第11話 あなたごときに異論があるなら唱えてみなさいよ

 合宿最終日の朝九時から弁論会は始まった。特に大それた仕かけなどない。リビングダイニングに部員全員が集まると部長の坂本が用意したくじを順番にひく。その数字の若い者から演説を行う。持ち時間はおおよそ十分とされているが、多少短くても長くても問題はない。やはり運命というものはおもしろい。羅生門という同じ書について演説をするふたりは、姫奈が九番目で龍平がおおとり十番目という連続した番号を引き当てた。

 

 全員がいつも食卓として利用していたテーブルを囲んで、弁論を行う者は別に用意された演台の前に立って演説を行う。


 一番くじを引いたのは部長の坂本で、シェイクスピアのジュリアス・シーザーという悲劇について論じていた。

さすがに慣れた様子で、ところどころ声を張り上げたり、ユーモアを盛り込んだ論調で聴いているものを飽きさせなかった。


 しかし、龍平の頭の中は自身の弁論のことでいっぱいである。坂本のおもしろい演説が余計に重圧をかけた。誰も龍平の演説に期待しているわけではないのだが、こういう境遇で失敗したくないと考えるのが龍平の癖だった。上級生たちはみなそれなりに興味深い話をする。


 龍平が一番聴きたいのは無論姫奈の話である。いよいよ姫奈に順が巡ってきた。演台の前に立った彼女は他の者とは違っていたし、いつもの容姿とも違っていた。上級生達はそれぞれ紙切れを持っていた。おそらく演説に必要な覚書だったのだろう。姫奈はそんなものを用意していない。すべては頭の中ということか。今になるまで気が付かなかったことが不思議なくらいに普段と顔色が異なる。


 化粧のせいだ。いつもよりずっと化粧が薄いのだ。これまで気になることはなかったが、姫奈は上手に化粧をすることでより明るい顔に見えるように工夫をしていたのだ。すっぴんに近い姫奈は普段よりませて見えた。多くの女はませて見えるように化粧をするのではないか。どうやら姫奈は他の女とは別の目的で化粧をしているらしい。


 そのわりに身につけているものの装いはいつもよりうぶな恰好をしていた。白のサマーセーターに膝小僧どころか太ももさえあらわになるデニムのショートパンツ。


 姫奈はスカートを好んで履くのでその足を見るのは初めてではないのに、龍平は妙に興奮した。いつものどこか田舎臭い姫奈ではない。どの上級生の女より女らしかった。


 姫奈は自身をこんなに端麗に見せる手段を知っているのだ。日頃はそれを明らかにしないだけで。一体この女はどれだけの表情を備え持っているのだろう。どれだけのことを隠しているのだろう。真に興味が尽きない。

 

 いつもより踵の高いハイヒールを鳴らして壇上に立った。他のみながするように頭を下げずに部員全員の顔を確かめるように見回してから、演説を始めた。声は歌を歌うときと同じように低い。そしてよく響いた。


「わたしは芥川龍之介の羅生門という作品について論じます。論点は物語に登場する下人が善か悪かということです。まず取り上げたいのは、充分な善人というものも悪人というものも存在しないということです。善人だと言われるものでも罪悪を犯すことはありますし、悪人だって徳を積むこともあります。


 ですからひとりの人間を捕まえて善人と悪人に分けることに意味はありません。肝要なのはひとりの人間が行動や判断に迷ったときに善を選りすぐるのか悪を選ぶのかということではないでしょうか。そもそも人間とは善悪の見境がつくものかという疑問がありますが、それについてここで意見を交わすことは無意味でしょう。


 芥川は作中で白髪頭の老婆が死体から髪の毛を一本抜くに従って下人が老婆に激しい憎悪を少しずつ動かしてきたと現しています。


 また、下人にとっては、合理的には老婆の振る舞いを善悪のいずれに片づけて良いか知らなかった。しかし、雨の世に羅生門の上で死人の髪の毛を抜くということが、それだけで既に許すべからず悪であったとも語っております。その描写に従うのが素直なことでしょう。」

 

 どういうことであろうか。姫奈が壇上で語る演説は龍平が姫奈に申し述べたことと同じではないか。そして、それは姫奈自身によって物言いをつけられたものではないか。


 しかし、丸ごとすべてが龍平の論じたものと同じであったわけではない。龍平は芥川の記述に任せようとは言えなかった。それを無視して老婆が悪である理由を探そうとした。本来であれば作者の表現に従えば良かったはずなのだ。


 なぜ、そうしなかったのか。姫奈になぜ老婆は悪なのかと訊ねられたからだ。なぜか自分の知識や観念から受け答えを出さなければならない気になっていたのだ。もっと分かりやすく言うと粋がりたかったのだ。


 おかげでもう一度書を読み直すという肝心な営みを疎かにしてしまったのだ。書について論じなければいけないという要旨を忘れて姫奈の前で体裁を良く見せることにばかり神経が向いていたことがとても疾しい。


「この物語の最後は下人の行方は誰も知らないという一言で締められています。下人は作中で何度も面皰に触れます。そうするときは必ず善と悪に振り回されるときです。


善と悪を選ぶことに積極的に肯定する勇気が出ないこともありました。老婆の振る舞いを憎む心が勢いよく上り出したこともありました。老婆が餓死するなどということはほとんど考えることさえ出来ない程、意識の外に追い出されたこともありました。


下人にかわらずすべての人間が善と悪に振り回されるのではないでしょうか。そのような頼りない人間の辿り着く先にあるものなど神にも、芥川にも分からないという意味を込めて結びの言葉を選んだのだと考えます。


それ故、芥川はこの物語を通じて下人、つまり人間は善と悪に分けられる存在ではないことを知らせたいのだという結論に達しました。」

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