《オレは女房、アイツの女房》⑤
昔、知人から譲り受けたボロボロのピッチングマシンがある。
速度調整は大雑把にしか出来ないし、変化球も投げられず、毎回球がブレて飛んでくる。
そんなオンボロと、琥太朗は睨み合うようにして向かっていた。
身に着けているのはキャッチャーマスクと、プロテクターと、レガース。
つまりは捕手に必要な防具一式だが、しかしミットだけは持っていない。
「最初は球速を遅くして、んでこれを……」
久遠那から借りたそれを、家のコンビニで大きく拡大しカラーコピーした。
さながら立て札のごとく、プラスチックボードに貼り付けた上で、マシンに装着。
「――よし、よく見える」
その距離、18.44m――マウンドからホームベースまでの長さ。
投手と捕手の、白球にて投げ交わす対話の距離。
琥太朗はしゃがみ込み、正面のマシンを見据えた。
――天使が、こちらに微笑んでいる。
いや、違う。天使ではない。あれは幼少期の和友だ。
久遠那とどこかに出掛けた際に撮った一枚だろう。
ソフトクリームを持って笑っている。
犯罪的な可愛さだ。もし現物を見たら、琥太朗は正気でいられないかもしれない。
よく久遠那はこの天使と一緒に暮らして無事だったな……と、琥太朗は改めて尊敬する。
「眩しいぜ」
出会ってから以降の和友なら、琥太朗は大量に写真を保管している。
しかしそれ以前、自分と出会う前の写真については一枚も持っていなかった。
よってアルバムを久遠那に頼んで貸してもらい、全部複製した上で年代順に並べ直す。
それで必要なものは全部手元に揃った。
――ボンッ!
オンボロだから球の射出音もそれなりにデカい。が、球速は一番遅くしてある。
ソフトクリームの天使から放たれたそれを、琥太朗は身体で受け止めた。
「……っ、もう
実際に触ると大体の未経験者は驚くが、硬球はほぼ石と変わらない。
ボール、という単語から来る柔らかなイメージを鼻で笑うほどの硬度を持っている。
むしろ石よりも投げやすい分、更に危険とも言えるだろう。
それを防具越しとはいえ、身体で受け止めるのだ。痛くないわけがない。
だが琥太朗はマシンに装着した天使を見て、その鈍痛に脳で麻酔を射った。
「これは……あいつから与えられた痛みだ……!」
即ち、マシンの球速と和友の年代を対応させる。
一番遅い球速なら、一番幼い頃の写真。
一段回速度を上げたら、小学校低学年の写真。
最終的には現在の和友になるようにそれぞれボードを用意した。
効果は覿面だ。苦ではあるが、しかし快もあった。故に耐えられる。
――憐憫や同情で和友と組むなど、許されることではない。
ならば琥太朗に必要なものは何か。そんなもの、最初から決まっていた。
「止めりゃいいんだろ、お前の球を全部……!」
自分ではない捕手を和友が求めたのは、フォークボールを投げられないからだ。
もし捕れない場合、後ろに逸らしてしまう。
それが怖いから琥太朗は投げさせない。
逆に考えれば――フォークを投げられるのならば、和友は自分を求める。
そもそも捕手としての技量だけなら、部内で一番なのは琥太朗なのだから。
(甘えんなって話だ。実力が足りないなら、死ぬ気で努力するしかない……!!)
では技量外の話、捕れなかった際のセーフティネット――壁としての能力は。
ああ、体格は今更変えられない。今あるこの身体だけが、自分の全てだ。
壁としては頼りないだろう。ならば、白球を恐れない壁になればどうだろうか。
受け止めた球を前に落とす技術。それには恐怖心が絡んでくる。
つまり、仰け反ったり避けようとしてしまえば、そのまま球は明後日の方向へ転がる。
誰だって痛いのは嫌だ。怖いものだ。出来るなら避けたいものだ。
「他ならないお前の球なんだ。その
これが仮に和友ではない投手なら、絶対に同じことは出来ない。
だが、自分の人生の一部を捧げても何ら後悔のない
琥太朗は、むしろ喜んで壁になれる。
自ら球に飛び付けるほどの、異常な捕手になれる……!!
――バンッッ!!
「……ッ! ……!!」
最高速度の球を真正面から身体で受けた。声が出なくなるぐらいに痺れる痛みだ。
まだまだこんなものじゃない。
これは直球で、どこに来るかはある程度予測がつく。
そしてそこにプロテクターを合わせて受けているのだ。
この後はマシンに角度を付け、意図的に球を地面に当ててイレギュラーバウンドさせる。
球がどこに跳ねるかなど、跳ねてからじゃないと分からない。
恐らくは防具外の部分、剥き出しの生身の箇所で止める必要も出てくるだろう。
その際の痛みは今の比ではない。この程度で苦悶を漏らすには早すぎる。
琥太朗は顔を上げ――こちらを見下すように見据えてくる
まずもって、野球をやる者は率先してこれをやりたがらない。
いわゆる薄給激務。見返りなき重責。多難にして不遇。マゾ御用達ポジション。
無機質かつ機械的に愛を投げてくるそれに向けて、琥太朗は小さく呟いた。
「オレには捕手が一番向いてる。お前だけの捕手に」
更に、一度息を吸い込んで、断言。
「お前から与えられる痛みなら、何されても平気だ」
最早疑うべくもない。
琥太朗は――めちゃめちゃドMである……!!
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