第五章 生門

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 東の空からゆっくりと朝日が顔を覗かせる。

 仮面の少女が、反り立った崖の淵に立ち、白装束をはためかせていた。袖の辺りに付いた返り血は、既に乾いて黒く滲み始めていた。


 夜が明ける。暗闇の世界に光が差し込み、次第に輪郭を取り戻した岩肌が、揺れる草花が六門島の形になっていく。忌まわしき伝説の島……血塗られた大地にもこうして再び朝が降る。


 ちょうどあの時も同じような朝だった。少女はそう思った。


 あの時……無垢な少女が少年の名を呼び、誰の耳にも届かないまま、ガラサ様に心臓を捧げた日。それに、あの時も。この島に逃げ延びた潜伏キリシタンが、時の大名によって力攻めされた日も。あの時も同じように陽光が島全体を照らし、同じように大地が血塗られた。


 力攻め……全員皆殺しにせよ、と言うのがお上の命令であった。


 禁教の時代、伴天連追放令によりキリスト教は邪法とされ、信者たちは徹底的に排斥された。

 あの日、あの朝、島全体を船がぐるりと囲み、女子供も容赦無く、皮を剥がれて肉を削ぎ、海岸に並べられた十字架の下にはずらりと生首が転がっていた。山に火が放たれ、棄教を拒んだ人々はほとんどが生きたまま焼かれた。


 キリスト教から仏教や神道に改宗を求められ、拷問されることを「崩れ」と呼ぶ。この「崩れ」により

斬首、

永牢、

火炙り、

水責め、

氷責め、

熱湯責め、

木馬責め、

焼印押し、

竹鋸引き、

飢餓拷問

……など様々な迫害が行われた。


 斬首刑になった者は約一ヶ月間獄門所で首を晒された。

まだ十歳にも満たない者が牢に入れられ、六十年以上そこで過ごし亡くなった子もいた。火炙りのやり方だけでも……相手を苦しめるため……実に数多くの方法が開発されたが、長くなるのでここでは割愛する。


 一つだけ、この時代一番過酷な拷問と言われたのは

「穴吊りの刑」

であり、それは約一メートルほどの穴へと逆さに吊るす……と言うものである。


 吊るす際、内臓が下がらないよう体をきつく縛り、頭に血が集まるのでこめかみに穴を開けて血を抜き、できるだけ苦しみを長引かせ簡単には死なないようにした。さらに穴の中を汚物で満たし、地上で騒音を立て相手の精神を徹底的に破壊する。穴吊りで意識が朦朧としたところに

「念仏を唱えよ」

と迫るのである。外国人宣教師などは日本名に改名させられ、日本人の妻を強制的に与えらえた。


「崩れ」の中でも最も有名なのが「五島崩れ」である。

 有名な拷問である「牢屋の窄」では、わずか六坪の部屋に二百人以上の潜伏キリシタンが捕らえられ、座ることも許されず、飢餓や疲労によって老人や子供など弱い者から次々と死んでいった。


 六門島でもまた、監視の目は厳しく、先住民による私刑が頻繁に行われていた。

 一度目をつけられると、潜伏キリシタンは先住民たちに家財を根こそぎ奪われ畑を荒らされ、作物は売り捌かれた。外国の行使以外、誰も咎める者などいなかった。


 拷問が「合法」だった時代の話である。

 私刑が「正しい」とされていた時代の話である。


 この時代は、「崩れ」は明治時代まで、約四百年ほど続いた。


 あの時、生き残りはほとんどいなかった。

「生きる」など。

その言葉が、どれほどこの島で軽々しく扱われ、そして虚しく響いたことだろう。


 雲の切れ間から見え隠れする陽の光を見て、少女は、風の神はあの日のことを思い出していた。

あの日……あの時。追い詰められた人々は次々に崖から飛び降りて命を絶った。棄教するくらいなら殉教して天国に行くことを夢見たのである。多くの痩せ細った体が崖から木の葉のように宙を舞い、その命は一瞬陽に照らされ、それから永遠に荒波へと飲まれていった。


 ちょうどあの時も同じような朝だった。


 そして今日もまた……同じように、一人。

 仮面の少女の視線の先で、一つの命が凶風に攫われ、下へ下へと堕ちて行った。


『第三の殺人』は、6日目の早朝に起こった──……。

 


 

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