《新人退魔師茉依ちゃん♡》③
「今日からしばらく、君は何もしなくていい。仕事のことは忘れなさい」
「それは……えっと、わたしが退職するからですか?」
「いや違う。そっちは保留だ。で、私も同じく何もしない。というわけで、行くぞ」
「え? え? どこへ……?」
翌日、一応出社した茉依に、育子はいきなりそう告げた。
困惑する茉依をよそに、育子はさっさと外に出て行く。
向かう先は地下駐車場、そこに育子の社用車が停めてある。
普段はこれで担当エリアを周り、必要があれば討伐を行っていた。
運転席に育子が乗り込み、茉依は助手席へと座る。
「辞める前に、運転免許を取った方がいい。この国で最も有用な資格だから」
「……辞めるのなら、要らないのでは……?」
「いや、会社の金で取れる。どうせ辞めるのなら、会社に金を出させるだけ出させろ」
「そ、それは、ちょっとこう……せせこましいというか」
「真面目だな、君は。そう言うと思ったので、今日から手本を見せよう」
「お手本……ですか?」
「ああ。君には後一週間だけ、私に付き合ってもらう。以降辞めたければ、止めはしない」
「…………」
育子が何を考えているのか、茉依には全く分からなかった。
社会人としても退魔師としても、茉依から見て育子はかなり立派に見える。
仕事上でミスをすることはなく、自分より何倍も面倒な仕事を軽くこなす。
その上で室長として部下の報告なども聞いているし、助言も求められれば的確に行う。
優秀過ぎるが故に――落ちこぼれな自分とは住む世界が違うと思ったのだ。
もう少し育子がダメな人なら、二人の距離感はまた異なったものになっただろう。
「ところで、今下くん。いや、今下。ちょっと雑談でもしようか」
「え? あ、はい……」
物珍しい――素直に茉依はそう思った。
これまで育子の運転で現場に向かうことはあっても、雑談はほとんどなかった。
話すことは大体仕事上の話で、それ以外はカーラジオだけが喋り続けていたからだ。
(アタシの方が身構えてたのかもな、よくよく考えりゃよ……)
育子的には、茉依側へ気を使っていたつもりだった。
陰気でコミュニケーションが苦手な新人に、無理に喋らせるのは酷である。
そう割り切っていたのだが、実際は異なっていたのかもしれない。
つまりは――育子も茉依へ踏み込むことに躊躇や恐れがあったのだ、と。
何かにビビるなど、育子としてはあってはならないことだ。
よって育子は、手強い部下へと踏み込んでいくことにした――
「今下って彼氏居る? てか週何回ぐらいヤる? セックスの話な」
――最低な形で……!!
「……。え、えええええ!? きゅっ、急にどうされたんですか室長!?」
「いや雑談だし。女同士なら別に普通だろう。彼氏幾つだ?」
「ちょ、ちょっと待ってください! あの……い、いたことありません、彼氏」
「あ、そうなの。ふーん……じゃあ週何回ぐらいヤる?」
「意味が分かりません!! 彼氏いないって今言ったじゃないですか!!」
「それはそうだが――ん? あれ? 彼氏居なくてもヤるだろう……?」
「やっ、やや……やらないですよ!?」
「えっ……?」
「ええ……!?」
どうやらお互いの倫理観に天国と地獄程の開きがあるようだった。
育子はかなりの肉食系女子である。女子……まあまだ一応女子でいいだろう。
一方で茉依は死ぬほど奥手かつ貞淑なタイプだった。
とんでもない珍獣に遭遇した気分である。育子側も茉依側も。
「じゃあ今下は――アレか。一人でヤる方が好きなタイプか。太めのが良いのか?」
「た、大麻室長。とんでもないセクハラの嵐ですよ……?」
「女同士だから問題はない」
「ありますよ!?」
(あれ……? コミュニケーションで一番使えるのって下ネタじゃねえの……?)
