《新人退魔師茉依ちゃん♡》⑥(終)


 その場に崩折れた侵入者を見て、淫魔サキュバスはフフッと鼻で笑う。


「女は趣味じゃないしぃ、しっかりバラバラにして殺さなくちゃ❤」

 一手間増えてしまう。

 もっとも、人間の解体など淫魔サキュバスからすれば虫を潰すようなものだが。

 それよりも先に、誘い込んだ男をしっかりと味わわねば――


「お~。男の趣味は中々だな。終わったらアタシに貸してくれや」


「!?」


 倒れている男を、それは指でツンツンと突っついていた。

 ついでに男の股間も触っている。気絶状態の相手に堂々たるセクハラだった。


「あー、でも無理かぁ。だってお前もうすぐ死ぬからな~」

「いつの間に……!? そこの退魔師の仲間……!?」

「つーか勝手に仕事すンなよ、バカ新人が。カフェに居なくて焦ったっつーの」


 今度は新人の部下である今下茉依の乳房を、苛立ち混じりに乱暴に揉む。

 その行動の意味を、淫魔サキュバスは全く理解出来なかった。


「ま、独断で動いた罰はこれでチャラにしておく。ったく……」


 はーめんどくさ。

 そう言い切った女、大麻育子は――淫魔サキュバスに一瞥をくれてやった。


 戻ったら茉依の姿が見当たらなかった上に、カフェが会計済になっていた。

 おおよそ彼女が何をしているのか一瞬で予測した育子は、直感で行動を開始。

 何となく異形の臭いがしたこのビルをピンポイントで探し当てたのである。


「今アタシ武器がねェからよ。悪いけど自殺してくんね?」

「……私に気付かれず、どうやってここへ侵入はいったのかしらぁ?」


「もうそういうバトル漫画クセェやり取りとかどうでもいいだろが。早く死ねって」

「――舐めるな、人間のメスが」


「あっそ」


 ごどっ……。

 重たいツボを床に落としたかのような音が部屋に響いた。


 何が落ちた? 淫魔サキュバスは警戒を強める。

 どういうわけか己の目線が低くなっていた。

 目線が――……それは。


「キッショいなぁお前ら。頸斬ったんだから即死しろやド害虫が」

 

