最愛のあなたへ、全てを込めて
目を覚ました時、身体の寒気は消えていた。
天井の木目がくっきりと目に映り、頭もすっきりとよく回る。
スマホ開けば時計の針は夜の八時を差しており、もうこんな時間らしい。
そう思うと同時に、風邪の症状のほとんどが軽くなっていることに気が付き安堵する。
身体に残る違和感は、と言えば鼻詰まりくらいだった。
そして。身体以外の違和感はと言えば、側にいた筈の唯がいないということで──。
「よーし! じゃあ、次はこのステージをやってみよー」
代わりに隣の部屋から唯──否、弓波侑杏の高い声が聞こえてきた。
唯は今、生配信中だということを数秒遅れで理解する。
動画配信アプリを確認すれば、弓波侑杏の配信は既に一時間を越していた。
いつもは一時間を超えた辺りで配信は終了する。だから、もうすぐだろう。
そして唯は生配信が終わったら、恐らく私の元へと戻ってくる。
だから。私はそれまで、何をしよう。
ここで、ふと。先までみていた夢の内容が頭をよぎった。
私の『将来の夢』の夢。言葉にしてみると二重表現のようで面白い。
それはさておいて、私は小学生の頃は『お嫁さん』になりたいと書いていた。
誰のお嫁さん? そんなの、あの時はテキトーだったので知る由もない。
だけど今、誰のお嫁さん? と聞かれたら私の答えは一つしか無いようにも思える。
誰なのかは恥ずかしいから以下略とさせて頂くとして──。
「だから……私は……」
──今。或いは近い内に。大きな決断をしなければならない気がした。
直感──と言ってしまえば、ほぼその類のものだけど、私はどこか確信的だった。
だから私は、今がいい。私の中の、秘めたる気持ちを吐露するのは。
私は初恋をしたのだ。
その瞬間こそ、最も果実が熟している瞬間でもある。
つまりは、その果実が少しでも鮮度を失う前に、私は想いを伝えるべきだ。
今日を逃せば、どうなる? いや、明日でもいい。明後日でもいいと思う。
そういえば近々学校で聖夜祭があるじゃないか。そこでも悪く無いとは思う。
でも。私は今日を選ぶ。だって私が、そうしたいから。
そんな単純な理由だった。
そのために、私がまず唯とするべきこと。
それは朝に考えを放棄した『仲直り』だ。
私たちはどうすれば、唯が言う『仲直り』ができる?
それこそ私は、唯に自分の想いを伝えることだと。そう思う。
唯が私に嫌われていると思っているのなら、好いてるという事実を伝えるまでだ。
この選択は正解なのか。否か。
分かるわけがない。
しかし。私はこの選択をした。
自分の道は、自分で決めるものだから。
これが一番良い選択なのだと、信じる以外に道は無い。
多分。結論は出た。
だから、ここまでの長い長い思考を纏めて一つにしてみよう。
──唯に愛の告白をする。
よし、纏め終わり。
「ふぅ」と一息吐くと共に思考の中から脱する。
と、私は、スマホから出されていた音声が止まっていることに気が付いた。
画面を見れば『この配信は終了しました』という文字。
隣の部屋から、唯の声は聞こえてこない。
よし。じゃあ。唯に会いに行こう。
家の中じゃムード的にアレだ。じゃあ、外……かな。
寒いけど。今日は雪も降っていないみたいだから。
私はベッドから身を起こす。
冷静ぶっていても、心臓は容赦なく荒ぶる。
私は立ったまま目を瞑って、ゆっくりと深呼吸をした。
心臓は落ち着かず、次第に不思議と目頭が熱くなる。
今にも泣きそうになってしまって「あれ……?」と思わず口から漏れる。
きっと私、怖いんだ。
恋をするのが初めてで、告白するのが初めてで。
そして。私が向ける恋愛の眼差しは、妹の方を向いている。
怖くならないわけがない。これは自然な身体の反射と言える。
でも。でも。ここで立ち止まれば、私に後は無い。
だから私は、遂に一歩を踏み出した。
一歩一歩。床の感触を、私の裸足に覚えながら。
明るい未来を見据えて、期待して、私は唯の部屋へ向かう。
えらく時間をかけたはずだったのに、到着したのは一瞬だった。
ノックをする手の形を右手に作って、木の扉に軽く添える。
私はもう一度深呼吸をして、心臓に緩やかな空気の流れを与える。
だけれど。濁流に与えられた小さな抵抗に、ほぼ意味は無い。
ここで行くしか無いと悟った。
だからもう、私はその濁流の流れるままに。
──コンコン。コン。
ノックを三回。
「……唯。今、大丈夫?」
震える声でドアの向こうに告ぐ。
刹那、ドタドタと慌ただしい足音と共に、ドアが思い切り開かれる。
次に現れたのは、ひどく心配そうな顔をした唯だった。
「お姉ちゃん!? 風邪は大丈夫なの!?」
その顔を見て、私は涙を零しそうになる。
こんなにも好きなのに、こんなにも胸が痛い。
「……うん。風邪はもう、治ったみたい」
絞り出した声は、どうしようもなく震えていた。
