第四章 私たちが選んだ道

Vtuberの姉妹が百合営業をしたらガチ百合になってしまった話

『【コラボ】夢咲ゆめさきあおい弓波ゆみなみ侑杏ゆあちゃんへの公開告白』


 寂しい公園に木霊する、私の声高々とした宣言。

 冬の寒さなんて忘れるくらいの、熱烈とした声。言葉。頭の中に残響が行き交う。


「……よし」


 頷きながら、私はコメントに目を落とす。

 しかし、コメントの流れは意外にも緩やかだった。

 『え、なになに?』とか『聞き間違い?』とか、そんなコメントがぽつぽつと流れている。

 意味が分からないのか、私がこんなことを言う訳が無いと思われているのか。

 どっちだっていい。何回だって言ってやる。


「もう一度言うけど! 私は! 侑杏ちゃんに告白するから!」


:これマ?

:キマシタワーしていい?

:いや待て。釣り企画の可能性も……。


「リスナー! こんな時だけ冷静にならないで! 私の言葉、そのまま受け取って!」


 聞き分けの悪い視聴者に、喝を入れるように声を張り上げる。


「私は侑杏ちゃんが好きで! 好きで好きで好きで好きで! 大好きで! もうめちゃくちゃに愛しているから! ……だから、さ」


 夜の無人の公園。

 そのど真ん中で、愛を叫ぶ私はきっとおかしい。

 おかしくて、変だ。でも、それが白羽舞で、夢咲葵だから。


「私はこの配信の前に、侑杏ちゃんに告白をしたんだ。……けど侑杏ちゃんは『葵ちゃんの今日の配信がまだだから』って、私の告白に答えなかった。そのまま背中を見せて、どこかへ逃げ去ってしまって……」


 こんな配信をするのがおかしいのも分かっている。

 でも。これが自分が選んだ道で、自分の信じた道であるのも間違いなくて。


「だから! 言われた通りに今、配信をやっているの! 逃げた侑杏ちゃんを探し出して、そしてこの生配信で告白をしてやるの!」


 自己中で、支離滅裂。


「侑杏ちゃんはさ、私が告白した時すっごく恥ずかしそうに頬を染めててさ。つまり! 侑杏ちゃんも、私が好きってことだから! 仕返しみたいな感じで配信を始めたの!」


 作戦も計画性も何も無い。

 侑杏が、唯が。私のことを好きだなんて確証は無い。

 でも。今だけは、その未来を確信させて欲しい。


「さぁ! リスナー! 理解した!?」


 一拍を置いて、視聴者に向けて合図を出す。

 緩やかだったコメントの流れに勢い付けをする様に。


:おぉぉぉぉおおおぉ!!

:まじか! まじなんだなこれ!

:これはキマシタワーだろ!!

:なんか今日の葵ちゃんのキャラいいぞ! 変だけど!

:まじ頑張って葵ちゃん! 超応援してる!


 滅茶苦茶なことなのは、視聴者も同様に理解しているはずで。

 それでも。私たちのリアルに触れたり、突飛した発言の揚げ足取りは無く。

 このノリに全力で付き合って、そして。応援をしてくれている。

 その事実が胸に染みて、頬が綻ぶのを感じた。


「よぉし! 今回の企画の趣旨が伝わったことだし──!」


 唯は家とは反対方面へ走った。

 つまり。街に繰り出したと考えるのが自然だ。


「まずは侑杏ちゃんを見つけ出そう!!」


 視聴者に言い放って、私は公園の地面を蹴って走り出した。

 転げるような勢いで、前に向かって、未来を見て。



       ※



:そもそも侑杏ちゃんってどこにいるの?

:アテはあるの?


「無い!」


 動かしていた足を止め、休憩ついでに流れてきたコメントにそんな返事をした。

 我ながら本当に猪突猛進で、無為無策だと思う。

 でも。アテと言えるか分からないが、私にはこれがあった。


「だけど! 私には侑杏ちゃんのラインを持ってる! これで居場所を聞いてやるぜへっへっへ。まさか私が本当に配信をしているとは思わないだろうから!」


:葵ちゃん壊れてきてない?

