第37話


 サラマンダーは「何かがこちらを見ている」と言っていたが、その正体こそが風の四大精霊シルフである。


 精霊シルフは、元々この地に眠っていた。

 しかしそこへサラマンダーと契約した僕がやって来たことで、目を覚ました。


 目を覚ましたシルフは、地下迷宮で戦っている僕――ルーク=ヴェンテーマの存在に注目し、その覚悟を見極めようとする。


 かつて共に精霊王と契約していたサラマンダーとシルフは、旧友と言っても過言ではない。

 だからこそシルフは、旧友が契約している相手……僕に興味を抱いた。


 僕のやるべきことは単純である。

 

 そして原作通り、契約とまではいかないが一時的に力を貸してもらうことだ。


「――ルーク!」


 魔法の無効化という見たことのない現象に仲間たちが混乱する中、イリナ先生が僕のもとへやって来た。


「あの敵がやっているのは、魔法の吸収よ」


「……何か知ってるんだな」


「ええ。でも今は説明している暇がない」


 その通りだ。

 早急に次の作戦を考えなければならない。


「吸収ということは、許容量には限界があるのか?」


「……!! 流石ね、その通りよ。吸収できる魔力には限度があるし、純度の高い魔力は分解しきれなかったはず。だから、貴方の精霊術で高純度の魔力を叩き込めば、効果があるかもしれないわ」


「分かった、やってみる」


 イリナ先生は僕が精霊と契約していることを知っていた。

 精霊と契約していると、同じように精霊と契約している人がなんとなく分かるようになる。だから僕も、イリナ先生が精霊と契約していることを薄ら肌で感じるが……今はそれどころではない。


「全員、ありったけの魔法をぶつけてくれ!!」


 指示を出すと、仲間たちはすぐに従ってくれた。

 しかし皆の魔力は枯渇寸前である。

 この一斉攻撃は、最初で最後のチャンスだ。


「《タービュレンス》ッ!!」


 エヴァの乱気流が、光の粒子になって消えた。

 粒子は魔物の背中に突き刺さっているビーカーのような筒に吸い込まれる。

 筒に光の粒子が少し溜まった。


 あの筒をいっぱいにすれば、勝てる。

 誰も声に出さないが、誰もが直感でそう確信した。

 

