第38話
炎と化した僕は、機械の魔物と対峙した。
機械のくせに警戒心はあるのか、僕がこの状態になってから魔物たちは静かにこちらを見据えている。
精霊術の奥義である《精霊纏化》は、精霊と同化することで、精霊の魔力を自身へ取り込むことができる。更に半人半精の肉体となることで、肉体が魔力の影響を受けやすくなり、身体能力が魔力量に応じて大幅に向上する。
身体が内側から爆発しそうな気分だった。
それほど絶大な力が今の僕には宿っている。
だが代わりに、骨の一本を動かす度に……筋繊維の一本を動かす度に、針の穴に糸を通すかのような繊細な魔力制御が要求された。
右足を前に出すだけで、何百もの針の穴に糸を通さねばならない。
一つでも失敗すれば――炎に焼かれるような激痛が走る。
「ぎ、あァ……ッ!!」
痛い――――!!
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い――――っ!?
頭が真っ赤に染まった。
火の精霊サラマンダーとの同化。上手くいけば絶大な力を得られるが、僅かでも制御に失敗すれば、僕の身体はサラマンダーの炎に焼かれているだけになる。
手足の指先が一瞬で炭となった。
その瞬間、僕は《キュア》を四重で発動する。
身体のどこかが燃えて炭化する度に、僕は回復魔法で治療した。
『だ、駄目じゃ! やっぱりこの技は、まだ使いこなせん!!』
サラマンダーが悲痛な叫びをあげる。
元来、《精霊纏化》はここまで術者に負担のかかる技ではない。
この痛みは僕がサラマンダーの炎を使いこなせていない証拠だった。
今まで僕はサラマンダーと気兼ねなく話していたが、彼女は本来ならば人々に崇められるほどの存在である。火山の噴火のように、太陽の熱のように、厳かで抗いがたい最高位の精霊だ。
そんな彼女の神聖で猛々しい炎は、人間に背負えるものではない。
愚かなり。傲慢なり。全身を蝕む痛みが僕にそう訴えかけていた。
けれど――。
「この、くらい……耐えて、みせる……ッ!!」
歯を食いしばり、正気を保つ。
本当ならこの技は、これから何千何万と精霊術を発動し、サラマンダーの炎を使いこなせるようになってから習得を試みるようなものだ。
未熟な僕がこれを使えば、苦しむことくらい目に見えていた。
それでも、必要なのだ。
力が――。
皆を守るための強さが――ッ!!
「俺は……ルーク=ヴェンテーマだッ!!」
己の覚悟を声に出すと、視界がモノクロに染まった。
余分な情報が目の前から消える。仲間の姿と、機械の魔物。集中しなくてはいけないものにだけ色がついた世界。
ポイズン・ドラゴンと戦った時と同じ感覚だ。
ルークの才能が、僕の意志に応えてくれている。
……ルーク。
お前は、僕の背中を押してくれるのか。
こんなにも愚かな僕に、その力を託してくれるのか。
お前ならやれる。
今度こそ成し遂げろ。
心の中で、世界一熱い男がそう告げた気がした――。
『来るのじゃッ!!』
機械の魔物が砲口をこちらに向けた。
だが、次の瞬間に僕は射線上から抜け出し、魔物に肉薄する。
――《ブレイズ・エッジ》。
かつてない速度で精霊術を発動する。
サラマンダーと同化した今、僕の判断はサラマンダーの判断にもなる。精霊術の発動にタイムラグが一切なくなり、更にその力も強化されていた。
――《ブレイズ・エッジ》。
もっと速くなれるはずだ。
もっと強くなれるはずだ。
――《ブレイズ・エッジ》。
もっと熱く、もっと激しく。
僕とサラマンダーの力は、こんなものじゃない――。
「おおぉおぉぉおおぉぉおおぉぉぉおぉおぉお――ッッ!!」
超高速の世界で剣を振るう。
一つ前の剣の軌跡がまだ空中に残っていた。そこへ更に重ねるように剣を振り抜く。
炎の剣筋は連なる度に、赤く、鋭く、密度を増していった。
頰を伝って垂れ落ちた汗が、地面に触れるまでの間に――僕は百の斬撃を生み出す。
《ブレイズ・エッジ》――――百連刃。
秒間百発もの炎の斬撃が、機械の魔物に襲い掛かる。
機械の魔物は、これまでと同じように僕の炎を光の粒子に変換しようとしたが、その背中の筒は一瞬で限界まで満たされた。
吸収した魔力を放出する暇なんか与えない。
何もかもが遅い……今の僕にはこの世の全てが止まって見える。
炎の斬撃はまるで波のように重なり、一体目の魔物を呑み込んだ。
魔物の身体は膨大な熱によって赤く染まり、瞬く間に溶ける。
『後ろじゃッ!!』
サラマンダーの声が聞こえた。
