ん? あ、お父さんと神楽教官って知り合いだったよね。連絡先知ってる!!? そうだ、お父さんに相談してみよう!!


「すずちゃん、卵、焦げちゃってない?」


 ダイニングテーブルに座って学校のプリントに向き合っていた拓人の声に寿々花はハッとする。


 オムライス用の卵に焦げ目がつき始めていて『えー! やだ、なにこれ、うそ、やだ!』と考え事をしていた自分に我に返る。


 そんな時に限って『ただいまー』と玄関から声が聞こえてきた。


「三佐だ。行ってくる!!」


 拓人がテーブルの椅子から飛び降りて、玄関へと駆けていく。

 その途中で出会ったのか『え、拓人!?』と彼の驚く声も聞こえてきた。


 彼が現れた時は、拓人と嬉しそうに手を繋いだ笑顔の館野三佐の姿だった。


「びっくりした。拓人が来ていたんだな」

「おかえりなさい。三佐」

「ただいま。お、今日はもしかしてオムライスか」

「すずちゃん、ちょっと焦がしていたんだよ」

「言わないで~。ちょっと考えごとしていたの~」

「あはは。ちょっと焦げているほうが実は好きだったりするんだ」

「僕もちょっと好き。焦げてても、焦げてないのも好き」

「おお、拓人と三佐は仲間だな」


 制服姿の時は硬い自衛官の顔であることが多いのに、館野三佐がなしくずしな笑顔になってしまうのも、ここが自宅であるから。それ以上に、息子が出迎えてくれたから。


「岳人パパ。今日はお仕事締め切りで余裕がなかったみたいだから、就寝時間まで預かることにしたの。お風呂も入れてくれたら助かるって」

「そうか。だったら、拓人。おじちゃんと一緒に入るよな」

「うん。でも、プリント終わったらね」


 思った以上に忙しい。夕食を食べさせて、プリントをさせて、お風呂も入れて――。これ、岳人パパ、いままでひとりでやってきたんだよねと、ほんと尊敬してしまう。


 まずは三人揃っての夕食を開始。

 お風呂の湯張りの間に、将馬がダイニングテーブルに座って、拓人の宿題を見てくれる。

 終わったら、将馬おじちゃんと拓人が男同士で入浴。

 岳人パパから預かった拓人のパジャマセットを準備。いつでも眠れる格好にして、眠くなったらこのまま寝ちゃってもいいし、いつでもパパのところに帰れるようにしておく。


 バスルームから楽しそうな拓人の声が聞こえてくる。

 本当の父子の和やかな入浴。

 たまに岳人パパもこちらの家に泊まりにくるため、一室には岳人親子の宿泊部屋として使用している。

 今日はそこで将馬が添い寝をしてくれる。眠ってしまっても眠らせたまま、彼がそっと岳人に返しにいくことも、もうなんどもあった。拓人も将馬と寿々花の家にはだいぶ慣れている。


 パジャマに着替えて少し身体を休めたら、やっぱり眠そうな顔をしている。

 将馬と顔を見合わせて『岳人パパから連絡が来るまで、ひとまず寝かそうか』とふたりで話し合っていた時だった。将馬のスマートフォンが鳴る。

 ある程度仕事に目処がついたとの知らせだったようで、将馬がそのまま拓人を車に乗せて、岳人パパの自宅へと送っていった。


 寿々花もひと息つく。たったこれだけでも子育ては大変だなと感じる。

 自分の子供ができたら、もっと気合を入れなければならない。

 お兄ちゃんになるだろう拓人と、異母兄弟になるだろう我が子と両方見ていくのだから。


「あ、ひとまずお母さんに極秘ミッションについて相談しておかなくちゃ」


 メッセージアプリだと気がついてくれないことが多いため、寿々花はすぐさま電話をする。将馬が帰ってこないうちにと、母に手短に説明すると『たっくんがそんなことを!?』と母も驚いていた。


「極秘でお願い。それでたっくんが……」

『うん。わかった。お父さんにも話しておくね』


 電話を切ってしばらくすると将馬が帰宅する。母と話しているところでなくてよかったと、もうほんとうにハラハラドキドキ。新米ママ寿々花の義理息子のための作戦下準備、夫に内緒でなんとか進めていかなくてはならない。


 なのに彼にすぐに気がつかれる。


「……寿々花、なにかあったのか」

「え、お母さんに電話しただけだけど」

「お母さんに連絡するほど困ったことでも?」


 あー、どうしてこの三佐には表情や雰囲気だけで気がつかれちゃうのかなあと、寿々花はたじたじになる。


「……子供、できたら、どうしたらいいかって……だって、いつそうなるかわかんない、から、最近……」


 ほんとうのことだった。そのつもりの生活をしている。

 だからなのか、身に覚えのある将馬がちょっと焦った顔をして頬を染めたのがわかった。


「あ、そうなんだ。って、お母さんに相談しているのかよ。子作りバレバレってことなのか!?」

「いつそうなってもいいように、どこの産婦人科がいいかなって話し合っているだけだよ。いざそうなったら、お母さんの手助けいるじゃない」

「まあ、そうだよな。うん。そこのあたりは、やっぱり俺、お義母さんにお任せしたいから、うん、わかった」


 誤魔化せた……かな?

