第42話 言えたじゃないっすか

 吸精の魔女が生まれたのは、今から千年以上も前のことだ。

 もうとっくに薄れてしまった記憶の中で、ぼんやりと覚えているのは……自分自身が小さな猫であったこと。


「○○ちゃんは可愛いね! ずっと大事にしてあげる!


 飼い主の少女は、後に魔女となる猫をとても可愛がっていた。

 魔女もまた、そんな飼い主の少女が大好きだった。

 とても幸せだった。


 しかし……


「ねぇ、ママ。新しい猫ちゃん買ってよー!」


「ええ? まだあの子がいるでしょ」


「だって子猫の時は可愛かったけど、大きくなったらそうでもないし」


「そんな事言っても、二匹も飼うのは大変よ」


「そっか。じゃあ……」


 ステチャエバイイヨ。

 その一言が、魔女が覚えている最後の言葉。

 

 街の外れに捨てられ、食べるものもなく。

雨風にさらされ、病気になって弱っていった一匹の猫は……絶望の中で死んでいった。


「にゃあ」


 気が付くと、魔女はまた新たな生を得ていた。

 まるで悪い夢のような前世の記憶が……彼女の中にある。


 そして。何度も何度も。

 彼女はペットとしての生涯を繰り返し、その度に……人間に裏切られてきた。

 やがて人間への期待は失望へと変わり。

 失望はいずれ憎悪へと変貌を遂げる。


「人間を許さない」


 ただ、その憎しみが……1匹の獣を【脅威】へと変えた。

 100年に一度、人間達に大きな災をもたらす獣。

 吸精の魔女は――動物の怒りを人間にぶつける裁きであったのかもしれない。


【メルディの深層意識】


「ああああああああああああああああああああああっ!」

 

 そんな彼女は今、こうして再び絶望を味わっていた。

 憎くて堪らない人間に優しくされる。甘やかされる。愛される。

 そんな感覚が、依代のメルディを通じて伝わってくるのだ。


「もうやめて……やめてぇっ」


 頭がおかしくなりそうなほどの幸福感と、それを拒む心が反発しあう。

 それが幾度となく、何度も何度も。

 彼女の中で繰り返される。


「うっ……ぁ……う」


 口の端から唾液を垂らし、虚ろな顔で目の前に映る光景を眺める。

 

「……」


 流斗がメルディを抱きしめる。

 頭を撫でる。頬にキスをする。一緒の布団で眠る。

 楽しくご飯を食べる。

 流斗、ピィ、ルディス。

 この3人と家族のような関係で、楽しい日々を過ごす。

 かつて子猫だった自分が、最も幸せであった時を……嫌でも思い出すほどに。


「……しい」


 そんな時間が、どれだけ過ぎた頃だろうか。

 魔女はボソリと言葉を漏らす。


「うら……しい」


 もう慣れたと思った。

 大嫌いな人間に愛される事への不快感など、とっくに慣れたはずだった。

 しかし、今の魔女の心を乱す感情は……


「うらやま、しい……」


 画面の向こうで流斗に大切にされているメルディに対する、羨望と嫉妬。


「どうして」


 感覚は伝わってくる。

 しかしそれは、メルディに向けられたもので……自分に対するものではない。

 流斗が愛しているのはメルディ。自分じゃない。

 

「……妾、だって」


 最初はあんなに憎悪し、毛嫌いしていたはずの男。

 だが、メルディの感覚を共有するにつれて……魔女は次第に流斗に対して好意的な感情を抱くようになっていった。

 もはや、その感情は恋心と言っても差し支えないほどである。


「妾だってぇ……」


 人間は嫌い。でも流斗は好き。

 流斗に復讐したい。でも愛されたい。

 人間を滅ぼせ。流斗の家族になりたい。


「ああああああああああああああああああああああああ」


 ぐちゃぐちゃの感情に苦しみ、叫ぶしかない魔女。

 そこへ、一つの声が響いてくる。


「辛いっすか?」


「!!」


 鎖に繋がれ、牢屋に閉じ込められている魔女。

 その目の前に、この体の本体であるメルディが立っていた。


「お主が……なぜここに?」


「ずっとずっと。心の奥底から、貴方の声が聞こえていたっす」


「……!」


「それで一度、話をしてみようと思ったんすよ」


「話など無い!! いいからさっさと妾に体を渡せ!! 未熟なら体でも、お主が同意さえすれば体のコントロールを……!!」


「体を奪い返して、何をしたいんすか?」


「そんな事は決まっている!! あの男に……!!」


 そこまで言って、魔女は言葉を止める。

 今、自分は何を言おうとした?


