春、山の囃子

 季節は春。信州の御山みやまを満開の桜がかざっている。山間やまあいう花道を真っ黒なワゴン車がわだちを残しながら走っている。うららかな春の陽光を浴びて、ギラリと車体を輝かせながら、山奥を目指して一所懸命に駆けている。桜吹雪がボンネットの上で舞い上がり、ルーフを超えて流れていく。

長閑のどかな所ですね。を載せてなけりゃ、花見でもしたい気分だ」

 館山たてやま良介りょうすけは自動車のハンドルを切りながら、兄貴分の瀬尾せお和樹かずきに話し掛けた。瀬尾せおうなるように返事をするだけで、会話しようという意思はないようだ。トランクに積んでいる荷物のことを思うと、暗然あんぜんとした気分になるのもしようがないはずである。二人のヤクザはを運んでいた。

「東京に帰ったら車を洗わないとな」良介りょうすけは桜並木にいろどられた細道に自動車を走らせながら思った。春の陽気に当てられて、死体は早くも腐敗し始めているようだ。さっきから、かすかにえた臭いが漂っている。ここまで無事にやって来たが、帰路のことを考えると気は抜けない。

「ああ、ここが目的地だ。後はアイツらに任せることにしよう」

 道なき道を往き、桜の森を抜けると、一軒の小さな山小屋に辿り着いた。瀬尾せおは低い声で言うと、軽やかに車から飛び出して、じきに山小屋の扉を叩き始めた。良介りょうすけは兄貴分が緊張していることに気がつき、ふところに忍ばせているピストルを意識せずにはいられなかった。瀬尾せおの後に付きながら、いつでも手を伸ばせるように、ジャケットのボタンを外した。

「ようこそ、いらっしゃいました」

 飴色あめいろをした木製扉が開かれた。扉の向かい側には、涼しげな目元をした坊ちゃんが、姿勢を正して控えていた。坊ちゃんは少年らしいソプラノの声で挨拶すると、うやうやしくお辞儀じぎをしてみせた。

「まさか、この坊主に処理させる気じゃないよな」良介りょうすけはギョッとせずにはいられなかった。これから行われるだろう仕事を思うと、あまりにも場違いな存在である。ヤクザになって相応の経験はしてきたが、どんな修羅場しゅらばよりも残酷な光景であるように感じられた。小屋の内は暗闇に閉ざされて閑散かんさんとしている。扉から差す陽光が床を縁取り、かえって陰翳いんえいを濃くしているみたいだった。

「おや、お待ちしておりましたよ」

 良介りょうすけは素早い動作でふところからピストルを抜き出し、暗闇に向かって構えた。誰もいないと思っていた部屋の奥から声がしたからである。目をらして見ると確かに何者かがいるようだ。だが、影にひそむ者は銃口を突きつけられていることに無関心らしい。やがて、目の前に一人の青年が現れた。

「仕事の準備は整っています。ジン、旦那様だんなさまからかぎをお預かりして、荷物を工房こうぼうに運んでおきなさい。直に解体バラしてしまうつもりだから」

 ジンと呼ばれた少年は良介りょうすけからワゴン車のかぎを受け取ると、死体を運び入れるために働き始めた。良介りょうすけはピストルを構えたまま、青年を観察した。青白いひたいに掛かる黒髪を華奢きゃしゃな指先でいじりながら立つ青年の身なりは整っている。どちらかと言えば、美男子の部類に入るのだろう。

「銃を下ろせ、これから大仕事がひかえてるんだ」瀬尾せおに命じられて、仕方がなく銃口を下ろした。山小屋の中にしばらくの静寂が訪れる。意外なことに口火を切ったのは瀬尾せおだった。「あんたが新しい清掃屋か」

「はい。先代の主人は三年前に引退しました。今ごろは山で隠棲いんせいしていることでしょう。私もお役御免やくごめんになったら山に帰るつもりです。ジンは私の後継者の一人なのですよ」

 青年は穏やかに微笑みながら言う。死体をもてあそぶ者に似つかわしくない表情だった。だが、腕前は確かなのだろう。彼らは死体を消すすべを熟知しているらしい。ヤクザの間では有名な話だった。

「ああ、荷物の搬入はんにゅうが終わったみたいだ」

 坊ちゃんの仕事は早かった。きっと、今までにいくつもの死体を運んできたに違いない。坊ちゃんは良介りょうすけに車のかぎを返すとともに、一枚の紙片を手渡してきた。何かを訴えようとしているらしい。嫌な予感がした。

瀬尾せおさん、もう帰りましょう。東京に仕事を残している。後はこいつらに任せましょう。俺たちは死体の処理に関しては素人しろうとだ」 

 瀬尾せおは小さくうなずくと、きびすを返して山小屋を後にした。良介りょうすけは彼を追いながら、紙片に目を落とした。そこには小さな文字で「危ない早く帰って」と書かれていた。どこからともなく、祭囃子まつりばやしの音が聞こえてきた。二人のヤクザはワゴン車に駆け乗ると、桜の森に向かって一目散に走って行った。

 桜の花道にわだちを残しながら、車は山を下ってゆく。先程から遠くで祭囃子まつりばやしの音が響いていることに、二人のヤクザは気がついていた。だが、彼らは決して振り向こうとしない。満開の桜の木の下で饗宴きょうえんもよおされていることを知っているからだ。そして、彼らが何を馳走ちそうにしているのかも察していた。

 桜の森の下を真っ黒なワゴン車が走っている。祭囃子まつりばやしに追われるようにして懸命に走っている。結局、山のふもとに辿り着くまで、二人はかたくなに口をつぐんで話そうとしなかった。

 

                                                      (了)


                                           




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