「ごめんね、さっきまで配信しててさ。今から戻ろうって思っていたところなの」
私は呼吸だけを荒くして、ただ首を縦に振る。
でも。このままじゃダメなのは、私が一番理解している。
だから──。
「でも今日はまだ安静にしとかなきゃ。お姉ちゃんご飯とか食べてないし。声だって震えてるよ? それに──」
「……唯」
私は唯の言葉に割って入る。
このままだと、飲み込まれてしまいそうだったから。
私は喉奥で今か今かと待機していた言葉を、息を吐く勢いで言い放った。
「今から! ……えっと、散歩しない?」
声はか細い。
顔もまだ合わせられない。
けれど心は、若干だけど前を向いてくれていた。
「……いいよ」
唯は首を縦に振ってみせた。
※
厚着をしたとはいえ、冬風は服の隙間という隙間から入り込んできて、皮膚すらも貫通し、骨を凍えさせるようだった。
今日は、手を繋ぐ勇気すらも無い。
いや、元々は手を繋ぐ勇気すら必要無かったのだ。
「寒いね。どこまで行くの?」
「……公園。かな」
告白をするスポットにしては、まぁ中々に良いところだとは思った。
「そういえば。どうして急に散歩? 体調はほんとに大丈夫?」
「……体調は、本当に気にしないで。大丈夫だから」
一つ前の質問には答えなかった。
唯はこれ以上、私に何も聞かなかった。
街灯が照らす夜道に靴音を響かせて。
特に会話も無く、私たちはただ歩いていた。
この間に告白の言葉とそれまでの流れを考えようと思ったが、心臓のうるささでそれどころじゃなく、告白までのタイムリミットは徐々に少なくなっていった。
数分もしないうちに目的地の公園が、すぐそこに見えてくる。
「お姉ちゃん、公園入る?」
「うん……」
頷いて、公園の敷地に足を踏み入れる。
幸いなことに、公園には誰もいない。
小さな滑り台と、ブランコが二つあるのみで。
白色の電灯がポツリと寂しく、その場所を照らしていた。
私たちは、なんとなしにブランコを目指し、腰を下ろす。
瞬間、冷たい感触が走り身体がびくんと跳ねる。
「ひっ……!」
その冷たさに、思わず声が出る。
唯は私の様子を「あはは」と面白がって、私もつられて笑ってしまった。
唯も私を真似て、隣のブランコに慎重に腰を下ろす。
「つめたっ!」と、唯の明るい声が暗い公園に木霊しているのが面白かった。
なんだかいつもの私たちのようで、私の心臓は次第に落ち着きを取り戻す。
肩の力が緩んで、安堵が由来した溜息が小さく漏れた。
──今なら、いける。
そんな気がした。
「お姉ちゃん……?」
すっくと立ち上がった私を、唯は不思議そうに見上げた。
反動でぶらぶらと揺れるブランコをひょいと避けて、私は唯の前に立つ。
頭部に当てた視線を次第に下げると同時に、私の心臓は更に暴れ出す。
だけど私は、そのまま唯を見る。しっかりと、目を捉えて。目を合わせる。
そしてその目は大きく見開かれて、頬がほころぶのに合わせて細められた。
「お姉ちゃん、やっと目を合わせてくれた!」
穏やかな微笑みだった。
何年振りかに見た様にさえ思える唯の顔は、凄く可愛かった。
可愛い、っていう表現じゃ伝わらない気さえする。
ともかくは。私は、唯を好きになれて良かったと思った。
「うん。ごめんね、唯。昨日、なんか不機嫌になっちゃって……」
「いいえー! 良かったー、これで仲直りだね!」
あぁ。これで良かったんだ。『仲直り』は。
だけど。ここからが、私にとっては重要で。
止まる気なんて無いから、私は次に進んだ。
「私ね。唯に言いたいことがあってさ」
「うん? どうしたの?」
唯は不思議そうな顔で聞き返す。
「私は。私はね……」
睨めっこみたいに、私は唯から目を離さない。
私の顔が次第に紅潮していくのを感じる。
唯も少し、恥ずかしげに顔を赤らめている。
いける。そんな確信があった。
息を軽く吸って、深く吐いた。
白い息は唯にかかりそうなくらい、遠くまで見えた。
同じ動作を後一回。
「私は……!」
この言葉に、私の全てを込めて。届けた。
「……唯が、好き」
本当に、私の全部だった。
私は長距離を走った後のように、荒い呼吸をしていた。
対する唯はきょとんとした表情で、現実を受け入れられてない様に目をパチクリさせる。
数秒の沈黙が訪れたのち、唯は息みたいな小さな声で私に問うた。
「え……っと。……好きって?」
「私は。唯のことを、恋愛対象として見てるってこと」
言った。
包み隠さず、言ってしまった。
たちまち唯は、暗闇でもよく目立つくらい、顔を赤く染めた。
「え。そ、そう、なんだ! ……え、うそ?」
「嘘じゃない、し。百合営業の練習とかでもない……から」
「……そ、そーなんだ。……あはは、照れるな」
「だから。私は、昨日とか。不機嫌になってたんだよ。……唯が他の女の子と遊びに行っていたから」
