第2話 地獄のループ、西原の涙

「あり得ない。じゃあ何? あんた一人だけ抜けたってこと? この地獄のループから? あり得ない。こんなかよわい女子ひとり置いて? あり得ない。こんないたいけな美少女ひとりを怖い目にあわせて? あり得ない。どういう神経してんのよ、ねえ、王太郎?」


 あり得ない、を一回いうたびにビンタを繰り出しつづけた西原は、俺の頬が耳との境界を見失うほど痛みでしびれた頃になってようやく、理解を示した。


「じ、地獄のループ……って?」


 俺の方はいまだ事態を把握しかねていた。納得行くまで事情聴取をくりかえした西原とは違って。

 西原は大きくため息をはく。


 さっきの割れ目から、またぬるぬる魔人がぬるっと顔を出した。

 西原が俺の手をひっぱる。

 つんのめった俺の顔のすぐ横を、ショッキングピンクのレーザーがかすめた。つらぬいた壁の向こう側から、阿鼻叫喚が沸き立つ。


「ここにいたらすぐ死んじゃう。走りながら説明するから、ついてきて」


 そういうと、西原は走り出した。

 あわてて俺も追いかける。

 レーザーが、俺たちの立っていた廊下を焼き切った。



「あいつら、宇宙人」


 西原が顔を半分だけこちらに向けて言った。フリースペースを抜けて、向かい側の廊下へ飛び出す。


「宇宙人? あのぬるぬるの魔人が?」

「そう、たぶんね。私たちはそう考えてる。だって普通じゃないじゃん、あのレーザー。三組の教室、入るよ」


 息と長い髪をはずませながら、西原が指示を出す。

 俺はそれに従う。


 宇宙人。

 そうか、宇宙人か。

 ぬるぬる魔人、じゃなくて、ぬるぬる星人、だったのか。


 などと謎の納得をしている俺をよそに、西原は三組の教室を駆け抜ける。

 机の下で怯えている、隣のクラスの同級生たち。俺以上に状況を把握しかねた顔だ。


 その彼ら彼女らが隠れる机の上に、西原は飛び乗る。俺も続く。

 西原は机と机の間を、大きく伸ばした脚で駆け抜ける。


 ハードル跳びのように、しなやかに。

 制服スカートを恥じらいもなく、ひらつかせながら。


 その後ろを俺が追いかける。


「飛ぶよ。勇気出して」


 先頭の机を思い切り蹴りながら、勢いよく黒板めがけて飛び込む、西原。

 自称かよわい美少女の体が濃緑色の壁めがけて弾丸直行する。黒板消しで消した跡。書き換え忘れた日付。


 ――衝突する、寸前。


 ショッキングピンクのレーザーが虚空を裂いて、西原の眼前に広がっていた黒板を粉砕した。

 木材やコンクリートの破片だけが飛び交う中を、西原は浮遊する。

 そして事もなげに、隣の教室へ着地した。


「はい、あんたも飛ぶ。早く」


 振り返って、手招きをする。




 俺たちは四組の教室を駆け抜けた。

 その間も西原は説明をつづける。


「私と王太郎――あんたは、何度もこの日を繰り返してるの。タイムリープ。聞いたことあるでしょ。最悪なことに、私たちはこの地獄の一日をループしてる。あんたは意味もなく一番に登校してて、私は二番目。ホームルームが始まって五秒後に宇宙人が襲ってくる。攻撃される。手足がもげる。肉がこげる。目玉を食われる。体液をすすられる。私が死ぬ。あんたが死ぬ。ふたりとも死ぬ。みんな死ぬ。そんなのを繰り返して、痛い思いを繰り返して、苦しい思いを繰り返して、少しでもマシなほうへ、生き延びられるほうへ。そうやって私たちは失敗しながら、工夫して作戦を練ってきた」


 教室を出て、再び廊下へ。

 数十メートル後方をたたずむぬるぬる魔人。ショッキングピンクの目がこちらを見つける。


 俺はあわてて教室横の階段をおりようとする。

 西原に制服を引っ張られ、阻まれる。

 そのまま、教材管理室に引きずり込まれた。


「――なのにっ!」


 扉をしめて、西原が叫ぶ。

 切れ長の両目から、涙があふれる。


「作戦、練ってきたのに。二人ならいつか逃げ出せるって、思ってたのに。なのにっ! なんであんただけ、ループ抜けてんのよ。なんで私だけ、こんな怖いタイムリープ繰り返さなきゃいけないのよ。どうしたらいいのよ、これから。誰にも頼れないじゃない。怖さを分けれないじゃない。私ひとりで抱えなきゃいけないじゃない。ひどい。ひどいよ、ひどすぎる」


 西原は泣いた。

 声を上げて、両手で顔を覆った。


 正直に言って、俺はまだ現状を受け入れきれていない。タイムリープだなんて映画や漫画の中の話だと思っていた。これは夢で、実際の俺はまだ布団にくるまってよだれ垂らしてるんじゃないだろうか。


 だけど、涙を流す西原の、その儚い姿を見て、俺は。


「――西原」


 西原が顔をあげる。両目が赤みを帯びている。少しだけ鼻水が出ている。

 その弱々しい姿を見て、俺は。


「忘れて、ごめん。でも、大丈夫。俺が、西原を、守るから」


 守ってあげたい、と思ってしまった。

 西原が涙を袖でぬぐう。

 二回、鼻をすすって、強気な目つきに戻る。


「あんたに守られたことなんて、一回もない。いつもリードは私。あんたはサポート。調子に乗らないで」

「あ、そっすか……」


 ものの数秒で、西原はすっかり元の調子に戻っていた。



「階段はだめ。下の階にも宇宙人は来ていて、おりていったところを狙い撃ち。即死しちゃう。この教材管理室が正解ルートなの」


 西原は部屋の中を見渡す。地球儀やら青い背のブックファイルやらが、煩雑に整理されている。壁にベタづけされたスチール棚が、窓を隠している。

 俺たちが入ってきたドア以外に、出入り口はなさそうだ。


「……出れなさそうだけど」

「あと十五秒、待って。もうちょっと壁のほうに下がって。上と下から流れ弾――レーザーが飛んできて、床に三つ穴が空くから。そしたら一番右から飛び降りて。それ以外はだめ。高すぎて足の骨を折るわ。……来た! 行くよ」


 西原が説明を終えると同時、どんっ、どんっ、どんっ、と続けて三つ、鈍い音が響く。宣言どおり、レーザーが床を貫いて穴を開けている。

 一番右の穴から飛び降りる。高くて軽い音を踏みしめる。聞き覚えのある残響から、ロッカーの上だと気づいた。


 俺たち生徒の荷物をしまっておくロッカールームだった。ぬるぬる星人の襲撃で大揺れしたせいか、扉の多くが半開きになっている。


 着地したロッカーの上から床までは二メートル強。飛び降りられないこともなさそうだが、勇気が必要だった。


「見てて」


 俺が怯んでいることを見抜いてか、西原が言い放つ。

 真下へ落ちるように飛び降りると、半開きになっていた扉のひとつを掴む。扉は西原とともにゆっくりと半円を描き、落下の勢いを殺した。手を離し、悠々と着地する。


「こんな感じ」


 さあ、おやりなさい、とばかりに俺を見上げる西原。


 やってやらあっ、とばかりに勢い込む俺。見よう見まねで扉に飛びつく。

 が、西原のように格好良くはいかない。俺の体重を受け取った扉は勢いよく開いて俺の体を壁に叩きつける。その衝撃で手が離れる。


 落下。

 豪快な尻餅。


 痛い。

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