第3話 ソルシエール家の逸話


 偽装結婚マリアージュ・ブランだったのか、と私は思う。と同時に納得もする。そうでなければソルシエールに、私に縁談が来るなんてこと、あるはずもなかった。


 何か事情があるのだろうとは思うものの、詮索するなと言われたばかりだし興味もない。両親への資金援助を取り消されても困るし、此処を追い出されても行くところがない。私が伯爵のそれに従うしかないのは明白だった。


「……あぁそういえば」


 言い返さない私のそれを了承と取ったらしいビルが踵を返して歩き去ろうとした瞬間、何かを思い出したのかまた私を向いた。まだ何か、と口には出さず私は首を左へ傾げる。


「庭のひと区画を自由に使って構わないとも言っていました。園芸の趣味がおありだとか」


「え、良いんですか?」


 思ってもいなかった言葉に、私は目を丸くした。驚いてビルを見上げれば、ビルも驚いた様子を見せる。薄く開いた口から、ええ、と困惑した声が出てきて私はすぐに自分が周囲にどう思われているかを思い出した。


「あ、安心してください。別に毒草とか育てるわけじゃありませんから」


 目を伏せて慌てて言い繕った。別に、とビルがぼそりと返す。そんなことは当たり前だと言われているようだった。


「でもありがとうございます。って、伯爵に会えたら伝えておいてください」


 偽装結婚した相手に言われる礼なんて嬉しくも何ともないだろうけれど、礼儀知らずだと思われるのも嫌で私はぺこりと頭を下げた。


 今度は私からビルに背を向けて歩き去る。テレーズが後をついてきた。


「奥様は園芸が趣味なんですね。先に送ってもらった荷物の中にもあったのを思い出しました。どうしますか? すぐに作業しますか?」


「あ、ええと、テレーズ、その……怖くないの?」


 私が足を止めて窺うとテレーズはにこにこしながら、何がですか、と何も知らない様子で問い返す。そばかすの浮いた顔は純粋で、こんなに真っ直ぐに善意の笑顔を向けられたことがないから知らせるのは私の方が怖かった。でもどうせいつかは知られることだ。侍女を辞めたいと言われるなら早い方が良いのではないだろうか。私も別に、侍女はいなくても何とかなる。今までだっていなかった。


「私はその、ソルシエールの娘だから」


 もう嫁いだからソルシエールの娘だった、が正しいのだろうけれど実感がないからそうは言えなかった。ソルシエールといえば、と語られる噂話は我が家にもある。何もヴリュメール家だけではない。


 けれどテレーズにはそれだけでは伝わらないらしく、きょとんとされてしまった。聞いたことがないのかもしれない。ソルシエールの領地は此処からは離れているし、落ち目の貴族の話など伝わっていないことは充分に考えられた。だから私は言葉にする。おぞましい、忌まれる理由を。


「魔女の出る家系だと、言われているのよ」


 私は目を伏せてそう口にする。良い噂話はない。大昔の戦で我が家は魔法のような効果をもたらす薬をもって貢献し、伯爵の地位を賜った。技術は秘匿され、珍しい薬草はその種子から保管された。


 その知識を活かして宮廷医師にも召し抱えられたことがあるという話だけれど、やっぱりその技術は怖いから、という理由で小さな反逆をでっち上げられ、適当な領地を与えられて追放された。でも転落してもタダでは起きず、領地に薬草園を作って研究に励んだという。一族の間で受け継がれてきたその技は世のため人のために開放され、一族だけが知っている秘密は最早ほとんどない。それでも悪い逸話は残るもので、ソルシエール家はずっと冷遇されてきた。その結果が両親であり、起死回生をはかっても成功しない。


 でもそれは私のせいでもある。埃を被っていた古い書物と種を見つけ、出来心で育てた薬草は万能薬と触れ込まれた。けれどソルシエールの薬は人々に受け入れられなかった。元から信頼がなかったけれど、私が関わったというのが良くなかったのだ。それが知られてしまって、気味悪がられて。両親の助けになりたかったのに、私のせいでご破産にしてしまった。


「奥様は魔女様なんですか? 凄い! テレーズも子どもの頃はずっと魔法が使えたらって思っていたんですよ!」


「へ?」


 思っていた反応とは違って私は思わず顔を上げた。テレーズのにこにことした顔は何も変わらず、むしろ輝いている。子どもの頃は、と言ったってテレーズだって私と同じくらいだろうに。彼女の子どもの頃なんて、両手で足りるような年数しか経っていないはずだ。


「奥様、テレーズは子どもの頃、魔女様に助けてもらう空想ばかりしていました。此処へ来る前はひどい生活をしていたんです。空想の中の魔女様はいつもテレーズを励ましてくれました。だからテレーズにとって魔女様は、怖いものではないんです」


「そ、れは……空想の中の話であって……」


 テレーズを励ました良い魔女とは似ても似つかない逸話ばかりだ。少なくとも私は誰かを励ましたことなんてない。


「だとしても奥様、テレーズはそんなことで奥様を怖いなんて思いませんよ」


 明るい声と純粋な笑顔を無碍にすることなんかできなくて、うん、と私は小さく頷いた。


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