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「私たち文芸部からすれば、『楠原律は超けちな人間だ』ってのが最初の感想だった。よくいるよね、予算を削減するのが仕事だと思ってる奴。あんたもその手の、自分が正しいと信じ込んだことを盲目にこなしたがるタイプなのかと思ったけど、どうやら違うらしい。だってあんたは、美化委員には予算を割いてやったもんね。わざわざ新規に、ごみシールなんてものを作った」

 楠原さんは鼻を鳴らして、「必要なら出すに決まってるだろ。なんのための生徒会だよ」

「まあね。だけど単に、粗大ごみ置き場が溢れかえる問題を解決したいだけなら、部活ごとにごみ出しの曜日を割り振ればいいだけの話じゃない? それなら一銭もかからない。周知が面倒、徹底させるのが大変って理由は、あんたに限ってはありえない。あんたは別に明確な目的があって、ごみシール作戦を美化委員に提案したんだよ」

「へえ、どんな?」

「ひとつは情報だね。あんたは学校じゅうの備品を独自のリストにして持ってる。ごみシールについても、どこがどんなごみをいつ出すのか予約の段階で記録しておくように、美化委員に指示した。生徒会とがっちり連携した計画なんだってね。担当者のあんたは当然、ごみのリストを自由に見られるはず」

「だから? ごみに関するデータは有益だろ? 削減させるにしろ、分類を徹底させるにしろ、現状をきちんと把握しておくことが第一だと思うけど?」

「確かにそうだね。だけどあんたがいかに頑張ったところで、全校生徒が理想通りの行動をしてくれるなんてことは起こりえない。むしろ副作用のほうが大きいんじゃないかな? 急激にルールを厳格にすれば、みんなごみ出し自体を面倒くさがるようになる。気付かなかった? まさか。あんたはこれを承知の上で、作戦にゴーサインを出したんだ」

「なにが目的で? 学校をごみだらけにしたいとでも?」

 琉夏さんはかぶりを振り、「ごみだらけにしたい、ではないね。あんたはこの学校に存在する、あらゆる物品の場所と内容を把握することにこだわってるんだ。そのためには、物ができる限り動かないほうが都合がいい」

 楠原さんはもとより低い声をさらに低めて、「私が一種の完璧主義のために、学校全体に迷惑かけてるって言いたいのか」

「ううん。それなら変態じみてるけど仕事熱心な奴だったね、で終わっちゃうもん。あんたにはもっと決定的な、そしてきわめて私的な動機があるんだよ」

 短い沈黙のあと、「――聞かせてみろよ」

「考えた順番に喋っていこうかな。まず前提として、楠原律は記録というものに憑りつかれてる。伝統だのなんだのって連呼するのも、誰も見もしない学校史についての展示を熱心に拵えたのも、皐月に対して覚書を残しておくようアドヴァイスしたのも、文芸部の部誌を保存するよう強く言ってきたのも、全部そう」

「それは否定しない。確かに私のこだわりだよ」

「昔からの?」

「ああ」

 この反応に琉夏さんは頷き、「だったらうちじゃなくて漣女に行きそうなもんだけどね。あんただったら不可能じゃなかったんじゃない?」

 漣女こと漣女子高校は、県内では漣高校に次ぐ歴史を誇る名門校だ。集まるのはむろん、優秀な女生徒ばかり。楠原さんの成績ならば、進学できた可能性が充分にあったはずだ。

「ま、あえて家から近い高校を選ぶ奴だってたくさんいるし、うちの進学実績もそれなりだからね。おんぼろさに目を瞑れば、悪くない学校だよ。ねえ皐月」

 急に話を振られたので私は驚き、「ええ、はい。お兄ちゃんも似たようなことを言ってました」

 私の兄である志島昂も、この杠葉高校の卒業生だ。現在は大学生で、宵宮市で独り暮らしをしている。

「それはいいや。で、楠原。あんたがこだわってる記録についてだけどさ、特に思い入れのある年代ってのがあるよね。三十年前。学校史の展示でわざわざ取り上げたのもその頃だったし、文芸部の部誌も真っ先にその時代のやつに手を伸ばした。私たちの活動の様子を知りたいなら、新しいのを見るのが自然なのにね」

 楠原さんは琉夏さんを睨んで、「せっかくだから、部誌は第一号から読んでやろうと思ったんだよ」

「だったら学校史の研究も創立当初から、つまり百年前から始めないと筋が通らない。他のいい加減な奴だったらまだしも、あんただからね。なぜ楠原律はここまで三十年前という時代にこだわるのか――けっこう悩まされたよ。その頃なにがあったのかとか、図書室で調べたりしてね。でも私に調べがついたことは全部、あんたの展示に書いてあった」

「当たり前だろ。図書室の資料くらい、私は目を通してる。それで?」

「私なりの結論はこう。あんたが知りたいのは歴史的な出来事じゃなく、もっとごく私的な出来事。伝統を重んじるはずのあんたが、あえて漣女じゃなくうちに来たのもそのためだった。杠葉高校じゃないと達成できない目的が、あんたにはあったんだ」

「それはなんだよ。分かるのか? ごく私的な目的とやらが」

 琉夏さんが小さく笑んだ。それは少しだけ淋しげな表情に、私には見えた。

「三十年前っていったらさ、ちょうど親の世代でしょ。親が今の私たちと同じくらいの歳だった頃。そう気付いたら、いろんなことが繋がったんだよ。あんたのお母さん、亡くなってるんだってね。目黒から聞いた」