 しゃがんでこちらを見下ろす女。

 淫魔サキュバスは「え?」と間抜けな声を漏らした。


 育子は立ち上がり、腕を払ってそれに付着した血を飛ばす。

 そのまま茉依の胸ポケットに返却しておいた。

 彼女の護身用退魔器のナイフを。


「ぶ、武器、ないって……」

「ウッソぴょ~ん★ まァお前みたいなクソザコとか素手で殺れるけど、手ェ汚れるしぃ」


 従って、茉依の胸を揉むついでに拝借しておいただけだ。

 状況理解、判断、行動の全てにおいて、育子に遅れはない。


 この淫魔サキュバスと育子では、力量差がありすぎた。

 一方が完全に知覚不可能なほどに。


 血が噴き出ていてキモいので、育子は淫魔サキュバスの残った胴体を前蹴りでふっ飛ばした。


「ありえない……ありえないわぁ……。そんな……私が……」

「真・長生き君かぁてめェはよ? 冥土の土産くれてやっから早く死ねや!」


 異形の生命力は人間と比較にならない。

 頸を落としてもまだしばらくは生きている。


 種によっては頸を斬っても死なないものもある。淫魔サキュバスは流石に死ぬが。

 育子は手を開き、困惑する淫魔サキュバスの顔面を真正面から掴んだ。


「てめェは気付かなかったんじゃねェよ。気付きたくなかっただけだ」

「は……?」


「自分より一兆倍強いヤツが現れたら、大体どんな生物も現実逃避するってこった」


「そ「じゃあな」」


 石でも割るかのように、育子は淫魔サキュバスの頭部を思いっ切り床へ叩き付けた。

 花が咲く。放射状に。それで全てが終わった。


「結局汚れちまったか。まあクリーニング代は会社にツケときゃいいけど」


 諸々の後始末は、本来この地区を担当している退魔師達にやらせればいい。

 その連絡は後でやるとして、育子は静かに茉依を前抱きして持ち上げた。


「……外傷は、頬に浅い切り傷ぐらいか」


 茉依に退職はおろか死なれでもしたら、それこそ育子も詫びで切腹させられるだろう。

 ただ、そういう業務上の過失よりも、何より茉依が無事であってホッとした。


 もし甚大な被害が彼女に出ていれば――あの淫魔サキュバスは殺すだけでは済ませなかった。


(……そう思うぐらいには、こいつを可愛く思ってんだな、アタシも)


 育子は己の心境の変化を噛み締めながら、ビルを後にする――



* * *



「…………っ!」

「起きたか。もう夕方だぞ」


 目を覚ました茉依は、反射的に上体を起こしてナイフを探った。

 それを手で制し、育子は彼女を落ち着かせる。


 現在地は――どこかの駐車場で、そして社用車の中だった。

 どうにか言葉を探し、絞り出すようにして、茉依は育子へ頭を下げる。

 事の顛末は訊くまでもない。育子が全部片付けてくれたのだとハッキリ分かった。


「あの……大麻室長。まことに……申し訳ございませんでした」

「起き掛けに謝罪か。随分と生き辛いことをするな、君は」

「……わたし、その。多大なご迷惑を……」


「独断専行に独断交戦、ついでに異形へ完全敗北。私が助けねば君は死んでいただろう」

「…………はい」

「だがまあ、結果的に死者は出ずに終わった。本件の詳細は帰社したら自分で調べるといい」


 これで話は終わりだと、育子は切り上げようとした。

 ――が、茉依は肩を震わせて、俯いている。

 ぽたぽたと、大粒の涙が手の甲に落ちていく。


「泣くほどのことかね」

「だ、だって……わたし、また……失敗して……」

「そうだな。大失敗だろう。担当業務外の業務に関わり、結果命を落とす手前だった」


「ごめん……なさい……」

「なあ、今下。先に一つ訊いておく。何故わざわざ首を突っ込んだんだ?」


 あくまで育子の声音は淡々としている。

 叱る時も褒める時も、同じようなテンションだ。

 もっとも、育子としては別段今回の件で茉依を叱責するつもりはないのだが。


「それは……。見て見ぬふりが、出来なかったから……。あの男の人が危ないと、思って……」

「そう考え、行動した時点で、君はもう立派な退魔師だろう。つまりは君の中の理由だ」


「……そんな、わたしは……全然……」

「見ず知らずの誰かが傷付くことが嫌だった。君は、とにかく優しい人間だ」


 その優しさが異形にすら向くのだから、性根の良さが人並み外れているのだろう。

 結果として、己を追い込んでしまうほどに。


 だから異形を屠れば屠るだけ、どんどん茉依はその心を濁していく。

 育子は確信する。数年後に的中することになる確信を。


(今下は、恐らく最高の退魔師になる。ただ、その前にきっと――辞めるだろうな)