振り返ると、二体目の魔物が左手の掘削機で僕を薙ぎ払おうとしていた。
――無駄だ。
迫り来る掘削機が僕の身体をすり抜けた。
今の僕は半人半精。
炎の化身となった僕に、物理攻撃は通用しない。
「――《ブレイズ・ストライク》ッ!!」
炎の砲撃が、機械の魔物を吹き飛ばした。
その背中にある筒が限界まで溜まる。
機械の魔物は、至るところから黒い煙を出しながら、その砲口をこちらへ向けた。
速さを重視した魔力の光線が放たれる。
だがもはや、その程度の攻撃なら避ける必要すらない。放たれた魔力の光線は僕の身体に触れた瞬間、ジュッ! と音を立てて消滅した。
機械の魔物が砲身に魔力を溜める。
対し、僕はその場で剣を構えた。
『絢爛なる烈火よ』
「遍く災禍を斬り伏せろ」
炎の大剣が顕現する。
強く滾るその炎は、僕の覚悟を糧にして眩しく煌めいていた。
――誓おう、ルーク。
僕はこれからも思い通りには生きられないだろう。
それでも立ち上がり、前に進んでみせる。
強く在れ。誰よりも輝け。そんな君の意志を、この剣に宿してみせる。
だから、どうか安心してくれ。
もう誰も――――――死なせない。
「《ブレイズ・セイバー》ァァアァアアァァァ――ッッ!!」
砲口から魔力の奔流が放たれると同時に、僕は炎の大剣を振り抜いた。
だが、双方の力は拮抗なんてしない。
炎の大剣は、放たれた魔力の奔流を一瞬で消し飛ばし……そのまま微塵も勢いを落とすことなく魔物を消滅させた。
◇
エヴァ=マステリアは、目の前の光景を生涯忘れないだろうなと思った。
顔を合わせた時から、その少年からは不思議な力を感じていた。強い意志を込めた瞳に、胸の奥まで伝わってくる熱くて芯のある言葉。ルーク=ヴェンテーマは、エヴァにとってとにかく不思議で、どう表現すればいいのか分からない相手だった。
姉に対するコンプレックスから救ってくれたので、恩人と呼ぶべきだろうか?
確かに恩人には違いない。しかし、それだけではどうにも足りない気がした。
そんな違和感が今、解消された。
特級クラスの候補生たちが束になっても敵わなかった相手。試験官であるイリナですら、敗北を喫した相手。
そんな恐ろしい敵を――ルークは、たった一人で倒してみせた。
「…………英雄」
その少年は誰よりも熱く、強く、勇敢だった。
絶望の中でも炎の如く煌めき、仲間たちの希望を体現してみせる。
まるで物語の主人公のようだと、エヴァは思った。
彼こそが、英雄なのだと感じた。
「……敵わないわね」
傍にいたイリナが、掠れた声で言った。
「特級クラスの生徒って、昔から教師の予想をあっさり超えちゃう子が多いんだけど……まさか入学前に、二人も超えていくとは思わなかったわ」
「二人……?」
「ええ。そのうちの一人は、ルーク=ヴェンテーマ」
イリナはどこか眩しそうにルークを見つめて言う。
「私は彼を、抱え込みすぎるタイプだと思っていた。でも、どうやら違ったみたいね。……彼は自分で宣言した通り、抱えた上で成し遂げるタイプだった」
強靱な精神がそれを可能としているのだろう。
ルークはきっと恐怖とは無縁の男なのだ。彼の器は常人のそれではない。きっとエヴァたちでは想像もつかないほど広大なのだろう。
「二人目は貴女よ、エヴァ」
「私、ですか……?」
「まさか貴女が、チームワークを身に付けるなんて思わなかったわ」
どうやら自分は協調性が低いと思われていたらしい。
面接ではそんな素振りを見せたつもりはないが、門閥貴族であるマステリア公爵家の次女エヴァは、社交界などにも度々出席しているため良くも悪くも顔が広い。恐らく自分の与り知らぬところで噂が立っていたのだろう。エヴァ=マステリアはプライドが高くて協調性に欠ける、と。
「……ルークが言ってくれたんです。周りにあるものを、もっと信じてみろって」
「正しい言葉ね」
イリナは優しく微笑む。
エヴァは太陽のように輝くルークを見た。
「ルークは、私にとって……英雄です」
「そうね。私にとってもそうだし……きっといつか、世界中がそう思うわ」
そうだろうな、とエヴァも思った。
あの少年はきっと、世界中を輝かせる太陽のような男になるだろう。
「……ルーク」
その名を無意識に呟いた。
エヴァは、自分が歴史的瞬間に立ち会っていることを確信する。
やがて世界中に名を馳せる、偉大な英雄の誕生。
その光景をこの目で見られたことを、心から光栄に思った。
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