第27話 遺書


 翌日、坂本からまた電話がかかってくる。応答するか迷ったが取り敢えず電話に出ることにした。姫奈の葬儀の場所と時間が決まったので必ず顔を出せと言う。いつもの丁寧な言葉遣いではなく、先輩が後輩に命令するときの口調をしていた。

 

 葬儀に参列することに不安や恐怖を憶えるのは言うまでもない。姫奈は龍平のことを両親になんと言い遺しているのだろう。龍平のせいで死を選んだとでも告げているのだろうか。


 まあ、いい。塩をまかれるくらいの覚悟はある。魂のない姫奈の身体を目の当たりにしてなにを催すのだろう。なにも催さないかもしれない。なによりそれがぞっとする。祖母が亡くなったときがそうだった。哀しみも寂しさもなく、ああ、旅立ってしまったのだなとしか気が回らなかった。父のことも含めて、なぜこんなにも人の死に無頓着なのだろう。


 姫奈の葬儀の日はいやに天候が悪かった。それが関係しているのかひどく寂しい弔いである。文芸倶楽部からは坂本と颯太のふたりが参列した。同じ学科の学友はひとりもいない。あとは地元の友人と見てとれる女が三人いるだけ。姫奈はどこにいても馴染のある人だと勘違いしていた龍平には意外だった。見送りが寂しかったのは参列者の数が少ないからだけではない。泣き叫ぶ者がひとりもいないからだ。


 どうやら、坂本と颯太以外の者は姫奈がいつか近いうちにこうなるだろうと憶測していたかのような空気である。どうも龍平の感じていた姫奈の印象と、他の者が持つそれには大きな隔たりがあったようだ。

 

 棺桶の中を覗くと、いつもの姫奈と比べてもなにも珍しいところはないようにも見えた。ただ、真っ白な装束は欠片も似合っていない。鼻と耳に詰められた白い綿も見苦しい。あれは一体なんの為に死体に詰めるのだろうか。龍平は、死体から体液や血液が漏れ出すのを防ぐ為だとか、霊が抜け出したり悪霊が入り込んだりしないように、そういう慣わしがあるのだと小耳に挟んだことがある。


 だけど、それは違うと疑った。あれは死人を生きている者と色分けする為の小道具なのではないのかと。すなわち、姫奈はもう生きものではないと区別されるようになったのだ。


 龍平は姫奈の前で手を合わせたが、特になにかを偲んでいたわけではなく、ただなんとなく振る舞ったにすぎない。なんだか無性に面皰がむず痒かった。

 

 姫奈からの手紙を受け取らなくてはいけないのだが、どのように姫奈の両親を呼び止めたら良いのだろう。両親は龍平をどのくらい意識しているのだろうか。姫奈の死に関係している男だと認知しているのだろうか。


 罵声を浴びせられても仕方ない。ここから追放されるかもしれない。もちろん、両親を慰問つもりなど微塵もない。姫奈が龍平に遺してくれた手紙さえ受け取れればあとは知ったことではないのだ。

 

 案ずるには及ばなかった。なにをしていいのか判断がつかずに立ち尽くす龍平のもとへ姫奈の母の方から歩み寄ってくれたのだ。芥川龍平さんですね、の問いに、はい、としか応えられなくて情けなかった。


 姫奈が生前大変お世話になりましたと母親はお辞儀をする。とても複雑な顔色をしていたので、母親がなにを感じているのか合点がいかなかったが、姫奈からの手紙を受け取ることは出来た。しかし、この場で開封するわけにもいかない。ずっと早く帰りたいと念じていた。

帰路にて手紙の封を切る機会はいくらでもあったが、それはやめておいた。礼儀に則った体裁に従わなくてはならないからだ。実家に帰って飯を食って、風呂を浴びてから机に向かって手紙の封を開けた。


芥川 龍平様

 

 わたしは先に逝くことにしました。馬鹿なあなたでさえ理解しやすいように手短に片付けましょう。


 わたしが逝く理由のひとつ。あなたの傍にいることが認められないからです。切実に願っていました。憐れなくらいあなたを愛していたので。

 

 あなたと共にいると不安もなくなるし、思い切り楽しかったのです。どうせ生きているからには苦しいのは当たり前だと信じていました。


 そんな思想をあなたは裏切ってくれました。あなたはとても純粋で、とても有望な男でしたね。わたしの理想を遥かに超えていました。隣にいると驚くことばかり。刺激的でした。そのくせ柔らかでした。つまらないことなどなにもなかったのです。日常の瑣事を愛することが出来たから人生が幸福だったのです。


 幸福というのは不思議なものですね。手にしたことがない者は持たざることに不自由を感じないのに、一度手にしてしまったらそれを奪われるのが恐ろしくなるのです。もちろん奪おうとする者が憎らしくなるのです。わたしはあなたに愛されていたし、愛していたのであなたのことがとても憎らしくなりました。憎むことすらしないと悲しくて仕方がなかったのです。そんなに泣いてばかりの暮らしは嫌なので逝くことにしました。

 

 ですが、あまり気になさらないでください。わたしという人間は元来死にたがりだったのですから。わたしは良心など持っていませんでした。持っているのは細かな神経ばかりだったのです。常に将来に対する唯ぼんやりした不安に苛まれていました。自由というものに山巓の空気のような息苦しさを感じていました。


 ですが、生きることを否定していたわけではありません。純粋に死に憧れていたのです。決して投げやりになったり、諦めてしまったわけではありません。わたしはなにかを為したら逝きたいと思っていました。わたしが為すべきことはあなたに愛され、愛することだったのです。それを完う出来たのだからもう逝きたいのです。


 わたしが逝くもうひとつの理由。あなたはわたしが逝っても構わないと言いました。わたしの虚像さえあれば、わたしの身体は必要ないと言いました。わたしにはその性根が理解出来ません。


 抱き締めあうことさえ叶わない恋愛になんの悦びがあるのでしょう。わたしはあなたが逝くことを恐れます。あなたのお喋りが聴けなくなるのも、結ばれなくなるのも堪えられません。あなたは馬鹿だから、そのことに気が付いていないだけなのです。わたしが逝けばきっとわたしが欲しくなることでしょう。身を持ってそのことに気が付いて欲しいのです。

 

 ですが、充分に認識してください。あなたに認識して欲しくてわたしは逝くのです。あなたがわたしを連れまわしてくれたらわたしは逝くことを選ばなかったのです。わたしを愛したあなたは罪人です。あなたの罪をわたしの両親にも世間にも広く公表しましょう。  


 気になさらないでください。もちろんわたしも罪人であると告白しますから。


 あなたは馬鹿なので、もう女を愛することはないでしょう。わたしを忘れることもないでしょう。ただひとつ心配なのは、わたしを逝かせたのはあなた自身であることを忘れてしまうことです。どうかこの手紙は棄てずにいてください。さすれば、あなたは永く苦しむことが出来るでしょう。どうか末永く苦しんでください。そして、わたしの命を奪った思想をいつまでも何人にも堂々と語り続けてください。 中馬姫奈

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