 まだ今は止められる。が、この先は分からない。

 間違いなく言えることは――その時、育子は絶対に彼女を止めはしないだろう。

 茉依の心が壊れるぐらいなら、こんな仕事なぞ辞めてしまえばいいと思うからだ。


「今回の異形は、担当者が探していたものらしい。偶然にもその尻尾を君が掴んだ」

「……そう、なんですか……」

「ああ。で、私が討滅した。被害者は出ているが、死者は出なかった。迅速に終わったからな」


 新人の退魔師など、大体は先輩退魔師に付いて回るカバン持ちみたいなものだ。

 そも、独断で命の危機に陥る状況に遭遇しないし、自ら飛び込まない。

 担当外なら尚更だ。


 誰だって己の命が一番である。それは正しいと育子も思う。

 が、さも当然の如く己の命を後回しにして行動可能な者が、時折この業界には出て来る。


 育子もそうだが、茉依もそうであろう。

 要は今回の一件は、新人の新人離れした行動の結果が積み重なったものだった。


「…………」

「最良ではないが最善の結果だ。つまりは――よくやった、今下。君の優しさが人を救った」


 茉依の頭上に手を置いて、育子は優しく撫でてやった。

 それが何かのスイッチを押してしまったのか、とうとう茉依は声を上げて泣き出す。


 嬉しくて泣いたのか、悲しくて泣いたのか、もう判断がつかなかった。


 やれやれと思いつつも、まだ茉依は十代の少女だ。

 メンタルなど弱くて当然である。

 なので育子は、子供へ言い聞かせるようにして彼女に告げた。


「泣きながらでいいから聞け、今下。こんな仕事、辞めたければいつでも辞めていい」

「ひっぐ……えぐ……うううぅ……」


「だがもう少しだけ耐えろ。この一週間、会社の金で遊び倒したのと同じだ」

「ど、どぼゆう……ごどでずが……?」

「私の持つ知識や技術を、君が会社に居る限り教える。それは、ここを辞めても役に立つ」


 即物的ではないもの。知識、技術、経験など。それらを学べるだけ学ぶ。

 充分学んだと思ったら、じゃあ辞めて他の道を進めばいい。


 本来会社などそういうものだ。

 お互いにギブ・アンド・テイクの関係であるべきだ。

 人生を捧げるに相応しい、神仏じみた神々しいものでは決してない。


「今回の件ならば。君は行動前に私へ一報を入れれば良かった。一番の反省点だな」

「ほ……ほーれんそう……」

「そうだ。そういうのを学び切ってから辞めても遅くはない。ほら」


 ハンカチを取り出した育子は、茉依の顔に押し付けた。


「女の涙は武器であるが、メイクを剥がす諸刃の剣でもある。泣き所は見極めろ」

「そ、それも……知らなかったです……」


 まだメイクの技量が浅いからか、育子のハンカチは泥でも拭ったかのようだ。

 そして茉依の顔も、酷いとしか言えない状態である。


「とりあえず――今から化粧室を探すか、今下」


 教えたいことはまだまだある。教わりたいことがまだまだある。

 茉依は大きく、子供みたいに頷いた――



* * *



「つーわけで、今下は辞めねェから。アタシの手柄やぞ」

「手柄も何も、最初からそういう付き合いをしろという話だがね……」


 最終的に、茉依はもうちょっと頑張るという形で落ち着いた。

 戦う理由も、それが何かを守る為だと思えば踏ん張れるだろう。


 何より育子の部下であることに茉依はかなり居心地の良さを感じているらしい。

 以上の諸々を、育子は部長へと報告した。


「しっかし仲良くなりゃあ可愛いモンだわ、ありゃあ。部下というか、妹っつーかね」

「気に入ったものだなぁ。こちらとしても嬉しくなるよ」


「エロい目でアタシら見んなよハゲw セクハラの十字架ぜんか背負わすぞw」


 育子は上機嫌であった。発言内容は相変わらず危ういが、声音で分かる。

 が、部長は一転して悲しげに声のトーンを落とす。


「……そんな君に一つ、悲しいお知らせがある」

「あ? アタシをクビにすんのか? もしそうなら今下除く社員全員泣かすぞ」


「いや、単純に今下さんの育成を他の者が担当することになった。明日から」


 上層部は育子の育成能力に今更ながら疑問を持ち始めたらしい。

 勝手に会社の金でやりたい放題したことも問題点として挙げられている。

 特にゲーム機とか完全にお前の私欲やんけ――と。


 育子はふむ、と頷き。つかつかと部長の隣まで歩いた。



「ハゲ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