「余計なことを」と楠原さんが小さな、しかし鋭い声をあげる。「なんでよりによって、こいつに言うかな」

 カラオケでたまたま会ったんだよ、と琉夏さんが吐息交じりに教えた。さらに続けて、

「あんたのお母さんは、三十年前にこの杠葉高校の生徒だった。三年も通えば、いろんな痕跡を学校に残していく。アルバムや文集みたいに比較的残りやすいものから、作文、ポスター、部室の落書きノートみたいに残りにくいものもある。後者は一定の期間が過ぎれば、纏めてごみ扱いだろうね。でも段ボールにぶち込まれて眠ってる可能性もゼロではない。ちょうどうちの古い部誌みたいにね。あんたはそれに賭けようとした。処分さえ遅らせられれば、監査の名目で探し当てられるかもしれない。自分の人生から飛び去ってしまったお母さんの思い出を、ひとつでも見つけられるかもしれないって」

 楠原さんはしばらくなにも言わなかった。やがてテーブルの木目を見つめるように視線を落とすと、小さく笑いはじめる。不意に一瞬だけ天井を仰ぎ、それから真正面にいる琉夏さんを見据えて、

「さすがだよ、倉嶌。だけどあんた、ちょっと詰めが甘いな。分かってるようで分かってない」

 琉夏さんはさして慌てた様子もなく、「推理に間違いがあった?」

「あんたがなにを言い当てたかったのかによる。生徒会での行動は全部、私が母親の痕跡を探そうとしてやったってのは確かだ。だけどそれは、思い出に浸りたいからじゃない」

 眉根に皺が寄る。楠原さんは長々と息を吐き出して、

「私にとって母親は、ずっと理解できない存在だった。餓鬼だったから分からなかっただけだろうって、本当は愛されてたんだろうって、誰もが言う。だけど私にとってみれば、あいつはただ理不尽な存在でしかなかった。入院中に書き残した日記を読み返してみても、感想は変わらなかったよ。当時の私が正しくて、あいつが間違ってたって。だから徹底的に調べたくなったんだ。もしかしたら分かり合えたかもしれない、なんて中途半端な可能性を潰したくなった。自分の中で母親の評価を定めて納得しなかったら、いつまでも私は宙ぶらりんのままだから。親を嫌う理由が欲しくてやっただなんて、冷酷なのは分かってるよ。でもあの頃の私に寄り添ってやれるのは私だけだ。くだらない一般論を、自分たちにとって心地いい親子の物語を振り回す連中にはうんざりしてた。ただ真実に基づいて判断できるのは、もう私しかいないんだ」

 は、と吐き捨てるように発して、楠原さんが椅子から立ち上がった。表情は変わらずに険しい。怒りが、悔しさが、私などには想像もつかない数多の感情が、そこには滲んでいるように思えた。

「なんであれ、私が自分の目的のために生徒会での立場を利用したのは事実だ。あんたの想像通りだよ、倉嶌。私はどうしようもない、身勝手で他人の気持ちが分からない極悪人だ」

「だから?」と琉夏さんが訊いた。「どう落とし前を付けようっての?」

「決まってるだろ。私は生徒会を――」

 そのとき、ばたん、と勢いよく部室のドアが開いた。目黒さんが駆け込んでくる。弾んだ息を整えながら、満面の笑みを湛えて、

「美化委員から連絡があったよ。生物準備室の棚、粗大ごみとして処分されるんだって。寸法を確認してみたんだけど、ちょうどこの部室で使えそうなの。律ちゃん、回してあげていいよね? 使える備品をリサイクルするために、ごみシール作戦を始めたんだもんね」

 茫然としている楠原さんに、彼女は歩み寄って、

「喧嘩しながらでも、ちゃんと文芸部のことを考えてたんだよね。律ちゃんが誰より優しいってこと、私は知ってる。本当の本当の本当のあなたを、私は分かってるんだよ、律ちゃん」

「雛。あのさ、私は」

 やられたなあ、と芝居がかった調子で、琉夏さんが楠原さんの言葉を遮った。「生徒会が私たちのために動いてくれてたなんて、ちっとも気付かなかった。くれるならありがたく頂戴するよ。それで戦いは終わりってことで」

 目黒さんは掌を打ち鳴らして、「そうと決まったら、移譲の手続きをしないと。倉嶌さん、志島さん、後で書類を持ってくるからよろしくね。ほら律ちゃん、戻ろう」

 腕を掴み、引っ張っていこうとする。最初は抵抗を示した楠原さんだったが、けっきょく諦めたように力を抜いた。目黒さんと隣り合って、出口へと向かっていく。

「楠原」椅子にだらりと腰掛けたまま、琉夏さんが声を張り上げた。

 こちらを振り返った楠原さんの双眸。鋭く輝いているばかりと思っていたそれが深い翳りを帯びていたことに、私はこのときになってやっと気付いた。

「なんだよ、倉嶌」

「私はあんたのこと嫌いだけど、依頼を持ち込まれたら引き受けてやってもいい。たとえば探し物なんてのは、探偵の仕事としては王道だよ」

「誰がお前になんか」と初めて楠原さんは笑った。「探偵の腕は認めてやるにしても、私もお前のことは大嫌いだよ」

 べえ、と琉夏さんが幼児のように舌を出す。ふたりの姿が、ドアの向こうへと消えた。

 私たち文芸部と生徒会の争いは、これにて一段落ということになる。もっとも琉夏さんと楠原さんの個人的な意地の張り合いはまだ続いていくのだが、その話はまた別の機会に――。

「さて、それじゃ皐月」肩をぐるぐると回しながら、琉夏さんが私に呼びかけた。「壊れた本棚、解体するか」

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きっとあなたを許さない 下村アンダーソン @simonmoulin

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