「《アース・シュート》!!」


「《アース・ニードル》!!」


 ライオットが放つ土の弾丸と、リズが放つ土の棘が、光の粒子と化す。


「《アイアン・フィスト》ッ!!」


「《アクア・ハンマー》!!」


 レティが放った鉄の拳、ゲンが振りかぶる水の槌も、粒子と化す。


「《ウィンド・プレス》ッ!!」


 イリナ先生が生み出した、上から下へ叩き付けるような暴風。

 恐らくドラゴンさえも押し潰すであろうその魔法も、光の粒子と化す。


『絢爛なる烈火よ!!』


「遍く災禍を斬り伏せろッ!!」


 力強く剣を握り締める。

 刀身に宿った炎が、鮮烈な輝きと共に膨張した。


「《ブレイズ・セイバー》ッ!!」


 炎の大剣が二体の魔物をまとめて薙いだ。

 炎は、魔物の身体に触れた先から光の粒子へと変化する。今までとは比にならないほど大量の粒子が生まれ、薄暗い部屋が眩い光に包まれた。


 全ての炎が粒子に変換された後、魔物の背中を見る。

 そこにある透明な筒は――九割満たされていた。


 ――あと少し。


 誰もがそう思った、次の瞬間。

 機械の魔物は、その腕に装着している砲身を僕たちに向けた。


「全員、伏せろッ!!」


 僕が叫んだ直後、砲口から魔力の奔流が解き放たれた。

 掠るだけでも致命傷になりかねない一撃。視界の端で、仲間たちが焦燥しながら全力で真横へ飛び退いている。


「ぐっ!?」


「か……ッ!?」


 砲撃を避けても、その衝撃波だけで仲間たちは吹き飛んだ。

 死者はいない。だが自力では立ち上がれないほど負傷した者が多数いた。

 そして、それより絶望的な事実が明らかになる。


「そんな……吸収させた魔力が、元に戻ってる……」


 イリナ先生が青褪めた顔で言った。

 魔物の背中にある筒。その中身が空になっていた。


 吸収できるなら、それを武器として放出できるのは当然かもしれない。

 しかしそれは、今の僕たちにとっては希望を断たれるに等しい光景だった。


『いかん……これでは、手の打ちようがないのじゃ……っ!!』


 サラマンダーも焦り出す。

 そんな僕の前で、一人の少年が目にも留まらぬ速度で魔物の背後に回り込んだ。


 トーマ=エクシス。

 彼はいつの間にかイリナ先生が使ってた剣を拾い、魔物の背中にある筒を斬ろうとする。


 だが、筒が硬いのか、或いはその剣もトーマの剣術には耐えられなかったのか……粉々に砕け散ったのは剣の方だった。


「がッ!?」


「トーマ!!」


 魔物が砲身でトーマを弾き飛ばした。

 地面を激しく転がったトーマは、苦しそうに口から血を吐き出す。


「魔法ナシで直接壊せばどうかと思ったけど……駄目だね、硬すぎる」


 トーマはもう起き上がることすらできそうにない。

 僕は仲間たちの様子を確認した。

 皆、魔力が枯渇している。その上で負傷もしていて動けない。

 まだ魔物と戦うことができるのは――僕だけだった。


「ルーク!」


 イリナ先生が叫ぶ。


「通路とは反対方向の壁に、隠し扉があるわ! もしかしたらそこには結界がないかもしれない! 貴方だけでも逃げなさい!!」


 イリナ先生は、有無を言わせぬ力強い目で僕を睨んだ。

 教師として、大人として、意地でも僕を逃がそうという決意が伝わってくる。


「――逃げない!!」


 僕はイリナ先生の決意に真っ向から反抗した。

 仮に僕が逃げられたとしても、そうすれば確実にこの場に残る皆が死んでしまう。

 だからその選択肢は、僕にとって――ルークにとって有り得ないものなのだ。


「俺は、絶対に逃げない! ここにいる全員を守ってみせるッ!!」


 僕は剣を握り、魔物と対峙した。


「俺が相手だ。――俺だけを狙えッ!!」


 全身から魔力を吹き出し、僕は機械の魔物に炎の斬撃を与えた。

 よく見れば機械の魔物たちは、身体の表面が焦げている。


 純度の高い魔力は分解しきれない。イリナ先生はそう言っていた。

 つまり、僕の攻撃は届いていたのだ。殆どは分解・吸収されてしまったが、表面を焦がす程度の火力は残った。


 ならば――それを積み重ねればいい。


「おぉおおぉおぉぉぉおおぉおぉぉ――ッ!!」


 幾重にも炎の斬撃を閃かせる。


 視界の片隅に、苦しそうに呻く仲間たちの姿が映った。

 魔力切れで気を失いそうになっているエヴァやリズ。血反吐を吐くトーマ。悔しさのあまり唇を噛み血を流しているイリナ先生。


 僕は、ルーク=ヴェンテーマだ。

 彼らにあんな顔をさせてはいけない。


「が――ッ!?」


 魔力を限界まで吸収した魔物は、また膨大な魔力の奔流を放った。

 脇腹を抉られ、あまりの痛みに一瞬だけ気を失ってしまう。

 すぐに目を覚ました僕は《キュア》で治療しながら、再び魔物に斬りかかった。


『駄目じゃ、ルーク……このままでは勝てぬ!!』


 ルークの心は「そんなことない!!」と叫んでいた。

 しかし僕の頭は「分かっている」と呟いた。


 表面を焦がす程度の火力を、何度ぶつけたってあの魔物は倒せない。

 だから必要なのだ。シルフの力が。


 ――まだか?


 砲撃を避けるために高速で移動する。足の骨が砕けたので、《キュア》で瞬く間に治療した。


 戦い続けることはできる。

 だが、あの魔物を倒すにはやはり、純度の高い魔力がもっと必要なのだ。


 サラマンダーだけでは足りない。

 もう一体の精霊、シルフから力を借りなければ勝てない。


 ――まだなのか!?


 シルフ。

 頼む、シルフ……!!


 僕は覚悟を示し続けているつもりだった。

 疲労は《バイタル・ヒール》で。

 負傷は《キュア》で。

 攻撃と回復を繰り返す僕は、今や無限に戦い続けるマシンと化している。


 そこに精神的な抵抗はない。ルーク=ヴェンテーマであり続けるためなら、僕は心なんて幾らでも殺してみせる。

 だが疑問は抱く。

 これでは、足りないのか……!?


(シルフ……何故、来ない……ッ!?)