「お兄さんに?」


「あ、愛し……ちがう、そうじゃない。妾は、ただ……くっ!」


 体を奪って、どうするのだろう。

 何がしたいかと言われて、頭に思い浮かぶのは……どれもこれも、流斗に優しくされることばかり。

 もはや微塵も、彼をどうこうしようなんて意識は無かった。


「妾も……あの男に愛されたい」


 絞り出すように、かすれた声を漏らす魔女。


「だって、だって好きになるしかなかったんだ!! あんな風に、毎日毎日……!! 優しくされて、甘やかしてくれて!! こんなにも幸せな気持ちにしてくれて!!!」


 ガシャンガシャン。

 鎖を揺らしながら、魔女は吠える。


「こんなの反則じゃないか!! どうやっても逃れられない!! 妾はあの男に、理解らせられてしまったんだ……!! 妾は【脅威】である前に、1匹のメスであると……!!」


「……言えたじゃないっすか」


 メルディはそう呟くと、魔女を捕らえている檻の扉を開く。

 そして彼女に近付き、そっと体を抱きしめる。


「な!?」


「魔女さんが今までに、どれほど苦しんできたか……依代となったボクにゃんには全部お見通しっす。人間を憎む気持ちにも、同情出来るくらいに」


「……」


「だから、ボクにゃんは決めたっすよ。もうこれ以上、貴方が憎しみの呪縛に囚われないようにするって」


「何を、バカな……! そんな事、出来るはずが」


「出来るっすよ。そう、お兄さんならね」


「!!」


「お兄さんと一緒に過ごせば、きっと理解るはずっすよ。人間にだって、良い人はいる。自分を愛してくれる人がいるってことが」


「……仮にそうだとしても、妾はここから出られない。それとも、お主が妾のために体を明け渡してくれるとでもいうのか?」


「いいえ。もっといい方法があるじゃないっすか」


 メルディは魔女の頬に手をそっと添えると、ゆっくりと顔を近付けていく。


「お主、まさか……!?」


「んー。必要な儀式とはいえ、自分と同じ顔にちゅーするのは、ちょっと気が引けるっすけど」


「んっ」


「ちゅぅ」


 魔女の唇に、自分の唇を重ねるメルディ。

 その瞬間、互いの体が淡い光を放ち始めた。


「んぅ、んん……ちゅ」


「ちゅー」


 光はやがて2人を包み込み、1つの大きな塊へと変わる。

 そして、光が段々と晴れていき……最後に残ったのは。


「……妾は、メルディでも魔女でもない。お兄さんを愛する者っすよ」


 その日。

世界にまた1人、新たな美少女ロリが誕生した。


【草原の砦】


「という事があって、妾は生まれ変わったっすよ」


「「「えええええっ!?」」」


 早朝。

 起きてきた俺達に、メルディはいきなりそんな内容の報告をしてきた。


「どどどど、どういう事なんすか!?」


「つまり、今のメルディはメルディじゃなくて!?」


「そう。妾は魔女とメルディが合わさった人格だと言えるっすよ」


「たしかに口調は混ざっているな。それに髪色も新たに、茶色のメッシュが加わっているようだし……」


 魔女との対決から一週間ほど。

 表向きには魔女を討伐した事になっている俺達は、メルディの容態を経過観察するために砦に留まっていた。

 しかしその間にまさか、こんな事態に陥っていたとは。


「メルディさんは優しすぎますよ!! 魔女なんかに同情するなんて!!」


「そうよ! コイツが何をしてきたか、分かっているでしょうに」


「……それは半分魔女である妾にも、耳が痛い話っすよ。でも、お兄さんには信じて欲しいっす。今の妾は本当に、お兄さんの事を愛しているって」


「……」


 潤んだ瞳で俺を見つめるメルディ(魔女)。

 こんな顔をされて、拒絶する事も出来ないか……


「分かったよ」


「マスター!!」


「落ち着け。半分はメルディであるって事を忘れるなよ?」


「うっ、それはそうですけどぉ」


「まぁ、しょうがないっちゃしょうがないわね」


 ピィとルディスも渋々と言った様子で頷く。

 これでもう、話はまとまった。


「みんな、本当に感謝するっす」


「それで、えーっと……メルディ?じゃなくて、その、なんて呼べばいい?」


「そこは……お兄さんに決めてほしいっす」


 もじもじもじ。

 照れたように、体をくねらせるメルディ(魔女)。


「……名付けイベント来たかぁ」


「「じぃぃぃぃぃぃぃっ」」


 色々とセンスを疑われる事の多い俺に、果たしていい名前が思いつけるのだろうか。


「メルディ……吸精の魔女。魔女、ウィッチ……うーん」


 どうする。

 どうするのよ、俺!!

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