:↑元々だから安心してくれ

:↑なら安心だな(すっとぼけ)


 コメントに笑みを零し、私は走るのを再開させる。

 今更、自転車を家に取りに帰ればよかったかと思ったがもう遅い。


 走って走って、不恰好に腕を振って。前を目指す。

 交通量が増え、次第に辺りの明かりが増え。

 通りに出ればイルミネーションが街を彩っていて。

 冬の風情を感じる暇さえなく、足の回転を更に動かし私は向かう。

 前に唯と共に訪れた、駅前のクリスマスツリーの前へ。


「──っはぁ。はぁ……」


 呼吸が苦しい。

 でも。止まることはできない。

 人数は更に増え、私の行先を阻む。

 避けて避けて。避け続けながら、私はツリーの前へと辿り着く。

 そのツリーは、前に見た時よりも美しさを増している様に見えた。

 赤・黄・青。色鮮やかで、華やかで、煌びやかな装飾がモミの木を包んでいて。

 思わず見惚れそうになって、本来するべきことを一瞬忘れそうになった。

 『唯』と叫びたいその衝動を必死に抑えながら、私は呼吸を整える。


「……侑杏ちゃん。どこ」


 せわしなく首を回す。

 もちろん簡単に見つかるわけがない。

 目に飛び込むのは他人ばかりで、耳に飛び込むのはガヤガヤばかりで。

 唯は、姿も、影すらも、私の前に映してはくれそうに無い。

 このままアテもなく探し続けたって見つかるわけが無いのも分かる。


「よし……」


 スマホに目を落とし、ラインを開こうと指を伸ばして──。

 けれど私は、コメントの流れる速さに思わず指の動きを止めてしまう。

 そして。そのコメントの内容に、私の全身が一瞬だけ膠着するのを感じた。


:ねぇ! 葵ちゃん! ちょっと! 侑杏ちゃんの配信を見てみて!

:侑杏ちゃんも配信始めてるよ!!


「……侑杏ちゃんの配信?」


 呟きが漏れる。

 唯も、配信をしている?


:え! これどっち見ればいい!?

:端末二個持ち勢ワイ、高みの見物


 私は配信画面から侑杏ちゃんのチャンネルページへ移動する。

 配信は切る必要があると思ったが、マイクが繋がっていれば大丈夫らしい。

 コメントは見れなくなるが、それも仕方ないことだと割り切った。


「……侑杏、ちゃん」


 そして私は、一番上の『ライブ』と書かれた動画に焦点を当てた。

 一分前に配信を開始したらしく、サムネイルは慌てて準備したような黒背景。

 しかし。動画タイトルだけどはちゃんと用意されていたようだ。

 その動画タイトルは──。


『葵ちゃんからの告白の返事』


 ──そんなタイトルだった。

 ドクンと心臓が跳ね、私の周りに静寂が訪れた気がした。

 脈打つ心臓とは裏腹に、心は意外にも落ち着いている。

 私は迷わずに指を動かした。配信画面は私と同じく黒の背景だった。


『…………。……あ。葵ちゃん。私、今、葵ちゃんの配信を見てるんだけどさ』


 画面から飛び出してくるのは弓波侑杏の声。

 唯の地声とは若干だが声のトーンが違う。

 けれどいつもの様な快活さは無く、声はどこか細々としている。

 向こうが『それでさ』と、次に何かを言いかけたが、私は止まれずに口を挟んでしまう。


「……私からの、告白の返事?」


 動画タイトルを見ながら、私は侑杏に問う。

 侑杏はしばらく無言を貫いたが、やがて声を返した。


『……うん、そう。葵ちゃんの告白の返事。……私、葵ちゃんから告白された時さ、本当はその場で返事をしたかったの。……でも、恥ずかしくて。その場に居られなくて、だから私は、配信で返事をしようってなって』

「だからあの時、私に『今日の配信はまだだよね?』って言ったんだ」

『うん。でも葵ちゃん、そんなすぐに配信始めるって思ってなかったし。そっちがなんか私より凄そうなことするし。なんか私がフったみたいになってるし。私が配信を始めたら、視聴者さんから変な目で見られたし……!』