 ――スパァァン!! 育子は遠慮なく部長の頭を平手打ちした。


「せめて言葉ぐらい練りなさい……」

「うっせハゲ!! ここまでやっといて今更他のヤツに盗られんのかよ!?」


「元を辿ると君がメチャクチャやり過ぎたのが原因で……」

「あー……まァ、ハゲに何言ったって無意味か……」

「決定権は上層部の方々にあるからね。仕方あるまいよ」


 随分とあっさり引き下がるものだ。部長はちょっと驚いた。

 育子自身は本来管理職で、多くの部下を監督する立場にある。


 茉依一人に付きっきり、という状況自体がそう長く続くものではないのだ。

 社会人として、薄々こうなることは分かっていたのだろう。


 とはいえ急な話ではあるが――育子はくるりと踵を返した。部長は声を掛ける。


「今日は彼女にお別れを言う日にしなさい。まあ一人の部下としては引き続き――」

「なあ、今日って役員会議あるよな? ハゲより偉いクソハゲ共がやるやつ」

「え? あ、うん……っていうかもう今やって――……まさか!?」



「全員殺してくる」



「いやマジで待ってぇ!! しょッ、正気かオイ!? 誰かそいつ止めろーッ!!」


 オニゲシメディカル内で伝説と化す事件がこの後発生する。

 社員の一人が会議室に乗り込み、役員全員をボコろうとしたというものだ。


 曰く「半年はアタシが面倒見る」と叫び、役員の半数が犠牲になったというが……。

 詳しいことは社内秘となった為、ほとんどの社員が知りようもない――



* * *



 ――数年後。あの時と同じカフェテラスで、育子と茉依はお茶をしている。


 今はひっきりなしに、茉依が育子へ喋り続けていた。


「それでですね、二十楽くんとおばさまの親子関係が改善して――」

「うん」


「この前はイン子さんが遂にこっちへ戻ってきて――」

「うん」


「あ、彼と二人で一緒にファミレスでご飯食べることが増えたんですけど――」

「うん」


「これはもうアレですよね? ありますよね? 脈……っ❤」


「はよヤれや」


 茉依の話を半分ほど聞いていなかったので、育子は適当にそう返しておいた。

 ぼんやりと昔のことを思い出していたが、しかしあの頃とは随分色々変わってしまった。


 茉依は退職し、現在無職。性格は社会人経験を経て明るめになった。

 しかし夢見がちな部分は変わらず、未だに高校の同級生に心惹かれている。

 半端にその男と縁が出来たのも逆風だろう。醒める気配はない。


(いつまで初恋追い掛けてンだか……)


「あんまり汚いことばっかり言わないでください」

「汚いも何も、ガキじゃあるまい。身体の相性は大事だぞ」


「かっ、身体って……もう! 育子さん、セクハラですよ!」

(まだ処女だろうなこいつ……)


 優秀な退魔師に育った茉依は、結局激務に追われることが多かった。

 本人も仕事を振られると絶対に断らないというのも影響している。


 なのでプライベートが充実しなかったのだろう。その辺りは出会った頃と同じだ。

 仕事を振った負い目もあるので、育子は少しだけ反省する。


「しかし――そんなにイイ男なのか? その二十楽とやらは。いい加減顔写真を見せろ」

「いえ全然。見た目は小麦粉みたいです」

「おう露骨に嘘つくなや!! 粉末状の人間とか意味分からんぞ!!」


「育子さんだけには会わせたくないので……」

「ムカつくなオイ!! 決めた!! もしその二十楽に会ったら絶対ゼッテェ喰うからな!?」


「やーめーてーくーだーさーいー!! 親子ぐらい歳離れてるのに!」

「離れてねェわ殺すぞお前!!」


 別々の道を歩くことになった二人だが、むしろ仲は以前よりも深まった。

 自分なりに将来を模索する茉依。相変わらず退魔師の管理職を続ける育子。


「あーそうだ。この前買ったゲームで分かんねえトコあるんだった。教えてくれ」

「いいですよ! わたしも、育子さんが前言ってた化粧品について知りたくて――」


 立場が変わったから、もうお互いから学ぶことはない……ことなどない。

 縁が続く限り、きっとこの二人は教え教わる関係であり続けるのだろう――




《おしまい》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サキュバスとニート(別荘) 有象利路 @toshmichi_uzo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