第6話 ひとり、胸の内


 テレーズが揃えてくれた道具を前に、私は一緒にポプリ作りを始める。ずっとにこにこして楽しそうなテレーズだから、私の緊張も少しほぐれた。


 空のボウルに乾燥させた花びらを沢山入れて少しだけオイルを垂らす。こうすることで香りが長持ちするのよ、と教えればテレーズは顔を近づけて、くん、と匂いを嗅いだ。良い匂いですぅ、とにっこり笑う顔が可愛くて、私も一緒になって笑った。


 部屋中に花の香りが広がって、混ぜた花びらを小さな布袋に入れて口を留める。リラックス効果のある香りがする花を選んだから、この作業だけでも癒された。


「あ! お医者様の時間! 少し行ってきますね、奥様!」


「行ってらっしゃい」


 作業に夢中になっていたテレーズは部屋の時計を見て飛び上がるとバタバタと忙しなく出て行った。私も時計を改めて見て結構な時間が経っていたことを知る。


 それから、目の前に山と積んだポプリをどうしたものかと眺めた。ひとりで使うには多すぎる。テレーズと二人だって、余るだろう。枕の下に入れても安眠効果があるから、欲しいという人がいたらあげても良いかもしれない。


 けれど、ひとりで。まだこの邸の使用人の全てと打ち解けたわけではない。話しにくいと感じたのはいつも不機嫌そうな家令のビルくらいだけれど、それでも全員分はない。私の立場であげる人あげない人がいたら、問題にならないだろうか。


 テレーズがいれば彼女が声をかけて、広めてくれた。ポプリに使うには多すぎる花を腕一杯に抱えて歩いていれば出会う使用人にいるかどうかを訊いて、渡して。トマが育てた花は飛ぶように求められた。どれも綺麗に咲いて、愛情を込められたのが分かるから私も何だか嬉しかったのを思い出す。


 これも、同じように求められるだろうか。テレーズと一緒に作ったと言えば、もしかして。


 私は思い立つとポプリの山から半分ほど持って混ぜるのに使ったボウルに入れると部屋を出た。うろうろと屋敷の中を歩いてポプリの説明をし、実際に匂いを嗅いでもらい、欲しいと言う人にはそのままあげた。


 貰ってくれた人は良い匂いだと喜んでくれた。トマが咲かせた花だと伝えれば、あぁ、と皆が一様に優しい表情になるから彼の人柄が愛されている証拠だと思う。


 それじゃ、とぺこりと頭を下げて仕事に戻る使用人の背を見送りながら、私は自分がこんなことをしていることに我ながら驚いた。


 ソルシエールの名前が届くところでは誰もこんな風には接してくれなかった。両親だけだった。誰も私が作った物には興味がなくて、負の関心はあったから忌避して、誰も手を伸ばしてなんてくれなかった。トマが世話をして咲かせた花だから、というのはあっても、テレーズと一緒に作った物だから、というのはあっても、私が関わったものは誰も欲しがらないと思っていた。


 魔女が作ったもの。そんなものは、誰も欲しがらなかったから。


 でも此処では違う。いくら魔女と呼ばれたことがあると言っても誰もそれがどうしたと気にせず、私と話してくれる。勿論形だけとはいえ伯爵夫人だから立場はあるけれど、執拗に避けることもなければ嫌そうな顔をすることもない。私はそれが、嬉しかった。テレーズが傍で色々とお手本を見せてくれるからというのは大きいと思うけど、私も何となく、少しだけでも、変われた気がした。


 考え事をしていたら、視界の隅を何かが走って行った気がして顔を上げた。右側を長く伸ばした前髪ではよく見えなかったけれど、確かに何かが走って行った気がしたのだ。


 中庭へ視線を向ければ窓の向こうをビルが走っていた。相変わらず癖の強いくるくるの巻き毛は目元にかかっていて、何かを探しているように顔をあちこちへ向けている。


 すらりとした体躯は、伯爵に似て競走馬を思わせた。伯爵の身代わりを務めることもあるのかもしれない。妻として求められる仕事のひとつをしないのであれば、伯爵の身に何かあればこの伯爵家は瓦解する。ビルはそれを食い止める楔のひとつなのかもしれない。


 視線を感じたのかビルが顔をこちらに向けた。流石に私に気付いただろう。私は緊張して体をこわばらせた。ビルだけは私に関わってこない。私からも用がないから関わらない。遠巻きに見て、不機嫌そうな様子を確かめるだけだ。ビルには歓迎されていないと思うし、話しかけにくい雰囲気がある。妻としての仕事を求められない私を蔑むのは当然かもしれない。そう思えば、ソルシエールにいた頃の私がすぐに表へ出てきてしまう。


 何か、探してるの?


 他の使用人になら私ひとりでもそう問いかけることができただろう。一緒に探すこともあったかもしれない。けれどビルにはそれができない。ビルも私には頼まない。彼はあくまで私を伯爵夫人と捉えているし、関わる場合はそう接する。


 案の定ビルは私から顔を逸らすとまた何処かへと走って行ってしまった。


「……はぁ……」


 緊張した、と私は知らない間に止めていた息を吐く。心臓がドキドキいっているのが分かった。これはきっと草食動物の気持ち、と思って私は落ち込む。


 いつも何となく、ビルを怖いと思うのだ。私を歓迎していない雰囲気は、二ヶ月前の空気を思い出す。自分が此処へ来てどれだけ優しくされているかと実感してしまうことになる。


 その優しさを、貰って当然と思ってはいけない。いつもあるものと受け取ってはいけない。私はソルシエールの娘。ビルの方がきっと、正しい反応だ。


 好きに過ごして良いと言われたからと趣味の園芸に励み、妻の仕事をしない私などあんな風な態度を取られて当然だ。立場上邪険にできないのを勘違いして良好な関係を築けているなんて思い上がるなという、私への。


 戒めと思って、私は目を伏せた。


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