 侑杏の声は段々と語気が強くなり、最後の方には唯の声になっていた。


 けれど。合点はいった。

 なぜ、あそこで唯は逃げたのか。

 なぜ、あそこで雑な言い訳をしたのか。

 それらの疑問が。


「ごめん……侑杏ちゃん。……今、どこにいる?」


 そして同時に、消えていた期待の炎が再燃するのを感じる。

 しかし焦らずに。私は冷静に問うて、けれど声は上擦っていたかもしれない。


『駅横のモールの屋上だよ。ここに来てから返事をしようと思ったのに』


 無意識にその場所を見上げる。

 視界の端に入るその場所は、ここからさして遠くない。

 私がここに来たのも検討外れでは無かったらしい。

 じゃあ。今から私がその場所に向かおうか、と思った。


「ねぇ。それならさ、侑杏ちゃん」


 しかし。私は。生配信中なのを、分かっておきながら。


「駅前の。クリスマスツリーの前に来てよ」


 大胆にも。その選択をした。


『え、えぇ!? いや私、人が少ないから屋上を選んだんだけど!?』


 画面越しの唯は、否応無しという風に大きな声をあげる。

 当然だ。生配信なのだから、身バレする恐怖があるのも理解をしてる。

 理解をしてる──つもりだった、というのが適当かもしれない。


「……こ、これは、私の告白にすぐに答えなかった罰だから! いや、強制するつもりもないから! 自分がそっちに行っても別にいいんだよ! ってのは言っておく!」


 でも私は、初めてで。

 告白をするのも、その返事を貰うのも。

 何もかもが、初めてで。

 だから。少しロマンチックを要求してもいいじゃん。


『んー。……まぁ。分かった、分かった! ……じゃあ。一旦マイクはミュートにするから』


 唯は、侑杏の明るい声でそう答え、

 次の瞬間にスマホから出る音が静止した。


「うん。……ありがとう」


 呟きながら、スマホから焦点を外す。

 同時に、周りから視線を感じた。

 少しばかり、大きな声を出しすぎたらしい。

 今からはこれ以上の声は出せないな。

 そう思いながら、配信のコメント欄を覗いてみる。


:この後どうなるんだ!?

:えー楽しみー!

:おいみんな! リアルでこの現場を見たとしてもヤジいれんなよ!

:↑百合フィールドが展開されるので誰も見れないよ!(適当)


 思ったよりも好評だった。

 リアルとVを混ぜ合わせるのは視聴者的にはどうなのかと思っていた分、安心した。

 無為無策だったとは言え、この配信をしたのは正解だったと言える。

 併せて、もうここまで来たら戻れないな、と強く思った。


 ──プッ。


 無音のスマホから、突然にノイズが走り出す。

 唯がミュートを解除したと、コンマ遅れて理解した。

 顔を勢いよく上げた私は、二往復ほど顔を行き交いさせ。

 やがて。一つの場所に、その向きを固定させた。


「……唯」


 誰にも聞こえない。囁くように唯の名を呼ぶ。

 数メートル先にいた唯は、私の視線に気付くと不機嫌そうな笑みを寄越してくる。

 走ってきたのか、それとも単に恥ずかしいからなのか、顔を紅潮させていて。

 私の方へと歩み寄り、けれど距離が近付けられるにつれ、彼女の顔は下を向いていった。

 私の目は唯のことしか捉えず、それ以外の動きがスローモーションに映る。

 人々の動き、車の光、街の騒めき。それら全てが、まるで別の世界のことの様に。

 クリスマスツリーのみが私たちを見下ろしている状況は、なんとも情緒的といえた。

 そして。私の前にやってきた唯は、いつもよりも小さく見えた。


「……ゆ。侑杏ちゃん」

「……うん」


 どうも気まずさがあったが、それは多分、唯の方が感じていることだ。

 私は配信中のスマホをポケットにしまい、唯に呼びかける。


「ありがとう、侑杏ちゃん。ここに、来てくれて」


 この声は視聴者に届いているのだろうか。

 というか、ぶっちゃけ聞いて欲しくない。

 ここで無責任に配信を停止しようも考えたが、どうも上げて落とした感じがしてよろしくない気がしたのでそのままに。今は唯のことを──侑杏のことだけを見ようと、ぼやけた視界のピントを合わせた。


