白羽姉妹は希う

 あの後。


 湯船に浸かりながら、私は頭を唸らせていた。

 明日からどうしようか、という悩みではなくて。

 もう。すぐそこに、その悩みの種は存在していた。


「お姉ちゃん隣、いい?」


 俯いて、小さく頷けば、唯が小さな波音を立てて私の隣に並ぶ。

 それに続くように私は、唯に背中を向ける様にして位置を整えた。

 背中に感じるのは唯の気配。

 私の頭に占めるのは、お互いに裸体だという事実。

 頭は爆発寸前だった。


 なぜこうなったのか、少し思い返させて欲しい。



      ※



「お姉ちゃん。まだ浸かってる?」


 湯船に浸かって数分が経過した時、引き戸越しから唯の声がかけられた。

 少し焦ったが、晩御飯の催促だろうと思い、私はこう返す。


「う、うん。あと十数分くらいは。結はカップ麺でも食べてて」

「あ。違う。晩御飯じゃなくてね。……じゃあ、私も風呂に入りたいって思って」

「え、なんで!? 待って。え、なんで。え、なんで!?」

「……だって。今日のお姉ちゃん、なんだか私を避けてるみたいに思えて。……仲直りは早い方がいいかなって思って。お風呂ならお姉ちゃんにも避けられないかなって」


 図星だった。

 でも。まだ顔合わせるのが怖かった。

 そんな思いと共に、唯のお願いを断ろうと思った。


 しかしその時、私はハッとした。

 このまま唯のことを避け続けていたら、と。

 嫌われるかもしれない。結ばれるなんて、到底叶わないかもしれない。


「分かった。……いいよ」


 だから。私は頷いたのだ。


「ありがとー」



       ※



 という訳で、今の状況がある。

 唯とお風呂に入るだなんて、いつ以来だろうか。

 いや、温泉に行った時とかに、こういうのはあるんだけど。

 その時よりも唯の体は成長をしていて──という変態みたいなことを考えてしまって頭を振る。それと同時に、唯は「お姉ちゃん」と私を呼んだ。


「は! はい!」


 唐突な声かけに、肩がびくりと跳ねる。

 凪いでいた湯船に、バシャンと大きな波が立った。


「やっぱり、お姉ちゃん。今日変だよね? 今だって、私に背中を向けて」

「……うん。変だよね。だけど、これは。ほんとに、気にしないで……」


 これ以外に、私に言える言葉が見つからなかった。


「ねぇお姉ちゃん、私、なんか嫌なことしちゃった?」

「い、いや! そんなこと、無いよ」


 大袈裟に声を発し、それを否定する。

 しかし私の声は萎んでいって、信憑性は薄めだった。


「え、絶対ある」


 唯の言葉に、私は首を左右にぶんぶん振る。

 数秒の沈黙と共に、冷たい溜息が私の首に届いて。

 小さな呼吸の後に、唯は。


「お姉ちゃん。私ね……昨日までの私たちみたいに戻りたい」


 そう、寂しそうな声でこいねがった。

 戻りたいという響きが、私の胸に毒のように染みる。

 だって。戻れないのは、私だけが知っているから。

 私以外、誰も知ってはいないのだから。


「うん……」

「……ねぇお姉ちゃん。何か言ってよ」

「……えっと。何だろうな。……でも、別に唯に怒ってるわけじゃない。本当に違う」

「ほんとに? 私、信じない。だってなんか怒ってたもん、夕方とかさ」

「だから本当に怒ってないんだよ。ほんとに何も。唯は何もしていなくて」

「んー、分かった。お姉ちゃん。なにかして欲しいこととか無い? お姉ちゃんとの仲直りのためだったら、なんでもするよ」


 唯は覚悟を決めた様にそう口にした。

 冗談でもなく、本当になんでもしてくれそうなくらい、真剣な声色だった。


 どう考えても、私が何かを願っていい立場ではない。

 唯は本当に何も悪くなくて。むしろ、私が唯に願わせる立場だろう。

 でも──。


「じゃあ。私のお願い、一つ聞いてくれない?」


 今のこの状況で、欲望には逆らえなかった。


「うん。なんでも言って」


 頼めるお願いがあるのなら、頼みたかった。

 だって、好きな人がそう言ってくれるのだから。


「……あのね。えっと。……えっと」


 欲張りなのは分かっていた。私が変なのもまた、分かっていた。


「うん」


 一つの大きな深呼吸の背に続き、待機させた言葉を零す。


「ハグして。……欲しいんだけど」


 お互い裸のこの状況で、この願いをするのは、心底変態じみている気がした。

 言ってしまった後の私の呼吸は、やけに落ち着いていた。

 唯は思ったよりも静かに「えっと」と漏らすのみ。

 その反応に違和感を覚えて、段々と怖くなった。

 唯はいつも私にハグをしてくれるのに、今回の唯の反応は曖昧で。

 この場に漂う、いつもとは違う異様な空気に、唯は気づいているのかもしれない。

 後悔をしかけた。けど、言ったことは取り消せない。

 焦燥に駆られて、追い打ちをかけるように、私はもう一度。


「ねぇしてよ」


 まるで、不機嫌な恋人だった。


「……」


 唯は今度は言葉すらも寄越さない。

 沈黙のせいか、唯の呼吸の音がよく耳に届いた。

 だからまた。怖くなって。もっと後悔をしかける。

 目の周りが熱を帯び出して、今にも泣き出してしまいそうだった。

 走馬灯の様に今日の思い出が頭を駆け回り、最早その時のことすら懐かしく感じて。

 私が今から死んでしまうのではないかと謎の錯覚に陥ってしまって。

 もう湯船から立ちあがろうと、身体に力を入れた。

 けれどちょうどその時。


 逃げる私を捕まえる、柔らかい肌の感触が伝わる。

 と思うと、その感触が私の前まで回されて、少し力強くハグをされた。

 じんわりと、私の中に温かいものが広がるのを感じる。

 堪えていた涙が、ほろりと流れ落ちた。


「やっぱり。今日のお姉ちゃん、変だよ」


 苦笑いなのか、照れ笑いなのか。

 それとも両方なのか。何にせよ、唯は笑っていた。

 嗚咽が漏れそうなのを必死に我慢したけど、身体は小刻みに震える。

 泣いてるのがバレていそうなのに、唯はこれ以上は何も言わなかった。


「……ありがと」


 声は大袈裟に震えて、顔がもっと熱くなる。


「どういたしまして……」


 そのまま。お互いに、この状態で。

 案の定というか、二人とものぼせてしまった。

 その後は、ボーッとしながら二人でカップ麺を啜って。一緒に布団に潜った。


 恋を自覚したその日に、こんなに進展するだなんて。

 今の私は、ちょっぴり誇らしげだった。

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