今更な話ではあるが、育子は下ネタが大好きであった。
が、下ネタほど好みの分かれる話題もないだろう。
残念ながら茉依はそういうのが得意ではなかった。嫌いではないが。
一応雑談ということで、茉依も頑張って話題を返しておく。
「その、大麻室長はいらっしゃるのですか? 彼氏……」
「居たけどこの前別れた」
「あ……ごめんなさい」
「いや、謝る必要はない。他にキープは居るから」
「……。きーぷ……?」
「ああ。まあいわゆるセフレ。そいつらの中から一人を昇格させれば済む」
「…………。大麻室長のイメージが、音を立てて崩れていく……」
「どういうイメージを持っていたかは知らんが、私は昔からこんな感じだぞ」
「意外です……」
「そうか。私もそう思っている」
「え……? 彼氏の話なら、わたしなんかにいるわけ……」
「違う。案外話せるのだな、君は」
は、と茉依は気付く。自然な形で、育子と会話をしている現状に。
それは育子からしても同様だった。茉依は思った以上に口が動く。
寡黙で陰気なイメージは、所詮他人から見た押し付けでしかないのだ。
本来の茉依は――恐らく、友人にはよく喋るタイプの娘なのだろう。
(一ヶ月間でそういうのも見抜けない、か。あのハゲもそりゃ説教カマすわな)
(人間ってフタを開けてみんと何も分からんもんばい……)
「今下。好きな食べ物はあるか?」
「……甘い物は、好きです」
「奇遇だな。私も好きだ――というわけで、目的地はそこにする」
「へ……?」
車を走らせている育子だったが、実は目的地を定めていなかった。
車内というお互い逃げ場のない状況下で、とにかく茉依と話をしたかったのだ。
どこに向かうかは、その時得た情報を元に決めればいい。
なので育子はコインパーキングに車を停めて、小さなケーキ屋に足を運んだ。
「ここは喫食スペースがある。有名店ではないが、味は保証しよう」
「大麻室長って、こういう店によく来られるんですね」
「たまに、だがね。挨拶の手土産にも使える――ああ、仕事の考えはよくないか」
「いえ、良いと思います。社会人っぽくて……」
「甘味を食べるのに社会も何もあるまい。さあ、入るぞ」
小ぢんまりとした店内だが、奥にテーブルと椅子があった。
全体的に落ち着いた内装で、隠れ家的な装いがある。
二人はケーキセットを注文した。育子はモンブラン、茉依はショートケーキだ。
「あ、あの、お会計は――」
食べる前から、茉依はそわそわとして財布を握り締めていた。
二人で店に入って何かを食べるということもこれまでなかった。
普段昼食は、茉依は持参した弁当、育子はコンビニで買って来たものを車内で食べる。
なので部下としての立ち振る舞いを、茉依はあまりよく分かっていないのだ。
少なくとも最初から『奢って』みたいなことは、彼女には出来ない。
「ああ、気にするな。私が全額払う」
「ですが、そんな――」
「言葉が足りなかったな。私が全額立て替える、だ」
「え?」
「領収書を切って、最終的には会社に金を出させるから問題ない」
こともなげに育子は言い放った。
業務上の必要な経費としてケーキを食べるらしい。
流石に茉依も、それがかなり無茶苦茶なことであるのは分かったが――
「名目上は部下への教育費とする。大丈夫だ、問題はない」
「……それって、大麻室長なりの……」
「いわゆる一つの、手本だな」
社会人として見せるべき、正しい背中と姿勢。
それはもうこの一ヶ月で、茉依には嫌というほど伝わっただろう。
よって育子がこの一週間で見せるのは、その背中の前にある――
いわば、汚れた表情だ。
「我々は社会の歯車で、会社の道具で、命令に忠実なる二足歩行の畜生――社畜だ」
「しゃちく……」
「が、別に望んで畜産物になりたい者など居ない。君もそうだろう?」
「それは、その通りですけど――」
「なら、こっちはこっちで会社という飼い主に世話を焼かせる。
故に育子は、会社の金で運転免許を取ればいいと言った。
オニゲシメディカルでは資格取得に補助金が出る。運転免許もその中にある。
辞めればそれが受けられない。全額自費で運転免許を取るのは、結構な出費だ。
どうせ働かされるのなら、そんな金は会社が出せよ。
こっちは浮いた金で遊ぶから。
このケーキもそうだ。茉依には言えないものの、育子の言い分は決まっていた。
茉依を引き止める為に使った金だ――
なら会社がその金は出すべきだろうボケカス。
つまるところ、この一週間、育子は茉依と何をするのか?
「今下。この一週間遊び回るぞ。会社の金で」
「え……ええええ!? そこまでやるんですか!?」
「やる。弊社は退職したい社員を引き止める為なら、そういう金を使っていいからな」
「そんなルールが……?」
「ある」
本当は無い。あるとすれば、それは茉依が特別だからだ。
まあ、入社一ヶ月の茉依にその辺りの見極めなど不可能だろう。
育子の方便であった。
大なり小なり、社会人というものは唯々諾々と命令に従う裏で、ガス抜きをしている。
営業の途中で、古本屋で漫画を立ち読みする者も居る。
絶対必要なものでもないのに、強引に経費ということにして落とす者も居る。
タバコ休憩を、ヘビースモーカーを理由にして頻繁に取る者も居る。
大したことなかったワクチンの副反応を、重いことにして数日間休みを取る者も居る。
ルール違反と言えばその通りだが、しかし綺麗事だけで世の中は回らないのだ。
人は元来そういう、汚れた生き物であるのだから。機械ではないのだから。
新入社員とは得てして綺麗過ぎるからこそ、ドブ川のような社会に適応しづらい。
「細かいことは一週間後にまた考えろ。今はケーキを食べるぞ」
「は、はい……いただきます!」
早い話が、育子は茉依をドブ川で洗ってやろうと――
そういう一週間にしようと、考えた。
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