第3話 緞帳の奇跡、最後のしりとり
「無事着地、おめでとう。ここを出たら三方向に道が分かれてるのはわかるよね? 校門、校庭、ピロティ。校門と校庭はだめ。ひどい目にあうわ」
強打した尻をいたわる俺を見もせず、西原は淡々と説明する。
校門も校庭も、だめ。
外に出ても安全ではない、ということか。では、一体どこへ行けば助かるのだろう。宇宙人たちの追手を巻くことは可能なのだろうか。
疑問を口にするより先に、西原が走り出す。
俺も尻をさすりながら続く。
ピロティを抜ける。吹き抜けの建築構造で、外の風景がさらけだされる。今朝まで平穏だった中庭は、ポストアポカリプスの様相にイメージチェンジしている。木々は真っ黒に枯れ果て、池の水は沸騰している。飼育されていた鯉は切り身を四散させて転がっている。
残酷な光景に嗚咽しながら、体育館に駆け込む。
「気をつけて!」
西原が叫ぶ。
「この先は、私の後ろを、ぴーったりくっついてきて。上下左右からレーザー降ってくる。五十センチ、ルートを逸れたらおしまいだと思って! いいね?」
鳥肌の立つ注意事項に、俺はこくこくうなずきながら西原の後ろに従う。長い髪が鼻先をかすめる。いい匂いがした。
のは、一瞬だけ。
宣告どおりレーザーの一斉照射がはじまると、すぐにそれどころではなくなった。
壁を天井を破壊しながら、ショッキングピンクの光線が体育館のあらゆる空間を貫いていく。切り裂いていく。粉砕していく。
その隙間を縫うように、踊るように、西原は駆け抜ける。俺も必死にあとに続く。上靴が体育館の上で、弾む。レーザーの破壊音の隙間に、ふたり分の雀みたいな音がキュッ、キュッと響く。
息がキツい。
汗が止まらない。
体育館のアリーナに破壊光線が降り注ぎ、徐々に面積は狭くなっていく。
キャットウォークが空を舞う。
永遠に続くかと思った逃避ルート。俺たちは走り続けて、いよいよ体育館の最奥、舞台までたどり着く。
「登って、舞台に! 早く!」
西原が叫ぶ。後ろから撃ち抜かれる驚異に怯えながら、俺は舞台によじ登る。
西原は横にそれて、舞台袖の扉へ駆け込む。
舞台の上に登りきった俺は、思わず振り向いた。
廃墟と化した体育館、ぬるぬる星人たちの、ピンクの目が、無数に。
恐怖で気を失いかけた、その時。
ガコン、と起動音が響き、
同時に、ぬるぬる魔人たちが去っていく。砲撃をやめて、後退りしていく。
「よく、分からないけど、あいつら、この緞帳が、苦手みたい」
舞台袖から西原が現れる。息が荒れている。
俺も、限界まで呼吸が早まっている。
緞帳が下まで降りきると、俺たちはほぼ同時に舞台の上で座り込んだ。
はあふうひいふう、苦しげな息が交互に吐き出される。
「――なんで、緞帳が、苦手?」
少し落ち着いて、俺が訊く。
「さあ。知るわけ、ないでしょ。色なのか、素材なのか、校章なのか。あいつらの文化も、習性も、好みも、狙いも、なーんも、わからないし、わかりたくも、ない」
言葉を短く切りながら、西原が答える。
おそらく、偶然の発見だったのだろう。
何度も失敗し、ルートを誤り、撃たれ、焼かれ、引き裂かれ、殺されながらたどり着いた奇跡的な解答が、この緞帳だったのだ。
校舎を粉々にしていたレーザーがただの分厚い布を恐れることを不思議に思いながらも、ようやく訪れた静寂に俺は胸をなでおろす。
「で、これからどう逃げるんだ?」
俺は気楽に、質問を投げつける。
「ここで終わりよ」
西原は短く答える。
その表情は、決して安堵の色ではない。
「直接レーザーで撃たれることはないわ。あれが一番痛いし、苦しい。どういう仕組かわかんないけど、すぐには死ねないしね。あいつらの本拠地に連れて行かれて、最後の一欠片になるまで解剖されて。ツラいよお?」
最初に目をくりぬかれるから、どんな宇宙船なのかもわかんないしね。彼女はうっすらと寂しい笑みを浮かべながら、そう締めくくった。
「ここで終わり、っていうのは? ぬるぬる星人たちが諦めて星に帰る、ってこと?」
俺は訊く。
西原は首を振る。
「今、たぶん準備中。あいつらの、最強兵器。あと二十分くらいで発射される。それで、ジ・エンド。すごいよ。目の前がまーーーっしろな光で包まれて、気づいたら終わってるの。私たちは、また今日の朝に戻されるだけなんだけどね」
そう言ったのを最後に、西原は黙った。
体育座りのひざの間に、顔をうずめる。
スカートを掴む細い指が、震えている。
怖いのだ。
ただ、ただ、死を待つだけの時間が。
それでも、これが一番ベターな答えだと判断したのだ。
この地獄の一日を繰り返しつづけている彼女と、繰り返しつづけた俺は。
後悔が止まらない。
なぜ俺は、ループを抜けてしまったのだろう、と。