「……どうも。葵ちゃん」


 唯の顔は未だ下を向いたまま、申し訳無さそうに言って、二の句を継ぐ。


「やっぱり、そこで逃げ出しちゃうのは逆効果だったかな……ごめんね」

「……えっと。いや、それは。私の早とちりも問題だったから」

「うん。でも、なんか嫌な思いさせちゃったかなって」


 唯は「それでもね」と決心したかの様に、顔をゆっくりと上げて。

 私のことを上目遣いで見つめて、恐る恐るという風に口を開く。


「……葵ちゃん。告白してくれて、ありがとう」


 目はウルウルとして、口元は震えている。

 顔は言わずもがな真っ赤っかで、熟した食べ頃のりんごの様だった。


「ありがとう、って。私は、侑杏ちゃんが好きだから、告白をしただけだよ。……何も、お礼を言われるようなことをしていない、というか」

「うん。でも。……ありがとう。私、本当に。ほんっとうに嬉しかったから」

「……そっか。うん。なら、良かった。……じゃあ、告白の返事、してくれる?」


 もう既に、告白の返事は出ている気がしたけど、それには触れずに私は問うた。

 私の心からは既に不安は取り除かれ、期待の意味で心臓の鼓動が速くなり出す。

 唯の口から次の言葉が飛び出すのを待つ時間は、合格発表の紙が張り出されるのを待つ時の様にドキドキの連続で、本当に絶え間なかった。

 けれど──。


「……ちょっと待ってね」


 けれど唯はそう言って、そして。


「ちょっとだけ自分語りをしたいんだけど、聞いてくれる? 私の気持ちを聞いて欲しいの」


 少し拍子抜けではあったが、私は何も言わずにただ頷いた。

 唯はにっこリと笑った後に、少し目を逸らして話し始めた。


「まずね、私の気持ちについて──なんだけど。……私はね。あの時から、葵ちゃんのことを想っていたの。……でも、一度は諦めたんだ、私たちの間にある超えられない壁に気が付いたから」


 あの時とは、恐らく両親が他界した時だ。

 その時から、唯はやけに私に依存するようになって。

 重度のシスコンになって、私に毎日ベタベタする様になって。

 そして。私がVtuberを始めて幾つか経た時、私に百合営業を持ちかけてきた。

 やはりそれは、私のことを好きだったから。そういう側面があったんだ。

 素直に嬉しかった。今、こうして唯の想いを知れたのも、両思いだってことも。

 ニヤつかせないよう我慢していた私の頬は、ぷるぷると震えて相好を崩してしまう。

 唯はそれに対してまた微笑みを返して、続けた。


「……でも。最近のおね──葵ちゃんは、やけに私に優しくて。……それで、ここ二、三日は、私に特別な感情を持っているんじゃ無いかなって思って生活してて……そしたら昨日、私にハグを要求してきて。……そして今日、いきなり告白されて」


 唯は下がってきた顔を、再び私に向ける。


「嬉しかった。ほんっとうに、嬉しかったの」


 と思えば。やっぱりその顔は少しずつ下がっていってしまった。


「でもさ、そんなこと私にとったら有り得ないことで、星よりも遠く果てしないことだと思ってて。そんなことが、急に私の目の前にやってきたんだよ。ドッキリなのかなーとか、葵ちゃんの目を見ればそんなこと無いってすぐに分かるのに、私の頭は事実を否定して」


 唯は言葉を止め、一つの大きな呼吸。

 そしてすぐに続けた。


「だから。私は。あそこで逃げた。本当の告白だったとしても、うまく返事をできる気がしなかったから。……だから私は──私の──弓波侑杏の力に頼ることにしたの。……現実とVの世界だと、私は変われるって、そう思っていたから」


