泥水を啜る・クトゥルー神話掌編小説集

胤田一成

まえがき

「君、こんな神話は知っているか?」

 

 これは私が高校生だった時の記憶だから、W君と交流をってから十四年の歳月が流れたことになる。青白い額に掛かる髪を華奢きゃしゃな指先でいじりながら、彼はポツリポツリと奇妙にねじれた御伽噺おとぎばなしを語ったものだ。

 どちらかと言えば、厭世的えんせいてきな性格をしていたW君であったが、神話を語る時だけは違った。何というか――、目が爛々らんらんと輝いているのだが、ある種の病質な喜悦きえつが含まれていたような、ゾッとする物凄ものすごさがあった。物語の神々が折に触れて見せる残酷な振る舞いに、彼は魅了されていたに違いない。

 神話に関して言えば、W君は実に博識はくしきだった。世界中の神々を知っていたし、また、それらが演じた狂態きょうたいについても詳しかった。大体において、現代の人間とはありがたい説法とか説話について無関心なものである。少なくとも、私は世界の開闢かいびゃくや起源を追うより、神々が人目にさらした失態しったい酔態すいたいつつく方が好きである。全知全能の神々より、人間味溢れる神々の由来ゆらいを知りたいと思ってしまうのである。

 

「君、こんな神話は知っているか?」

 

 W君は多くの神話を語ってみせたが、その奇怪な夢物語を披露ひろうした時ほど、情熱をかたむけたことはなかったと思う。クトゥルー神話、と彼は言っていた。それは作家達の手によって創造された神話であり、今もまだ膨張し続けている神話なのだ、と彼は熱心にいていたことを記憶している。

 先にも述べたように、私は壮大な神話を好まない傾向がある。てのひらに包めないほどのスケールの物語は苦手なのだ。当時の私にとって、クトゥルー神話は大きすぎたのだと思う。まるで悪夢を体現したかのような異形いぎょうの神々には心惹こころひかれたが、「迷い込んだら抜け出せないのではないか」という不安が最終的にはまさったのである。また、そう思わせるほどに、W君の話しぶりには熱が込められていた。

 あれから随分ずいぶんと長い月日が流れたことになる。私は人生の袋小路ふくろこうじに迷い込んでしまったらしい。眠れない夜を輾転反側てんてんはんそくしながら過ごし、不安に背中を焼かれては狂気じみた物語を原稿用紙につづるようになった。W君に導かれなくとも悪夢にとらわれてしまったわけである。

 程なくしてラヴクラフトの諸作品を手に取り、次第しだいに神話世界に傾倒けいとうするようになっていった。クトゥルー神話を彷彿ほうふつとさせるようなショートショートを書くようになるまでに時間は掛からなかった。眠れない夜に脳裏のうり去来きょらいする物語を原稿用紙につづれば、自然とラヴクラフトが想像した世界に通じることに気がついたのである。

 W君が魅了された世界が、そこには広がっていた。「ああ、なるほどなぁ」と今になって思うが、学生時代のアルバムを開いて旧友の顔を見る元気はない。思い出の中でこそ、美しく見える情景というものもある。ぼんやりとした薄靄うすもやに包まれている方が、彼にとっても私にとっても、幸福であるような気がするのである。

 


 追記

 告白すると、私はラヴクラフト達が築き上げた神話体系にさほど精通していない。無論、手に負える限りの書物は紐解ひもといているが、それでも、『アーカム・ハウス』を創立したオーガスト・ダーレス達のような圧倒的なまでの情熱と自信をいだいているか、と問われれば答えにきゅうしてしまう。

 これから、私なりにクトゥルー神話体系へアプローチさせてもらうことになるが、どうか寛大かんだいこころをもって許していただきたい。

 最後になるが、私にクトゥルー神話の魅力をいてくれた、W君との思い出に深い感謝をささげる。

 

 令和四年十一月二十二日         胤田たねだ一成かずなり

 









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