第5話 お洗濯のお手伝い


 畑の雑草を抜いて水をやり、私たちは室内へ戻る。ポプリ作りに必要な材料をテレーズに伝え、用意してもらう間どうしても手持ち無沙汰になる私は何かできることはないかと探し、洗濯を手伝うことにした。


「まぁまぁ、奥様、また手伝いに来てくださったんですか」


「こう見えてお洗濯は得意なんですよ、私」


 この屋敷では日々多くの洗濯物が出る。屋敷に住まう人数に対して洗い物は多いと思うけれど、使っていない部屋数も多いからそんなものかもしれない。


 実家では使っていない部屋は施錠していたし、埃除けのシーツを被せていたから年に数回、それを洗う程度だった。だから此処へ来て私は目を丸くしたものだ。


 よく使うもの以外でこんなに洗濯物が出るなら使用人の数が足りないのではないだろうか。実際、まだ子どもみたいな年齢の少女たちが一生懸命に大タライの前に屈み込んでいる。働きに出始めるには此処は良いところなのだろうか。噂に聞く奴隷、には見えなかった。


 そもそも、奴隷は切り刻まれているという噂だからもしも本当なら此処へは出てこられないだろうけれど。此処で働く使用人の皆は誰も彼も穏やかでよく笑う。だからあの噂は噂でしかないんだろう、と私はこの二ヶ月で思っていた。奴隷がいるならそんな風に笑えるはずもないだろうと思うから。


「奥様がお洗濯上手なのはわたしだって知ってますけどね、またテレーズが慌てて探してるんじゃないですか」


 トマと同じくらいの年齢に見える使用人のイヴォンヌは笑って腰に手を当てた。妻としての仕事をしていない後ろめたさから何かできることはないかと探していた私が手伝いたいと申し出た時、快く受け入れてくれたのが彼女だ。そんなことさせられないと他のところでなら言うんだろうけどね、と彼女はニヤリと笑った。やりたいと言う人間を追い返すようなこと、わたしはしないんですよと。


「テレーズにはお遣いをお願いしたから、しばらくは探さないわ」


「あはは、悪い人だね」


 じゃあ見つかるまでよろしく、とイヴォンヌはニヤリと笑うと他の使用人にも指示を飛ばして洗濯を始めた。私も腕まくりをしてゴシゴシとシーツを洗う。とはいえ、そんなに汚れているわけではないから埃を落とす程度で良い。


 実家では使用人を多く雇う余裕はなくて、自分のことは自分でやっていた。料理や掃除は使用人がしてくれたけれど、洗濯は私も触られるのが気恥ずかしくて自分で覚えたのだ。


 特に月のもので汚してしまった時は早く血を落としたくて泣きながら洗ったものだ。塩を使うと落ちやすくなる、ということに気づいてからは洗濯も苦ではなくなった。此処でも時折血液が付着したシーツが洗濯に回って来ることがある。イヴォンヌはああ言ったけれど私にはそれを回さないから、口を出すのは勇気が要った。でも私がそれを上手に落とした時にもらった拍手は少しだけ、くすぐったい。


 イヴォンヌを始めとした洗濯を担当する使用人は当然ながら腕まくりをする。服の袖を濡らすわけにはいかないからだ。そうして見える腕に、時々長く走る縫合の痕が見えることがあって私はどきりとした。イヴォンヌもそのひとりで、右腕の内側に長い切り傷の痕がある。けれどそれを隠す素振りはなく、堂々とさえしているから少し格好良くも見えた。


 洗濯って腕を怪我しやすいんだろうか、と私は思ったけれど、とても訊けるようなことではなくて胸の内に秘めたままでいる。もしも怪我が多いなら傷薬に使える薬草を育てみようかとも思ったけれど、急にそんなものを渡されても困るだろうし怖がらせてしまうかもしれない。


「あー! 奥様、こんなところに!」


「見つかったね」


 テレーズの声とイヴォンヌが笑う声が重なった。私は最後のシーツを洗い終わったところだ。干すところまでは手伝えないみたい、と言えば構わないよとイヴォンヌは太陽のように笑った。その笑顔だけで洗濯物が乾きそうだ。イヴォンヌや彼女の指示で洗われる洗濯物は、清潔な石鹸とお日様の良い匂いがするような気がした。


「助かったさ。奥様、あんたはまだ此処にオキャクサマみたいな顔でいるけど、わたしらはとっくにあんたを受け入れてる。手伝ってくれるのは嬉しいけどね、そんなに気にしなくても大丈夫だよ」


 心の内を見透かすようなことをイヴォンヌが言うから、私は少し赤面した。そんな、何も対価を差し出さずに置いてもらうなんて厚かましいことはできない。可能な限り手伝わせてほしかった。


「でもまぁ、手が足りないことはあるから。その時はまたよろしく」


「わ、私にできることがあるならやるわ」


 私が思い切って言えば、イヴォンヌは朗らかに笑い、他の使用人たちと一緒に洗濯物を持って干しに向かった。テレーズが私の後ろで仁王立ちして精一杯に怒った表情を浮かべている。振り返ってテレーズの顔を見た私は思わず笑ってしまって怒られた。


「奥様! どうしてそう、もう!」


「奥様って呼んでもらえるようなことしてないんだもの。でも気にしなくて良いって、イヴォンヌに今言われてしまったわ」


 私が苦笑すると、テレーズは眉根を寄せた。苦しそうな、泣きそうな表情に見えて私は驚いてしまう。奥様は、とテレーズが掠れた声で尋ねた。


「此処に、いづらいですか?」


「そ、そんなことないわ。みんな良くしてくれるし。でもあの、だからこそ、お役に立てたらって思うことがあるの」


「役に……? あ、それ、テレーズも分かります。お役に立ちたいです。テレーズ、でも、奥様のお役に立ててないですか……?」


「あああそういうことじゃなくて、テレーズ、あの、あなたのことは大好きだしいつも頑張ってくれているの見てるから。あなたのせいじゃないのよ。私が、その、自信がないだけで」


 私が慌てると、テレーズがにっこりと笑った。へ、と私はぽかんとする。


「奥様は凄いです! だからもっと自信持ってください! テレーズが頑張ってるの見てくれて嬉しいです。だから、戻りましょう」


「……」


 私は困惑して息を吐いた。でもまぁ、私が振り回してしまっているようだから、時々こうして振り回されるのは悪くないと思う。それに彼女にあんな顔をさせたくはない。


 ごめんなさい、と小さく謝った私を笑顔で大丈夫です、と赦してくれたテレーズと一緒に、私たちは部屋へ戻った。


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