それが自分の責任ではないとわかりきっていて、それでも後悔が止まらない。
なぜ彼女に考えたくもない結末を話させているのだろう。
なぜ彼女と同じ絶望を分かち合えないのだろう。
なぜ彼女が震えているのを黙って見ているのだろう。
せめて、その恐怖を、やわらげてあげられるなら。
そんな必死の思いが、俺に、
「しりとりでも、しないか?」
――間の抜けた提案を、させた。
がばっ、と膝の間から顔をあげる西原。
涙のあとで赤くなった目を、まんまるに驚かせている。
二秒。
三秒。
沈黙がつづいて、その口元が笑う。
徐々に笑いは大きくなり、爆笑へと転じる。さっきまで震えていた女の子は今、床をバンバン叩きながら笑い転げている。
「なんだよ、何がおかしいんだよ」
体育館を走り抜けたあとと同じくらい呼吸を荒くしながら、西原はごめんごめん、と笑い涙をぬぐう。
「ループしてなくても、王太郎は王太郎だなぁ、って。最初にここで最後を待ったときも、それだったんだよ。しりとりでも、しないか? って。すっごい気取った声で! 決め顔で! それから毎回毎回、同じ流れ。もう何回しりとりしたんだよ、ってくらい」
あはははははは、とまた笑い出す。
俺は恥ずかしさで顔が茹で立つのを感じた。
そんなに気取った声だったんだろうか。
そんなに決め顔だったんだろうか。
「――よし、しりとり。やろう。いつも通り」
ひとしきり笑って、西原が明るい声を出す。
思うところはあったが、とりあえず恐怖をやわらげることには、成功したのだろう。それでよしとして、俺もつづく。
「よ、よし、じゃあ『しりとり』の『り』から!」
「『理屈』」
間髪いれず、西原が答える。
しりとりの出だしにしては変わった言葉選びだ。何度も繰り返すうちに彼女なりの戦略が練られていったのだろうか。
「つ、つ――『積み木』」
「『休憩室』」
また間髪いれずに、変わった返答。負けるものか。
「つ、つ、つ――『つらら』」
「『裸子植物』」
「つ、つ、つ、つ―『追試』」
「『指圧』」
「……つ、つ、『ツール・ド・フランス』」
「『水上生活』」
「…………『月見団子』」
「『
俺は、思わず立ち上がる。
「続ける気あんのか!?」
延々と続く『つ』攻めに、抗議の声をあげる。
再び笑い転げる西原。
「あはははははっ、えーっと、『続ける気あんのか』だから『か』? 『か』ね。えーっと、『果実』! はい、次」
まだあるでしょう? と上目遣いにニマニマする西原。
また『つ』攻めだ。
執拗な粘着攻撃に頭を抱える。とっくに脳内辞書のストックは限界に至っている。
ふと、今朝一番に西原に放たれた言葉を思い出す。
「温帯低気圧」
あれは、しりとりの続きだったのか?
中途半端に終わったしりとりを、『つ』攻めで再開したのか? それに対して俺が予想通りのリアクションをしなかったから、不機嫌になったのか?
……ああ、浮かばない。『つ』から始まる言葉が浮かばない。
このまま最後の瞬間を迎えるのだろうか。
『つ』から始まる言葉を考えながら最強兵器でやられるのだろうか。
間抜けすぎやしないだろうか。
「まだあるよ、王太郎」
声色を変えて、西原が俺の肩に手を置く。
顔をあげると、すぐ目の前に西原のほほえみがあった。
期待のこもった、表情。
「まだある。きっと」
――何かを、言わせようとしている?
その表情に、俺は悟る。
西原は、俺に、何かを言わせようとして『つ』攻めしている。
そう考えて、俺は気恥ずかしくなる。
今日何度も、心をかすめた言葉があった。
口に出すことになるとは、思ってもみなかった。
咳払いを、ひとつして。
覚悟を、決める。
「――付き合って、ください」
西原の目が大きく見開かれる。
頬が赤く染まる。
一拍おいて、満面の笑み。
そして、白い閃光がすべてを包み込んだ。
誰もいない教室のにおいが好きだ。
と、いうわけでもなく。
その日、俺は理由もなく早起きをした。そしてなんとなく早く家を出て、なんとなく早く登校した。
誰もいない教室は静かで、いつもより温度が低く感じた。
当然、話し相手もいない。スマホもロッカールームにおいてきた。
暇をもてあます。
ぎったんばったん、椅子を揺らす。
すると、音を立てながら教室のドアがひらいた。
ドアの陰から、ひとりの女子が教室へ入ってくる。
西原コムギ。
優等生だが、気が強い。
つかつかと俺の席めがけて一直線に歩いてくる。
そして、言い放った。
「いいよ、付き合おう」
<了>
教室で女の子に話しかけられたら 二晩占二 @niban_senji
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