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「そういうわけなので。なんというか、覚悟して戦ってくださいね」

「んあ」

 伴瀬さんとのやり取りを、迷った挙句に琉夏さんに伝えた反応がこれである。あまりの緊張感のなさに、私は心底呆れた。今さら気持ちを変えられるはずがないのは承知していたにしろ、もう少しなにか――。

「部長。相手は一般生徒にそれだけ信頼されてる人間なんですよ。不安とかないんですか?」

「不安ねえ」テーブルに頬杖を突いたまま、平然と笑っている。「皐月は中立するって話になってたじゃない? なのにいいの? 私にそんなこと言っちゃって」

「いえ、それは――すみません。生徒会側に肩入れしてるように聞こえますよね」

「ううん、全然。むしろ全力で私のアシストをしてくれたなと思って」

「はい?」

 首を傾げた私に向け、彼女は悠然と、「欲しかった情報が手に入っちゃったんだよ。がっつり活用させてもらうからね」

 どういうことかと尋ねたが、まあ楽しみにしてな、とにやつくばかりで詳細は教えてもらえなかった。生徒会との直接対決まで勿体ぶろうという腹らしい。

 破損した本棚について話をしに行く、と先日生徒会から通達があった。楠原さんじきじきの来訪である。事実上の宣戦布告として、琉夏さんはこれを受け取った。

 生徒会側の名目は、破損状況の確認と今後の方針の話し合い、とのことらしい。文芸部の活動の視察も兼ねるので、発行物のバックナンバーを用意しておくようにと指示されていた。期間は「創刊号から現存するものすべて」。

 今ではすっかり弱小集団と化してしまったとはいえ、杠葉高校文芸部の歴史自体はそれなりに長い。毎年学校祭の時期に発行される部誌『アモール』は最新が第三十号、すなわち今年で三十周年ということになる。

 そんな大昔のものが残っているわけが、と私は青褪めたのだが、琉夏さんの手で首尾よく発掘された。作業台の下の段ボールに詰め込まれて、纏めて眠っていたという。がらくた置き場とでもいうべき混沌としたスペースを、よくぞ探す気になったものである。ともかくもそれで、生徒会を迎え撃つ準備が整った。

 約束の時間きっかりに、楠原さんは文芸部に姿を現した。相変わらずの眼光で、品定めするようにあたりを見渡してから、ゆっくりとテーブルに付く。

「指定通りのブツを用意しといたよ」琉夏さんが密売人のようなことを言う。「どうぞ、ご確認ください」

「よく見つけたじゃん。捨てたとか言われるのかと思った」

 もっとも古い号を手に取り、ぱらぱらと眺める。眉根を寄せたその顔つきは、まさに真剣そのものである。私は息を呑んで縮こまっているしかなかった。

「部誌を表に出すのは学祭のときだけ?」

「常にオープンだよ。欲しいって奴がいて、こっちに在庫があれば譲る。もちろん試し読みも自由。まあ、そういう奇特な奴が現れたことはないけどね」

 楠原さんは冊子に視線を落としたまま、「なんで真面目に宣伝しないの? 文芸部って広報の担当者はいないわけ?」

「あいにく部員がふたりだけだからね。公式サイトはいちおうあるし、私がたまに更新してるけど。それともポスター作って貼れって? そんなもん誰も見ないよ」

「真っ当に活動しろって言ってんだよ。内輪の遊びじゃなくて高校の部活動なんだって自覚、志島はともかくあんたにある? 小説だって一本も書いてないんだろ」

「私の専門は評論だから。立派な創作でしょ? 文句言われる筋合いないね」

「なんでもいいよ。とにかく文芸部にとっての部誌ってのは、最大の成果物なわけだよ。きちんと残してあったことだけは素直に評価する。資料としてあとの世代にそっくり引き継ぎできるよう、今後も適切な管理をお願いしたいね」

 はん、と琉夏さんは不貞腐れたような声を出して、「スペースの都合があるんだよね。見ての通り、この部室も広くはないんだよ。肝心の本棚も壊れるし、保存が難しいわけ。段ボールにぶち込んで隅に積んでおくことはできるよ。でもそれじゃ活用してるとは言えない」

 この返答に楠原さんは口調を荒げ、

「部誌は部の歴史そのものだろうがよ。なにを差し置いても保存のすべを考えるべきなんだよ。監査のときには必ず提出を求めるからな。取っとけ」

「足の踏み場もない部屋で活動しろと? ここは私たちの部室なんだけど。ある程度は自分たちの快適性を重視したいね。工夫しろ、整理整頓しろってだけじゃ限度がある」

「そのへんは程度問題だよ。でもあんたらには杠葉高生として、伝統を守って受け継いでいく責任があるんだってことを忘れるなよ」

 言いながら、楠原さんが部誌の第二号に手を伸ばした。まさか古いほうから順番に、すべての内容を確認していくつもりなのだろうか。

「そういえばさ、目黒はどうしたわけ?」世間話のような調子で琉夏さんが尋ねる。「あいつは担当から外れたの?」

「別の仕事に回ってもらってる。終わったら来るよ。私じゃなくて雛が相手なら言いくるめられそうとか思ってる? どっちだろうと生徒会の人間なんだから、結論は同じだよ」

「あんたたちコンビに温情は期待してないよ。目黒は目黒で、物腰柔らかに見せかけて胸に一物あるタイプでしょう。あんたみたいな裏表のない奴のほうが、私としてはむしろやりやすい」

 楠原さんの眉間にくっきりと縦皺が生じた。「――そうかよ」

 一触即発といった気配である。あまりにも心臓に悪い。

「やりやすいってのは複数の意味でね。あんたなら泣かせても良心が痛まないし、なにより正面から素直に殴ってきてくれたほうが、カウンターを決めやすい」

 盛大な舌打ちが聞こえた。掴み合いに発展するのではないかとさえ思ったが、幸いにしてそれは起こらなかった。楠原さんの自制心に感謝した。

 とはいえこの挑発で、彼女がそうとうに苛立ったこと自体は明らかだ。舵取りを誤ればどうなるか知れたものではないのだが、例によって琉夏さんの顔には緊張感の欠片すらなかった。自信過剰もいい加減にしてもらいたいところである。

「本棚。壊したとこ見せろ」冊子を置き、楠原さんが立ち上がる。

「そこの壁際だよ。いちばんでかいの」

「言われなくても分かるよ」崩落した棚板に顔を近づけ、覗き込みながら、「確かに木自体が歪んでるな。だけど倉嶌、あんたが日常的にここに頭を乗っけて昼寝してたのは事実なんだろ? 本来ならそれだけで反省文ものだ。なにより一般的な用途以外で使用したとなると、生徒会で庇うのは不可能だよ」

「そうですか。まあいいよ。で、けっきょくのところ生徒会の判決は?」

「結論は変更なしだ。買い替えの予算は出せないし、回せる備品もない。年度頭に付いた修繕費だけでどうにかしてもらうしかないね。その条件を飲むなら、あんたの昼寝は生徒指導には黙っててやるし、棚も老朽化で壊れたってことで手打ちにしてやる」

 琉夏さんは軽く頭を上下させてから、「言いたいことは以上?」

「――以上だよ」わずかな躊躇いを覗かせたのち、楠原さんが答える。「で? 文芸部サイドに言い分があるなら聞いてやるよ。あんたのことだから、なんか用意してんだろ」

「当然」と琉夏さんは笑い、「これから話してあげるよ。あんたの一連の行動の――いや、楠原律という人間が生徒会に入った、本当の目的について」

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