多分もう。これ以上に伝えられることは無い。
ここから。唯はどのような答えをくれるのだろう。
不安は微小であり、今は期待の方が大きかった。
なぜなら。私はこの告白が成功すると思っていたから。
そのまま唯は、私に肯定の返事を与えてくれると、信じていたから。
──しかし。本当に、しかし。
唯は私の言葉に、俯いた。
さっきまで薄々と感じていた手応えが、次第に無くなっていくのを感じる。
焦燥に駆られ、不安が全身から込み上げた。
「……唯。お願い。……早く、答えを聞かせて」
不穏な未来を想像して、胸がズキズキと痛む。
そして。姉妹だから、と当たり前の障害が私の脳を占めた。
沈黙が支配する空間から、もう逃げ出そうと思った。その時だった。
唯はブランコを立ち、何も言わずに私の横を抜けた。
私の目は自然に唯を追う。
その時には既に、私からは遠く離れていた。
けれど数メートルのところで私の方を振り向いて──。
「お、お姉ちゃん。今日の配信まだだよね! ……えっとね、早くやった方がいいよ! 視聴者も待ってるだろうから!」
──そんな訳の分からないことを言い残して。
家とは真逆の方向へと、唯は走り出した。
それはもう、逃げているように私の目には映った。
唯の背中は次第に私から距離を置き、消える。
私は、そこに残った喪失感と虚無感と共に、ただ立ち尽くす。
一瞬のことで、訳が分からなくて。
「……え。…………え?」
困惑の呟きが、口から零れ落ちる。
なに、これ。
私、フラれた? フラれたのか?
それまでの流れはアレにしろ、告白自体は上出来だったはずだ。
なのに……なんで。なんで? 唯は、そんな。距離を置く。
私の初恋が、ここで終わる?
「……やだ。……いやだ」
一瞬。
比喩なく一瞬だった。
「………………」
これが、恋なのか。
そう変に納得してしまいそうだった。
でも。私は、唯が見せた、あの表情を思い出す。
恥ずかしそうに赤らめて、うっとりと私の目を見ていた、あの唯の表情を。
どうやら、それが私を諦めさせなかったらしい。
「…………ここで、諦めちゃ」
諦めたら、もう私は終わる。
これからの人生に大きな影響を与えるのが目に見える。
分かってる。分かっているのに、堪えた涙は溢れ出す。
「うっ…………うぅ……」
最近、私よく泣いてるな、と。自嘲気味に心で呟いて。
でも。諦めたらダメっていうのも、分かる。
だったら。どうすればいい?
どうすれば、私は。唯を引き戻せるのか。
あぁ。そうだ。今は、前を向こう。
唯は、間違いなく私の告白に対し、照れを見せた。
最終的にああなったとはいえ、それはきっと事実だ。
だから。今は、今の自分にできることを考えるべきだ。
突拍子もないことでもいい。
最近の私は、ずっとそんな感じだから。
そんな感じの私だったからこそ、今の私がいる。
そうだ。そうだった。それなら、私は──。
「あぁーーーーー!!!!!!」
私は闇夜に叫ぶ。
目に溜まった涙を吹き飛ばして。
叫んで、叫んで、己を昂らせる。
ここで終わっていられるわけがない。
逃したら後は無い。ずっとそう思っている。
ここで決着を着けるしかないって。
それに。生配信がまだだからってなに!
私から離れる口実にしろ、もっとマシなのを考えてよ!
けど。もう言われてしまって、離れられてしまった。
なら仕方がない。あぁ。じゃあさ。じゃあ、やってやる。
私の大好きな好きな人が、それをご所望と言うのなら。
私はポケットからスマホを取り出し、配信アプリを開く。
配信を開始するためのボタンをタップ。
背景は何も映らないよう黒を設定。
機材は無い。故に、夢咲葵のアバターを表示することはできない。
黒背景に合成すればいいかと思ったが、今更そんなことをしている暇は無い。
暗い声じゃ視聴者も楽しくない。
折角の配信だ。明るい声でいってやろう。
息を大きく吸って、快活に。
3、2、1、よし!
「こんばんは、夢咲葵です! 今から配信を始めまーす!」
:お。まじか。
:告知無かったよね?
:通知が来たからそっこー飛んで来ました(定期)
:あれ? 画面映ってなくない? バグ?
「ごめんねー。今、外出中でさ。顔は出せないから、黒の背景で固定になっちゃうんだけど」
:なぜに外で生配信?
:え、なにやるんだろー
:なんか今日の葵ちゃん元気だねw
「あーそうそう。今日やる企画の説明をしないとね」
もう。なんか。唯に仕返しをする気分だった。
「さてと。今宵お送り致します企画は──!」
仰々しく。盛大に。
今の世界の中心は、私だ。と心の中でイキリまくって。
咄嗟に考え付いた企画名を、声高々に宣言する。
「──夢咲葵。弓波侑杏ちゃんへの、公開告白」
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