白羽舞は夢を見る

 私たちは『仲直り』ができたのだろうか。

 まぁそもそも仲は悪くない、というのが事実ではあるけど。

 私が勝手に嫉妬して、不機嫌になって。それで唯が嫌われたと勘違いをして。

 だから唯が『仲直り』をしたい、と言い出した。

 だからカッコでくくらせて貰っている。

 昨日もあやふやに終わったので唯の言う『仲直り』は出来ていないのだろう。

 どうすれば、唯は『仲直り』出来たと感じられるのだろうか。

 んー。あれ? 分からないじゃないか。結局。


 どうにかして答えに辿りつきたかった。

 けれど今は、そんなことは割とどうでもよく。

 というか、気にしている場合でも無く。


「──へっくしゅ!」


 身体を纏う寒気、倦怠感。

 ぼやける視界。回せない頭。

 寒気が由来する大きなくしゃみ。

 冬の川に下半身を浸からせた私への当然の報い。

 仰々しく言ったけど、つまり、風邪だった。


「お姉ちゃん大丈夫? はい、お薬もってきたよ」


 唯に貴重な朝の時間を使わせてしまって胸が痛い。

 しかし幸い、唯は今日、他の女との予定は無いらしい。

 さっき聞いてみたらそう言っていた。素直に嬉しい。

 もう一生私以外の女とデートしないでくれ。

 私と一生デートしてくれ。

 頭は回らないので惰性で思考していると、訳分かんないことを考えていたので、なんだこいつって我ながらにして思っていた。


「ありがとぉ……」


 唯が差し出した薬とミネラルウォーターを力無く手に取り、それをいっぺんに流し込む。

 起こしていた上半身をベッドに倒し、天井に向かって「あーー」と意味も無く声を上げると、隣にいた唯が子供を看病するかの様な優しい視線を与えてきた。


「ゆっくりしててね。何かあったら言ってね。今日は一日お姉ちゃんの隣にいるから。……あ、でも配信の時はあまり席を外せないかも……」


 唯は申し訳無さそうに最後を言い切った。

 親切心が胸に染みるが、罪悪感も同時にあった。

 本当にいいのだろうか。私のために一日をふいにして。


「唯、本当にいいの? 今日は日曜日なのに」

「……うん。だって──」


 唯は言葉を切断した。

 待っていても続きはこなかった。


「……? だって? 続きは?」

「ううん! なんでもない!」

「え、気になる。気になる気になる」

「なんでもないから! はい、お姉ちゃんは寝てね」


 意味深に濁らされたので、モヤモヤを残しつつ。

 身体はキツかったので、唯の言う通りに今は眠りに就くことにした。

 目を瞑って「おやすみ」と囁く。唯もまた囁くように「おやすみ」と。

 そのやり取りに満足して、私は夢の中へ──と、その前に。


「……ありがとう。看病してくれて」


 私はうっすら目を開いて、唯を見た。

 目を見ることはできない。けれど唯の穏やかな表情は見えた。

「どういたしまして」その言葉を受け取って、私は重くなった瞼を閉じた。

 すぐに意識は遠くなり、夢と現実が混濁した世界へ迷い込む。


 好きな人に看病される、というのは。

 なんというか凄いな、としみじみと感じた。

 姉妹の特権なのかもしれない。姉妹最高、ビバ姉妹。

 だが同時に、少しだけもどかしさ、というか。惜しさみたいなものを感じた。

 これがもし私が看病する側で、唯が風邪を引いている側だったら、唯の目を盗んでキスをするところなのに。と。

 まぁ。そんなことをするのは変態なので、これでよかったのかもと思う。

 いや。でも。して欲しいと、どうしても思ってしまって──。


「……キス。……してくれたらな」


 一つ、ポツリと。零れ落ちる。


 …………。

 ……ん? あれ……?

 今、私、声に出してた?

 気のせい? いや、気のせいじゃない。

 私の喉奥に、振動の余韻が微かに残っている。

 聞こえた? 聞こえてない?


