第12話 男の花道

 姫奈の評論が終わったときに一番大きな拍手を送ったのは龍平である。実を言えば姫奈の評釈はもともと自分のものであると言い張る気はさらさらなかった。  

 老婆の行いが悪であることも、下人の行方についてもしっかりと現してあるではないか。自分はそれを見落としていたが、物語を紐解くことを貫徹した姫奈にただただ感心するばかりだった。


 実際、嘆美すべきは他にもたくさんあった。今にして思えば化粧がいつもと違うことも、普段とは様子の違う服装をしていることも身振り手振りが大きいことも上手に話を聴かせる為に意識しての仕業だったのだろう。


 視線を一点に集めず、伏し目がちな振る舞いには、この女はなにを見てなにを熟慮しているのだろうという好奇心を抱かせた。しばしば小さく頷くような仕草は観衆を、そうだ、姫奈の言う通りだと誘導させる効果があった。

 

 創作家としても表現者としても龍平の理想に極めて近かった。これから小さな努力を積み重ねて五年十年後になりたい、なれればいいなと思っていた姿が目の前に現れたのだ。舌を巻くのも愛覆るのも、もちろんなことである。

 

 しかし、そうそう感激の余韻にも浸ってはいられない。姫奈が壇上を降りた直後に、部長の坂本が龍平に舞台の上に立つことを促す。

 

 そうか、次は僕が喋らなくてはいけないのだと気付くのが遅過ぎた。龍平は立ち上がり辺りをきょろきょろと見回した後、姫奈の顔色を伺った。姫奈は目を合わすこともしてくれなかったが。なにも姫奈になにかを訴えたかったつもりではない。姫奈が自分の立場だったらどうするのだろうかと考えていたのだ。彼は姫奈が少しだけ話してくれたエゴイストというものについて語ろうと覚悟を決めた。姫奈がそうしてくれと言っているような気さえしたのだ。

 

 ゆっくりと壇上に上がって一礼して、僕も羅生門について論じますと宣言する。思いの他落ち着いていた。姫奈は自分の理屈を叙情してくれた。今度は自分が期待に応える番だという気負いは多少あった。龍平は小さく口を開いてポツリと話を始めた。しかし、すぐにそれではいけないと態度を正した。


 胸を張って顎を引いて大きな声を出す。演ずるのは初めてだが堂々とした恰好の良い自身の姿を想い描くことだけは毎晩布団の中で繰り返してきたのだ。だから僕には出来るはずだと自らを奮い立たせた。やけに誇らしい顔をしている。僕が喋る口述は姫奈という利口な者が考えた理屈であり、それに付け入る隙があるわけがないという自信の他に、僕は誰より知的な素振りでしっくり、粋な演説が出来るという自負が強かった。


 自分に酔いしれるような興奮を味わうのは初めてのことだ。普段は人目を忍んで暮らしている彼が、視線を集めることを意識する。たいした趣向ではなかったが厳かな表情と物腰を意識するのだ。もとより麗しさを備えた男だからだろう。ちとその気になれば人を魅了する面構えと語調と気配を演出することは難しくない。普段よりどこか大人びて、どこか中性的な色気を醸し出した。

 

 下人は善や悪で計るべき存在ではない。もっぱらエゴイストであるのだ。そう言いきってしまえば、後は不思議と台詞が溢れてきた。エゴイストとはすなわち自分の欲求の先にある快楽を得ることを最優先する。下人が心底求めたものは老婆の着物ではない。それを手にすれば僅かな時間でも無事に暮らすことが出来るという安心を求める欲求の先にある快楽である。快楽を手に入れることが目的であるのだから老婆のこの先など知ったことではないとか、ましてや死んでしまえという感情などあるはずもない。すなわち下人は善でも悪でもない。ただのエゴイストであると断言出来るのだ。

 

 姫奈から龍平が聴いていた話はここまでだ。ただし、これではなぜか上手な演説としては物足りないような気がする。壇上に上がる前の時分の龍平ならここで満足していただろう。しかし、ついさっき姫奈の達者な演説を聴いたばかりだ。もっと喋りたいという欲求が大きかった。これを自己実現の欲求というのだろう。

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