第4話 打ち解ける時間


「ふぅ!」


 私は額の汗を拭う。日焼けをしてしまいます、とテレーズは私を心配してくれたけれど、私はほんの少し、彼女のそばかすが羨ましかった。それは陽の下で長く活動していたことの証のように思うからだ。


「私が日焼けしたって誰も気にしないわ」


「テレーズが気にするんですぅ!」


 此処へ来て二ヶ月が経とうとしていた。夏真っ盛りの暑い日。それでも私は今日も庭へ出て土いじりをして植物の世話をしている。


 テレーズは私に付き合って雑草抜きを手伝ってくれたり生長を喜んでくれたりするけれど、時々思い出したように陽射しの暑さを気にかけて休憩を申し出てくる。鍔の広い大きな帽子を被ってはいるものの、一応は伯爵夫人だし日焼けなんて以ての外と思うのかもしれない。誰も私の見てくれなんて気にしないのに。


「はっは! 奥様の園芸好きは本物だからなぁ! 頑張れよぅ、テレーズ!」


「トマ! 見てないで手伝ってくれれば良いのに!」


 庭師のトマが楽しそうにテレーズへ声をかけて足を止めた。肥料袋を抱えた筋肉質な腕は日焼けして真っ黒だ。テレーズに泣きつかれてもトマははっはと大きく口を開けて笑うだけだった。私たちより歳上の彼は伯爵の方が年齢が近いと思う。


「いやぁ、おれは奥様から教えてもらう立場だからなぁ。前に奥様に教えてもらった調合肥料、あれ使ってみてから調子がすこぶる良いんですわぁ」


「それは良かった」


 私は安心して笑う。彼が世話するのは野菜から樹木まで幅広いから、相談された時には役に立てるか分からず困惑したものだ。


 ヴリュメール家の使用人たちは、ソルシエールのことで私を忌避したりはしなかった。不安がったり心配がったりすることなく、両親と同じように接してくれる。時には私の知識を貸してほしいと頼ってくれることもある。私はそれに甘えて、此処でのびのびと過ごさせてもらっていた。


 結婚したはずの伯爵はあれから全然姿を見せない。外出から帰ってはいると思うけれど、またすぐに外出しているのか顔を合わせることがなかった。ビルに報告がいくことを考え、探るつもりはないのだけど、と前置きをしてテレーズに伯爵はそんなに忙しいのかと尋ねれば、そうですね、と肯定が返ってきたことがある。


 妻としての仕事をひとつもしていないのは心苦しさもあるけれど、同時に安堵もしていた。結婚式の夜以来、顔も見ていない夫は妻を娶ったことさえ忘れているのではないかと思った。使用人の皆も伯爵も、使用人がひとり、庭師が増えたようなものと思っていないだろうか。それはそれで別に構わないのだけれど。


「あっと、テレーズ。今日は久々に“先生”が来るから何かあれば言うんだぞぅ」


 じゃあなぁ、とトマはにこやかに鼻歌を歌いながら去っていく。テレーズも、はーいと元気な返事をしてトマを見送った。


「お客様がいらっしゃるの?」


 ヴリュメール邸を訪れる人はいない。この二ヶ月、誰かが訪ねてきたことはなかった。まぁ主人である伯爵がいないなら訪ねてくるような人もいないだろうから気にしたことがなかった。


「はい、お医者様です。定期的に健診に来てくださるんですよ。奥様も診てもらいますか?」


「い、いえ、良いわ。何処も悪いところはないし。でもあの、ご挨拶、した方が良いかしら……?」


 此処へ来て初めてのお客様だ。私以外は顔見知りなのだろうその医師は、伯爵がいなくても定期的に来るのだろうと思う。その人は伯爵が結婚したことを知っているだろうか。私がいきなり挨拶してひっくり返ったりはしないだろうか。でも挨拶しないわけにもいかないのでは、と思うから私は不安に顔を曇らせる。


「うーん。旦那様がいる時の方が良いと思います。なので奥様はお部屋にいてください」


「……うん、ありがとう」


 二ヶ月かけて此処の使用人たちと打ち解けた私を一番近くで見ているテレーズは、私が慣れるまでに時間がかかることを知っている。今後、今回のように部屋にいて良いことはあまりないだろうと思うけれど、テレーズの心遣いに私は素直にお礼を言った。


「この前収穫したお花、乾燥して良さそうになってましたよね。材料、用意しておきます。テレーズも一緒に作りたいから奥様、教えてくださいね」


 テレーズが話題を変える。それに、ええ、と私は応えた。


 乾燥させているのはトマが綺麗に咲かせた花だ。咲き終わると楽しめなくなるから勿体無いと嘆いたテレーズに、私がポプリ作りを提案した。でも塩の入ったポットは持ち歩くには重たいし、と渋るテレーズに、完全に乾燥させるポプリもあるのだと教えれば途端に顔を輝かせたのは十日ほど前。それを小さな袋に入れればいつでも香りが楽しめるようになると知って、花を鋏でぱちんぱちんと切りながら楽しそうに笑んでいたのを私は思い出す。


 花が乾燥していく様子を毎日わくわくした顔で観察していたのはテレーズだから、楽しみにしていたのだろう。


 この二ヶ月、ずっと私の世話を焼きながら傍にいてくれた彼女が喜んでくれるなら、これくらいはお安い御用だと思うから。


 いつもはひとりで作るポプリを、誰かに教えながら作ってみようと私は少しだけ勇気を出したのだった。


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