 私の意識は、すぐに現実へと引きずり降ろされた。

 うっすらと目を開く。唯を見る。

 ぼやける視界は、唯の輪郭を捉える。

 そして。不思議にしているその顔もまた。


「……誰にして欲しいの?」


 唯は問うた。

 ばっちりと聞こえていたらしい。

 回答を探したが、見当たらない。

 まだ寝起きみたいな頭の状態はこれ以上に回らない。

 だから私は、なんとなしにこう答えた。


「……唯。だよ」

「えっ! 私!?」


 唯は酷く驚いた様子で、軽く唾を飛ばした。

 しかし嫌悪感は抱いてないようであった。

 安心すると共に、次の言葉は何も思い浮かばず焦りを覚える。

 このまま『じゃあおやすみ』と何事も無かったかのように眠ろうか迷った。


「そ、そうなんだ。お姉ちゃん、私とねー。へー、ふーん」


 あ。これは、まずい。と私の理解が現実に追いつく。


「……まぁ。百合理解の一環としてね」


 ここで言い訳をしてしまうから、私は成長しない。

 まぁいいか。今は風邪だから。成長をするのは、風邪が治ってから。

 これこそ言い訳じみていたが、私は割と真剣だった。


「そっ。そっかぁ。うん、そうだよね!」


 唯の表情はよく分からなかったけど、少し焦っているようだった。

 当然と言えば当然だ。実の姉から急にキスを乞われたのだから。


 これは完全に私の誤りだった。

 距離の近付け方にも注意が必要だとは思う。

 けど。こうでもしないと、唯に想いが伝わらない気も、なんとなくしていた。


「ちょっと私、お手洗い行ってくる!」


 唯はキスをしてくれるのかの是非を答えてくれなかった。

 くるりと身体を反転させ、そそくさと私の元から離れていく。


「すぐ戻ってくるから!」


 最後に再び振り向いた唯は、赤く染まった可愛らしい笑顔を私に与えた。

 そしてすぐに部屋から消え、やがて手洗い場のドアの開閉の音が耳に届く。


「…………」


 薄ぼんやりとしていた視界の先にある唯の笑顔が、目に焼き付いていた。

 『仲直り』はできていないにしろ、私の心を何かが満たしてくれた。

 あの笑顔が他の誰かにも向けられていると思うと嫉妬心も湧き上がるけど。


 いや。今はいい。これで。


 私の瞼は再び重くなり、重力のままに、そのまま。



      ※



 ──こんな夢を見た。


 小学生の頃、作文で書いた将来の夢。

 その夢を叶えた人がいるのを、私は見たことが無い。

 私の人生経験が少ないからって言ってしまえばそれまでだけど。


 もう一つ理由があるとしたら、私はこう考える。

 小学生が抱く夢は、大方、高収入で、華がある。

 現実を知らない。でもそれでいい。

 それがいいとも言える。

 叶えられない夢なんて、子供はいくつでも持っている。

 その作文にサラリーマンとか書いてる子供がいたら逆に怖い。

 だから。作文で書いた将来の夢を、叶えられた人は極少数なのだと思う。


 今はもう高校三年生。

 夢ばかりを見ていれば、現実を見ろと言われ。

 現実ばかりを見ていれば、夢を見ろと言われる。

 そんな生き辛い歳になってしまいました。


 閑話休題。

 小学生の頃の私も、そんな極普通な夢を抱く子供たちの一人だった。

 けれど私の場合、作文を書きなさいと原稿用紙を渡された際、その夢すらも特に何も思いつかなかった。

 だから私は考える。スポーツ選手。パティシエ。お医者さん。

 夢があって、華があって、高収入。けれど、どれもいまいちピンとこない。

 悠長に考えていると、鉛筆を用紙に走らせる音が四方八方から聞こえ始める。

 焦った私は小学生なりに頭を必死に回して、ようやく、とある一つを思い浮かべた。

 書き上げた作文を親に見せた時、「きっとなれる」と大袈裟に笑いながら言ってくれたのを覚えている。

 唯に見せたら、訝しげに「えー? お姉ちゃんがー?」って言っていたっけ。


 まぁ。自分でも、結構おかしいよなとは思っていた。

 私を訝しむ唯の意見は、割と正統派だったと思う。

 けれど今では。その夢を、叶えたいと思えてきている。

 それがどれだけおかしいことでも。変でも。いびつでも。

 夢を現実に出来ることが素晴らしいことなのは、間違いないと信じているから。


 確か。私が書いた将来の夢は──お嫁さん。


 ──そんな夢を見ている。

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