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 三人目の死体が発見されたのは6日目の夜だった。


 海岸沿いに顔の潰れた死体が打ち上げられ、野良犬がしきりに吠え立てているところを捜索中の警察官が発見した。


 女性の死体で、年齢は40代から50代前後。死後硬直の具合から飛び降りたのは早朝ごろで、少し離れた崖から飛び降りたものだと推測された。

 数日前、羊と風音が2人の少年少女を目撃した、あの断崖絶壁である。


 警察はポケットに入っていた免許証や備品から、死体はN大学教授・由高環のものだと断定した。自殺か他殺かはまだ不確定だったが、やがて彼女の泊まっていた民宿から、返り血を浴びた仮面……天主堂から盗まれていた、ガラサ神の供儀に使われた仮面……が見つかった。


 さらに部屋に置かれていたスマートフォンから、遺書と見られる文章がメモ書きで発見された。


 以下はその抜粋である。


『拝啓


 まずはこの度六門島で起きた数々の殺人で、皆様を不安がらせてしまったことをお詫びいたします。


 八十道の教祖代行・道楝並びに『阿修羅』と名乗る巨漢を殺したのは、私、由高環で間違いありません。


 この事件の犯人は私です。


 当然人を殺めると言うのは許されることではないと重々承知です。それでも私が、彼らの生命を断つと決心したのは、この島に来る数ヶ月前のことでした。


 何を隠そう、私はこの六門島の出身でございます。


 この島で生まれ育ち、そしてこの島を愛しておりました。何処までも広がる海、囲まれた大自然、ですがご存知の通り……幾分宗教色の強い島でもございましたので、私もその影響を大いに受けて育ちました。


 島の他の子と違わず、私もまた八十道の信者だったのです。物心ついた時から、家には八十道教祖の本がずらりと並び、毎日仏様を拝む代わりに、教祖様を崇め、教会で祈りを捧げる代わりに教団に尽くして参りました。生まれた時からそれが当たり前でしたので、特に疑問に思うことはありませんでした。


 八十道のおかげで、世界の平和は守られている。

 教祖様のおかげで、私たちは幸せに暮らしていける。


 そう信じておりました。

 私たちの先祖は、過去この島でとてつもない過ちを犯し……禁教のことでございます……ただ信じる神が違うと言うだけで(ただ思想が考え方が違うと言うだけで)何百何千何万という人々が殺し合い、その尊い命を捨ててしまったのです。あの時も、大地が血に濡れました。海が赤く染まりました。ですから私たちは、一生、英霊たちに許しを乞い、謝り続けなくてはいけないのです。


 物心ついてからと言うもの、私は何度も繰り返し、教祖様からそう教わりました。『研究会』で初めてそのを知った時、とても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。自分が生まれてきたことが、のうのうと生きていることが申し訳なく思いました。嗚呼、私はなんて罪深い人間なんだろう! 


 と思いました。


 愛や慈しみと同時に、罪悪もまた子孫へと受け継がれるのです。きっとこの世で一番醜いのは私です。この世が汚いのは私の罪のせいなのです。一生、どんなことをしてでも彼らに償っていかなくてはならないと心に誓いました。


 教祖様は、何でもお見通しでした。罪深く迷える子羊である私たちを導いて、正しい道を示してくださる。教祖様だけが我々を浄化してくださる。


 そう信じておりました。

 就職し、島を離れてからも、私の教祖様への信仰は揺るぎませんでした。ですが私の元にもやはり悪魔が現れました。悪魔は、どうにか私に棄教させようとあの手この手を使って誘惑してきました。私の決心を鈍らせ、天国への門を閉ざすことが彼らの狙いなのです。


 他人の信心を、考え方を、無理やり変える権利が誰にあるでしょうか。


 彼らは、自分たちだけが唯一正しいと、自分たちは特別で崇高な存在なのだと、驕り高ぶり見下しせせら嗤いました。当時私は憤りました。貴方様がどれだけ素晴らしい考え方をお持ちなのか知りませんが、あろうことかこちらの方が間違っているなどと論点をすり替え、穿った見方を押し付け私を洗脳しようとしてきたのです!


『研究会』で聞いていた通りでした。六門島の罪はまだ生き続けていたのです。悪魔はまだ存在している。改宗を迫り人の心を操作しようとする鬼が、まだこの世に蔓延っているのです。しかし私は教祖様から『対策』も聞いておりました。教祖様は何でもお見通しです。私は悪魔や鬼に対抗するため、私の罪を忘れないため、より一層献金に励みました。


 高額な数珠やクリスタルの仏壇を買うことは、偉大な教祖様への献身の現れであり、我々が受け取るのは無償の愛でした。モノが欲しかった訳ではありません。ただ罪を償いたい、その一心でした。


 もちろんそんなちっぽけな金額では、私の罪は消えるはずもありませんが、それでも何かせずには要られなかったのです。家から家具がなくなり、日に日に食べるものがなくなっても、私の心は決して満足しませんでした。給料がなくなれば、借金をし、私は私の全てを教祖様に捧げました。献金をしている時だけ、私の心は幾分か晴れ渡りました。


 過ちが去ると書いて過去と読みますが……ですが私の過ちは、まだ始まったばかりでした。


 道楝と知り合ったのは私がまだ小学生の時です。


 思えばあの時から、道楝は私に目をつけていたと思います。『研究会』では、いつも彼の膝の上で教祖様の話を聞いていました。彼はいつも私の手を引き、人目のつかないところまで連れて行っては、力強く私を抱きしめました。彼は毎回、


(中略)


 ……そして中学生の時、初めて彼の子を身籠りました。』

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