5

「アレ?」

「そう、アレなのよ。こうやって、鍵に糸を結びつけて……」


 探偵少女が興奮気味に話しているアレとは、つまり釣り糸を使ったトリックだった。


 釣り糸を、斬られた腕の手のひらに通し、その糸の両端をともに扉の隙間から外に出しておく。ちょうどアルファベットの『U』のような形である。その後、錠付きの門から外に脱出して、外に出して置いた糸の先端に鍵を結びつけ、釣竿みたいな要領でもう片方を引っ張れば、


「……全ての門は施錠されたまま、鍵は死体の手中に収まる。引っ張って切れば、糸も回収できるワケ」

「だけど加減が上手くいかなくて、結び目だけ残ったってことか」

「展示品に、釣竿あったじゃない? 犯人はそれを使ったのよ」


 戻って確かめて見ると、確かに釣竿から糸だけが無くなっている。羊は唸った。分かってみれば単純な、推理小説ではとっくに使い古されたトリックだった。


「だから展示品が動かされてたのよ」

 糸をスムーズに動かすために。

「壁際に棚や机があっちゃ、引っかかってトリックが上手くいかないかもしれない。だから犯人は展示コーナーを荒らしたの」


 門の隙間と糸を使ったトリック。少なくとも『犯人は幽霊で、自由に壁抜けすることができた』よりは説得力がある。だが、


「そんな都合の良い隙間、空いてたかな?」

「第一発見者が言ってたじゃない? 確か、鬼門の片隅に覗き穴がある……って。きっとそれだわ!」

「だけど鬼門は、外側から板で補強されてたんだよ」

「じゃあ……作ったんだとしたら?」

 風音は壊された鬼門の方を振り返った。


「この鬼門に……板にも、小さく穴を開けたんじゃない? それで……それで犯人は、獄門の前に凶器を置いていたんだわ! ! あの門を開けられたら、せっかく作った腕の十字が壊されてしまう。だから犯人はわざと扉の前に血を振りまいて、発見者が別の門を壊して開けるように仕向けていたのよ」


 彼女の推理では、獄門の前にある鉈も、犯人が仕掛けたものだと言う。扉を壊した瞬間、仕掛けが消滅するようなトリックだったと言うことか。もし犯人の目論見通り、釣り糸の結び目が残っていなかったら、この謎が解けたかどうか。


「でも」

 羊は首を捻った。

「僕らが鬼門を壊したのは本当に偶然だった。確かに獄門の前はあんな風で、近寄り難かったけど……」

「鬼門の方を開けようと言ったのは誰?」

「それは……丈治さんだけど」


 それだけで彼が犯人だと決めつけてしまうのは、さすがに強引のような気がする。それに、丈治は村長とともに、麗央たちの所にいたではないか。あの時人目を盗んで登頂するには、とても時間的に厳しすぎる。


「それに、僕らが残りの一つ……死門の方を開ける可能性だって、十分あったはずだよ」

「それは……そうね。でも、第一の門、第二の門……と続いて行くなら、順番通り調べるのが常套セオリーじゃない? だから犯人は鬼門六番目を使ったのよ」


 羊は頷いた。それは確かにそうだ。絶対確実ではないが、一応理に適っている。いや、むしろ、

「もしかしたら、順序が逆なのかもしれないな」

「え?」

「つまり、先に密室トリックを考えて置いて穴を開けたんじゃなく、偶然穴が開いてしまったから犯人はこのトリックを思いついたんじゃないか、って」

「どう言うこと?」

「仮面が無くなってるだろ? 犯人は仮面を取ろうとして……誤って転倒してしまい、鬼門に穴を開けてしまった。外が板で補強されてるのに、中から傷が付いてたら、誰かが侵入したって丸わかりだろ? とにかく犯人は証拠になるようなものを此処に残してしまったんだ。それを隠すために、目についた釣り糸を利用しようと思いついた」


 でなければ、わざわざ展示コーナーを荒らしてまで、鬼門六番目の側を使う必要はない。死門二番目の方に隙間を作ったって、同じトリックは可能なのだ。あっちには邪魔な棚もない。何なら獄門四番目の片隅に隙間を作るのが一番手っ取り早いじゃないか。


 そもそもがなのだ。


 誰がどう見たって、この事件が自殺であるはずがない。

 いくら幽霊のせいに見せかけたって、警察がそれで納得するはずがない。そうまでして密室を作る意味が、羊には今まで良く分からなかったが、作ろうとして密室を拵えたのではなく、あくまで偶発的に密室にと考えたらどうか? この空間で、犯人にとって何か不慮の事故アクシデントが起こった。あるいは偶然が重なって、たまたま密室の条件が整ったのだとしたら?


 そうであれば、今までの犯人像も改める必要もありそうだ。

 もしかしたらこの事件は、緻密に計画されたものではなく、衝動的な殺人なのかもしれなかった。


 風音の言う通り、このトリック自体は誰にでも思いつく単純なモノだ。恐らくインターネットを検索すれば、詳しい解説動画すら簡単に出てくるだろう。犯人が咄嗟に思いついても不思議ではない。


 いやむしろ、咄嗟に思いついたからこのトリックなのか。そもそも計画された殺人なら、予め合鍵を作るくらいはするだろう。管理人の鞄からくすねたり、駐在さんを殴って奪うよりそっちの方がよっぽど安全だ。


 考えれば考えるほど、羊には、そうとしか思えなくなっていた。

 

「万が一死門の方を壊されたら……その時は、犯人は戻ってきて鬼門を壊すつもりだったのかもしれない。何だか、『密室』に引っ張られ過ぎて、僕らの方が複雑に考え過ぎてるのかも」

「なるほど……ね」

 風音が嬉しそうに頷いた。


「この辺り……展示品や壊された扉を調べれば、何か犯人に関する証拠が出てくるかしら?」

「どうかな……壊してしまったのは確かだし。でも、筋は通ってるだろ? 少なくとも、ただ仮面を取るために荒らすなんて考え辛い」

「そうね。犯人は鬼門を使ったのじゃなく、鬼門を使。ね……来て良かったでしょう? 何だかどんどん真相に近づいてると思わない?」


 黒髪の少女が目を輝かせた。この言い回しフレーズを、羊は何処かで聞いたことがあった。そう、第一の事件だ。風音の推理。犯人は心臓を抉りたかったのではなく、……? しかし……そんな理由が……?


「とにかく」


 羊は頭を振った。

 何かが分かりかけていて、しかしどうにも掴み損ねている。

 館に立ち込める血と腐肉の臭いで、上手く考えがまとまらなかった。


 たまらず外に出ると、涼しげな夜の風が、待ち構えていたかのように2人に寄り添ってきた。風音がほうとため息を漏らす。星空はまだだった。しかし、分厚い雲の向こうに、確かに光るものがあるのは分かっている。深い青に染まった森を見下ろしながら、羊は小さく、力強く言い切った。


「幽霊は釣り糸なんか残さない。この事件の犯人は、だよ」


 

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