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「45分……ってとこね」


 スマホのストップウォッチを見ながら、風音が頬を流れる汗を拭った。羊は息を整えながら、先ほど登ってきたばかりの道を振り返った。


 今回はタイムアタックのように出来るだけ急いで(もちろん怪我に十分注意して)登った。もう何度目かになる登頂で、慣れ始めたのもあったし、何より風向きや、雨が降っていないだけでも格段に登りやすい。この調子なら、慣れた地元の人だったらもっと早いタイムでも登れるかもしれなかった。


 羊は視線を頂上の建物の方に戻した。星は見えない。空にはまだ、厚い雲が覆っている。一面に広がる黒い空を背景に、六角形の影が浮かび上がっている。血塗られた惨劇の舞台が、不吉な門の入り口を開けて2人を待っていた。


「……中に入る前に、もう一度外周を確認しましょう」


 風音が顔の前でスマホを盾のように構え羊に目配せした。つい数時間前と同じように、開かずの天門から時計回りに、天主堂の壁をじっくり観察して歩く。足元は泥濘んでいて、大勢の足跡が交差クロスして、歪な水たまりを作っていた。第二の死体を発見した時、そこら中を男たちが歩き回ったのだった。


「……この足跡から犯人を特定するのは難しそうね」

「ごめん」

「謝ることはないわ……本当。封鎖されてるわね」


 風音は死門の前まで来ると、スマホのカメラ越しに、板で補強された扉をまじまじと見た。時折閃光が一瞬闇を切り取ったかと思うと、小さなシャッター音が遅れて聞こえて来る。


「この板が万が一外されてたら、さすがに分かると思うよ」

 羊は、釘でしっかりと扉に打ち付けられた板を見ながら補足した。

「だとしたら」

 風音は壁伝いに神門の方に歩きながら小首を捻った。死門も、獄門も、それから今は開け放たれた鬼門も、何処にも板が壊されたような形跡はなかった。


「やはり犯人は駐在さんから奪った鍵を使って、中に入ったんでしょうね」

「でも、どうしてだろう?」


 羊が後に続きながら顔をしかめた。神門の次には、返り血がべっとりと付いた獄門があり、その前には血塗られた鉈が突き刺さっているはずである。その強烈な死臭は、すでに此処にも漂ってきていた。なまじ視界が冴えない分、余計に嗅覚が研ぎ澄まされてしまう。


「どうして犯人はわざわざ天主堂に?」

「それは……俳句になぞらえるためじゃないの?」

「でも、俳句には一言も『天主堂』なんて単語は出てこないんだよ。なんでリスクを背負ってまで、天主堂こんなところに登ってきたんだろう?」

「仮面を取りに来たんじゃない? 荒草くんの推理通りよ。犯人はすでに第三の殺人を計画していて、それで天主堂にやって来た」

「うーん……」


 自分で言っておきながら、羊はすでにそう思えなくなっていた。だとしても、危険リスキー過ぎる。島民が必死になって人を探し回っている間、短時間で被害者の腕を切り落とし、誰にも見つからず山に登り、なおかつ密室まで作っていくなど……正に電光石火の神業ではないか。


「まさか本当に……」


 羊がそう言いかけた時だった。風音がふと立ち止まった。羊が肩越しに覗くと、まるで誕生日ケーキの蝋燭のように、地面から生えた鉈がうっすらと見えた。


「あの凶器から指紋が見つかるかしらね?」

「最近じゃドラマとかでもやり過ぎて、ちゃんと指紋は拭いていく犯人が多いって聞いたよ。それに」


 今回の連続殺人は、周到に計画されたものだろう。羊はそう睨んでいた。何せ第一の殺人が恐らく約3時間以内、第二の殺人に至っては、2時間弱の犯行である。なので、きっとこの事件の犯人はそんなヘマはしない。


「動機から考えると、一番怪しいのはやっぱり……」


 獄門にこびり付いた血液は、すでに固まりかけていて、奇妙な文様を描き出していた。血の臭いを嗅ぎ付けた蝿が、嬉々としてその周りを飛び回っていて、それがまた蠢く絵画のようで気色が悪かった。2人は少し迂回して、会話しながら次の生門に向かった。会話をしていないと、沈黙が煩くなり、暗闇に不安を駆り立てられるのだった。


「……村長よね。村長が山伏を雇って、教祖代行を殺させた。これが第一の殺人。そして、真実を知る山伏が邪魔になって始末した……」

「でも、村長は僕らとずっといたよ」


 羊は反論した。生門もまた、神門と同じように、きちんと施錠されていた。これも数時間前羊たちが何遍も確認したことだ。


「あの時僕らといた人には犯行は無理だ。丈治さんも容疑者から外れる」

「あの時誰があの場所にいて、誰がいなかったか、きちんと証明できる?」

「いや、それは……」


 さすがに無理だった。大勢の人間が暗がりの中を奔走していたのだ。しかし、時間的に見ても、やはり村長が犯人だとは思えない。


「とりあえず、その件は後から考えましょう。その前にまずは密室のトリックから」


 2人はいつの間にか鬼門の前にまで辿り着いていた。六つの中で、唯一壊された門は、その扉の向こうに深淵を覗かせ、ひゅうひゅうと不気味な音を立て2人を手招いていた。羊は無意識にゴクリと喉を鳴らしていた。此処が一番、腐臭が強かった。時折、ガタゴトと物音がするのは烏か鼠だろうか? それとも……。


「……あの。もし怖くなったんなら、別に無理して入らなくても」

「何言ってるの。此処まで来たんだから、きちんと検証しましょう」

「……わかった。じゃ、行くよ」


 風音の声に背中を押されるように、羊が恐る恐る館の中に一歩を踏み出す。中に入ると、まず散らばった机や椅子などが白い光に照らされて2人を出迎えてくれた。


「本当。仮面が無くなってるわね」

 壁際を見上げ、風音が興奮気味にシャッターを切った。羊は懐中電灯を回し、慎重に周囲を確認した。改めて見ると、何かが変であった。犯人の狙いが鬼の仮面なら、何故此処まで展示品を荒らす必要があったのだろう?


「まるでちょっとした模様替えをしたみたいだ」

「此処で何かあったのかしら?」


 それから2人は来た道を折り返すように、建物の中を反時計周りに回った。獄門の前にまで辿り着くと、目的の両腕が闇の中に浮かんでいるのが見えた。こちらも、すでに死後硬直が始まっており、右手のひらの中にしっかりと鍵を握って離そうとしない。釘で打ち付けられた太い腕を見上げ、風音が感嘆の声を上げた。


「すごいわね……スッパリ斬られてる」

「傷口をきちんと検証すれば、どんな凶器が使われていたかも分かるはずだよ」

 どの角度からどのような強さで斬られたか。刃物の形状はどうか。最新の科学調査では全てが丸裸にされる。凶器は第一の殺人と同様、外にあるあの鉈で恐らく間違いないだろう。出刃包丁ほどの硬さがあれば、たとえ女性子供でも人体の切断は可能だ……と聞いたことがある。


「もう一つの鍵は今も管理人室にあるのよね?」

「うん。それは何度も確認した」

「見て」


 風音が顔をしかめ、慎重に両腕に近づいて行く。その時には羊も、鍵の端に、キラリと光るものを見つけていた。


「なんだろう? 糸?」

「釣り糸よ。鍵に釣り糸がついてるわ」

 風音がぱあっと顔を明るくさせた。


「これで分かったわ! ミステリーで良くあるアレよ!」

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