 産婦人科の相談なんかしていないし、でも、ちょっと気になっていたことではあったので咄嗟にでた言い訳だった。


「まさかその兆候があったのか」

「ないよ。でも、毎月ドキドキはしてるよ」

「俺もだよ。待ち遠しいような、ほんとうにそうなったときの覚悟とかさ」


 そこで将馬がちょっと考え込むように遠い目を見せ、寿々花ではなく夜の窓辺へと視線を馳せた。


「拓人にはどう教えようか。ほんとうの兄弟になるんだよな」

「私たちの子のお兄ちゃんになって――でいいと思うんだけど。いつのまにか、本当のお兄ちゃんになっているようにしていけばいいんじゃないかな」

「そうだな。岳人君も、何人できようが一緒に寄り添っていくよと言ってくれているから。できればいつまでも、父ふたり、拓人と寿々花と産まれてくる子供たちと一緒にいられたらと思っているよ。ただ岳人君の本心はどこにあるのかなとたまに思うんだ」


 寿々花とおなじことを考えていた。


「先のことはわからないけれど、そうなったらいいなを目指していくしかないよね」

「そうだな」


 寿々花の言葉に、遠い目をしていた将馬がやっと安心を得た笑みを見せてくれた。

 そんな彼が寿々花の目の前にやってくる。穏やかな眼差しで寿々花の頬に触れると、そのまま彼がおでこを寿々花のおでこにくっつけてきた。


「寿々花の澄んだ目を見ているとほっとする。そして愛おしくなる……。今夜もどうかな」

「お風呂まだ入っていないから……。その後……」

「だったら。待っているよ」


 不意に、彼からキスをしてくれる。

 そのまま彼だけベッドルームへと消えていく。

 夫になっても寿々花は『館野一尉』の時と変わらない彼にドキドキしてしまう。そのうえ、見慣れてきたとはいえ、夜に男らしくなる彼を思い描くだけで、身体の芯が熱くなるのがわかる。

 すっかり大人の女の身体になっていて、妻の身体になっていて……。将馬という男だけのカラダになっている。


 基本的に優しいけれど、たまに彼も男のなにかが滾るのか獰猛な素振りをみせることがある。たまにだから……。その時に強く求められたり愛されたりすると、寿々花もたまらなくなる。

 寿々花の澄んでいる目? 違う。それはあなたのほうだと寿々花はいいたい。強く荒っぽく扱うくせに、そんなときにこそ、あなたの目が透き通っているのを寿々花は知っている。


 純粋に、おまえのためだけに、俺はいま燃えているんだよと。いまおまえだけだよ寿々花――と見つめてくれる目は澄んでいる。男の気を寿々花のカラダの奥に注ぎ込むほどに澄んでいく。混じりっけのない彼の想いを、男が放って置いていく熱を、寿々花のカラダの奥の奥に残して溶け込ませる。そうして愛されて、寿々花は女になって彼の妻になってきた。


 初夏の夜風が入ってくる。今年もかすかにライラックの香りがするようになってきた。



 翌朝になって寿々花のスマートフォンにメッセージが届いていた。

 父の一憲かずのりからだった。


【神楽君の連絡先だ。事情を伝えておいたから寿々花からコンタクトしてみてくれ】


 さっそくメッセージを寿々花から送ってみた。

【神楽です】というメッセージがすぐに着信。


【陸将補から伺いました。まかせてください。芹菜さんもはりきって承知してくれましたよ。では打ち合わせをしたいのですが――

 うほうほ教官🦍より】


「うほうほって……」


 思わず笑みがこぼれた。楽しい教官さんで、拓人もすっかりなついていたことを思い出す。その時も『うほうほ』とゴリラのようなドラミングをして拓人を笑わせていた。


 打ち合わせの結果。父の日当日に、小柳・神楽家に拓人とふたりだけでケーキ作りでお邪魔することになった。

 あとは、そのおでかけを『父親ふたり』に知られないようにするため、寿々花は父と母にも協力してもらうことになった。


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