溶けだしていく日々

魔法少女空間

第1話 溶けだしていく日々

 男は悲しげに窓の外を眺めていました。部屋のなかで男は長椅子に足を組んだまま、その腕をしっかりと身体に巻き付けて座っています。窓の外で男はこれから沈みゆく世界を見ていました。それは失われた新雪のようにきらきらと輝いて見えるのでした。

『世界はもうすこしで終わりゆくというのに』と男は思います。

『どうして俺のところはこんなにも静かで、穏やかなのだろう』

 男はそのことについてしばらく考えを巡らせていましたが、正しい答えは訪れませんでした。浮かんでくるのはとりとめないこと、様々な過去の失敗や忘れたいほどの恥ずかしい思い出ばかりです。男は椅子から立ち上がり、少しの間このことについて考えるのはやめようと思いました。一度距離を取った方がいい。むしろ離れてから見たほうがよく見えるということもある。男はそう口にして眠りにつきました。

 夢の中で男は沈みゆく世界を目の当たりにしました。窓の外の世界のことです。肩や頭、唇の上に落ちてくるものがあたって、そのきらきらとした破片で視界は作られていました。

夢から覚めると男は静かな涙をこぼしていました。その涙があまりにも温かかったので毛布を剥ぐときにもまだ、男は涙を流していたことに気がつかないほどでした。立ち上がるときに落ちた涙は地面で凍てつき、白い柱となって天井を支えました。男は、寒さでこれ以上眠ることは出来なくなったのだ、と思いました。それほどまで部屋は寒く、気がつくと冷え冷えとした空間がどこまでも広がっていました。

男は探索するようにその冷たい空間を歩きました。

冷たい空間にひとり、というのも悪くない気分でした。なにしろ、ここにいるかぎりは世界の終焉についてあれこれ思い悩む必要もないのです。男は久しぶりに、暖かい食事のこと、置いてきた家族のこと、足の裏の感触のことを考えました。どれも男が長い年月放っておいたことで、ずっと動かないでいた足に血流が流れ込むようにじんじんとほのかな痛みをもって、暖かみを増していくのでした。そして考えうるべき最後の問題まで到着したとき、男は元の部屋に戻っていました。考えすぎて、答えが結論になってしまったのだ、と男は認識します。

玄関の方からとんとん、と柔らかな拳で叩かれたような音がしました。男がドアを開けるとそこには誰もおらず、ただ、小さな小包が残されているだけでした。男がその贈り物をそっと拾い上げると贈り物は雪のように消えてしまい、その宛名に書いてあった名前も思い出せなくなりました。男は、男だったものは空っぽになった脳みそを絞り、必死にその名前を思い出そうとします。しかし、そんな試みも空しく男は雪になって部屋を舞い、半分開かれた窓からひらひらと風に流されそのまま消えてしまいました。



『雪? 雪っていうのはなんの譬えなんだろう』

『このギフトっていうのは家族から送られてきたものだよね』

『何よりも、窓の外の世界っていうのが主観であるのならば男の部屋は世界に内包されている客観性みたいなものなんじゃないかなぁ。ほら、卵の殻が黄身を包み込むように』

 まだ、日の落ちない放課後。三人の少女がなにやら一生懸命話し合っています。

『だから違うって。卵は黄身で殻は卵じゃないんだよ』

『おかしいよ、おかしいよ。黄身を油で揚げた天ぷらは卵?』

『卵だって。卵なんてどこにも書いてないじゃないか』

『なんにせよ、悲しいお話だ。わたしこんな悲しいお話は初めてかもしれない』

『確かに。言われてみれば男が消えちゃうなんて悲しい』

『そう言われればそうかもしれない』

『なんだかわたしも悲しくなってきた』

 少女たちの立ち退きを命じる鐘の音があたり一面に広がります。リンゴンリンゴン。はしゃぐ声だけが残り、少女たちの影はだんだん薄くなっていきました。

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溶けだしていく日々 魔法少女空間 @onakasyuumai

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