 待ち侘びている、シルフの介入。

 それがいつまで経ってもこなかった。


『――シルフッ!!』


 サラマンダーが叫ぶ。


『シルフ! 風の四大精霊シルフよ!! お主なのじゃろう、妾たちを見ているのは!?』


 長く戦い続けるうちに、サラマンダーはこちらを見ている気配の正体に気づいたらしい。

 だから僕の代わりにサラマンダーが呼びかけてくれた。


『お願いじゃ!! 妾の主を助けてくれ!! このままでは死んでしまうのじゃっ!!』


 サラマンダーの声は泣いていた。

 悲痛の叫びだった。


 僕のせいで、そんな声を出させてしまって申し訳ないと思う。

 しかしサラマンダーの言う通りだ。


 このままでは僕だけではない、他の皆も死んでしまう。

 特級クラスに選ばれる僕たちは、これから国内外問わず様々な場所を訪れ、多くの人々を救わなければならない。


 だから、ここで死ぬわけにはいかない。

 お願いだ、シルフ。

 助けてくれ――――――。








『やだ』








 少女の声が、聞こえた。 


『その人、なんか気持ち悪いから――――やだ』


 面倒臭そうな声色で、こちらを見下すような声色で、そう告げられる。

 パキリ、と何かの折れる音が、胸の中から聞こえたような気がした。


 原作のルークはここでシルフに気に入られ、一度だけ手助けしてもらう。その後も学園に入学したルークは度々シルフにちょっかいをかけられるようになり、少しずつ彼女と絆を育み、やがて契約を交わすことになるのだ。


 レジェンド・オブ・スピリットは、主人公ルークが四大精霊たちと契約を交わしながら、英雄へ至る物語である。


 だが、今、そのうちの一体がルークのことを拒絶した。


 物語は――――




「あぁ……あぁ、あぁあ、あぁああぁあぁぁあぁ――ッッ!!」




 それは正気を保つための叫び。

 もういいや、と挫けてしまいそうな自分を鼓舞するための慟哭。

 怒りと絶望を綯い交ぜにした感情が、僕の全身を血潮の如く駆け巡った。


 僕は、こんなにもルークに相応しくない人間なのか。

 僕は、この世界の物語を崩壊させるほど、救いようのない人間なのか。

 僕は――――。


「そんな、ことはなぁ……ッ! 最初から分かってんだよぉぉおぉ――ッッ!!」


 そうさ――最初から分かっていた。

 自分がルークに相応しくないことくらい、僕自身が誰よりも理解している。

 だから僕はを用意していたのだ。


 誰かに見捨てられてもいいように。

 誰かに裏切られてもいいように。


 凡人の僕にできるのは、精々そのくらいしかない。

 最悪の展開を予想し、その対策を立てること――ッ!!


「サラマンダー!! 使うぞッ!!」


『くっ……どうしても、使うしかないのか……ッ!!』


「そうだ!! それ以外に、俺たちが勝つ手段はない!!」


 いらない――いらない、いらない、いらないッ!!

 シルフ、お前の力なんてもういらないッ!!


 この世界が僕に厳しいことくらい分かっている!

 本物のルークと違って、都合のいいことが起きないことくらい知っている!


 それでも――――!!


 この誓いを破ることはできない。

 それが、死んでしまったアイシャへの贖罪なのだから。

 弱くて惨めで救いようのない僕が、この世界で生きる唯一の価値だから――ッ!!


『人よ!!』


 サラマンダーが唱える。


「精霊よ!!」


 僕が紡ぐ。

 これが、僕の用意した奥の手。

 精霊術の極意――!


『我は劫火ゆえに影が無く、憤怒ゆえに情も無し』


「されど心を炉にくべれば、我等を導くあかりとなる」


 身体の中心から暖かい炎が溢れた。

 炎が少しずつ、僕の全身に溶け込んでいく。


かがりに集い、古びた楔に火にかける』


「それでも残る灯火は、己に宿す炬火きょかとしよう」


 胸に宿ったサラマンダーの火が、全身に染み渡った。

 ドクン、と心臓が激しく鼓動する。


「『我らはたったひとつの炬火。語り尽くせぬ灼熱なり』」


 僕とサラマンダーの詠唱が重なる。

 手が、足が、僕の肉体が、炎の色に染まった。

 身体が人としての輪郭を失い、ゆらゆらと陽炎の如く揺れる。


 これこそが、かつて精霊王しか至れなかった人と精霊の極地。

 人間と精霊の完全なる同化――。





「『――――《精霊纏化せいれいてんか》』」





 これより僕は、半人半精。

 全てを焼き尽くす――炎の化身となる。

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