 なるほどと思った。

 正直、電話で告白の返事をすればいいんじゃ無いかって思っていたけど。

 侑杏になることで、私の告白にもちゃんと対応できるって、そう唯は考えていたらしい。


「そしたら。結局こうなっちゃった。……目の前に葵ちゃんがいて。ここに私がいる。……はい! 自分語り終わり! あーー楽になったーー!」


 唯は空を仰いで声を飛ばして。とても気持ちよさそうだった。

 体の中にあるおもりを全て取り除いたかのようで。

 だけど。そのおもりは私が原因するものだから、罪悪感も少しだけ。


「……侑杏、ちゃん」


 私が呼びかけると、私を見る。

 濁りの無いすっきりとした表情で。

 今度は自然な笑顔を私に見せた。

 私の罪悪感を取り除いてくれる様な、晴れやかな笑顔。


「葵ちゃん。告白の返事の前だけど、ネタバレも沢山しちゃったね。本当は、こう、ズバって言うつもりだったんだけど」


 照れながら言った唯は「こほん!」とわざとらしく咳払い。

 「あーあーあー」と自身の声を、侑杏の声に調整して。

 私の目を再度、キラキラと輝いた目で捉える。


「あのねっ、葵ちゃん! ──えーっと」


 侑杏は言葉を詰まらせる。


「ゆっくりでいいからね、侑杏ちゃん」

「えへへ。……ちょっと緊張しちゃって」


 僅かに開かれた口の隙間から、微かな呼吸が聞こえる。

 目を瞑って開いて、息を深く吸って吐いて、そんな動作を繰り返して。

 最後に、私の目を、刺されるんじゃないかってくらい真剣に見つめてきて。


「わ、私も! 葵ちゃんが大好きです! ……あの、その──。えっと……」


 張った声で始めて、けれど長くは続かずに、萎んで、消えていった。

 続きは私でも予想が付く言葉ではあったが、感極まったのか言葉が継げていない。

 そのすぐ後に、開かれた目から少量の涙が溢れ、口の中に流れ込んでいる。

 これじゃ、言えるわけが無いだろう。


「えっ。と。えっと、ね……」


 涙が喉に引っかかっているのか、うまく言葉を作れていない。

 じゃあここは私の出番じゃないだろうか。

 白羽舞の様に、お姉ちゃんらしく。

 夢咲葵の様に、大人の女性らしく。


「……侑杏ちゃん」


 私は彼女のことを安心させるように、ぎゅっと抱き締めた。

 綺麗なミディアムの髪の毛に手櫛を入れて。

 もう一度、離れないように抱き寄せる。

 冬の寒さを忘れるくらいの熱烈なハグで、彼女の耳元に顔を寄せる。


「私の恋人になってください、侑杏」


 反応はすぐに来なかった。

 その前に侑杏は、子供の様に声を出して泣いてしまった。

 奇異の視線を周りから感じながらも、私は抱き締める力を緩めなかった。

 背中を優しく叩いて「大丈夫」と小さく呟いて、侑杏の嗚咽は少しずつ収まる。

 深呼吸。深呼吸。そして侑杏は震える声で「うん」と首を縦に振った。


「……葵、ちゃん。……私も、あなたの恋人になりたかった。ずっと、前から」


 私も泣いてしまいそうだった。

 だって。私の願いが叶ったのだから。

 私の告白は、砕けずに。叶ったのだから。

 だから、泣いたって誰も文句は言わないだろうと思う。

 でも今の私は、夢咲葵という大人の女性だから。

 せっかくなので最後まで大人らしくあろうと、涙は寸前で堪えた。


「よろしく、侑杏。……改めて、私の名前は夢咲葵です。職業は、ニート……なのかな」

「……うん。改めて、私、弓波侑杏です。職業は、学生です。……よろしくね、葵ちゃん」


 私は抱き締めていた腕を取り外す。

 眼前に目元を赤くして、頬をそれ以上に赤くした侑杏がいた。

 「ニートの恋人かぁ」とくしゃっと無邪気に微笑んで「それもまた一興」とテキトーに説く。

 

 そして。次に目に入るのは、周りからの視線である。

 謎の感嘆の声を上げる人とか、熱い目で見てくる人とか。

 大多数ってわけじゃ無いけど、十数人が私たちのやり取りを遠目から見ている。


 ──これ以上は、まずいかな。


「よぉし。逃げるぞ、侑杏ちゃん!」


 私は、今のハグくらい熱烈に、侑杏の手を握る。

 握り返されたのを手に受けて、ツリーの前から走り出す。

 駅前から数十メートル離れたところで、私は忘れていたかのようにポケットからスマホを取り出して、配信を終了する際のいつものやつ。


「視聴者の皆様! 今日もご視聴ありがとうございました!」


 侑杏をチラと見てみたが、もう何か喋れる状態じゃ無さそうだ。

 しょうがないので、ここも私に言わせてもらおう。


「どうも! 夢咲葵と弓波侑杏でした!」

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