【File2】黒津神社⑥

 【05】完全犯罪


 県庁所在地より発車した在来線下りの車内は帰路に就く勤め人や学生でごった返していた。

 茅野きようだいは窓を背に長椅子の座席に並んで座っていた。その正面にはつりかわつかまる人の壁が連なっている。

 そのまま、二人は無言で藤見駅に到着した。

 他の乗客と一緒にホームに吐き出され、改札を潜り抜けた後、薫は我慢できずに姉へと質問した。

「……ねえ、姉さん。今日は結局、何だったの?」

 彼の知っている姉はいつも冷静沈着で、無駄な事など悪ふざけ以外にしない人間だ。

 姉の目的が本当に〝桜井梨沙を呪った相手を探す事〞ならば、今日の杉本とのやりとりはあまりにも彼女らしくない。

 単に杉本を感情的にあおっただけ。そんな風に感じられた。

 やはり、唯一の友人である桜井梨沙の事となると、姉も冷静ではいられないという事なのか。

 しかし、そんな彼の想像を裏切るかのように茅野循は邪悪な笑みを浮かべた。

「薫、貴方あなたは〝ノーシーボ効果〞という言葉を知っているかしら」

「ああ。プラシーボ効果の逆だね」

「そうね」

 そのまま、茅野姉弟は駅構内から外に出ると、ロータリーの右側にある地下通路へと向かう。駅裏の駐輪場を目指した。

 その間も茅野循は語り続ける。

「……がんと誤診を受けて死んだ健康な男や、傷をまったく負っていないのに出血性のショック死をした死刑囚……思い込みの力だけで、人は容易に死んでしまう。呪いを科学的に解釈すると、このノーシーボ効果という事になるわ。〝呪われた〞という思い込みが、悪い相乗効果を呼び込む」

 ここまでは薫も雑学として知っていた。

 しかし、だから何だというのか。

 姉の言わんとしている事が解らない。

 そこで、薫は少しだけ思案したのちに、ようやく彼女の意図に気がつく。

「まさか、姉さん……」

「あら、何かしら」

 まるでな少女のようにクスクスと笑う茅野循。

「もしかして、桜井さんにうらみを持っていそうな人、全員に今日と同じ話をするつもりなの!?」

「流石は私の大好きな弟ね」

 薫は改めて思った。

 やはり、姉は悪魔であると。

 茅野循は何のでも冗談でもなく、桜井梨沙を呪った相手に、その呪いを返そうとしていたのだ。

「姉さんは桜井さんを怨んでいそうな人に片っ端からプレッシャーをかけようと……」

 それによって〝呪いが跳ね返る〞と思い込ませる事により、犯人にノーシーボ効果をもたらす。

「梨沙さんを呪う為に、わざわざ面倒臭い儀式を行ったのだから、その力を強く信じているという事よ」

 それは、桜井梨沙を呪った犯人にしか効かない猛毒だった。

「でも、もしも、桜井さんの事故と丑の刻参りとの間に、本当に因果関係がなかったとしたら? それなら、藁わら人形を打った人は何もしていないのに、呪いを返されたって思い込む事になるんじゃあ……」

 その弟の言葉に茅野は一瞬の迷いもなく答える。

「呪いが実在するか否か、梨沙さんの事故が偶然か呪いか……そんな事は関係ないわ」

「関係ないって……」

「あの藁人形を黒津神社で打ち付けた犯人は、私の大切な友人に銃を向けて引き金をひいた。たとえその銃に弾丸が込められていなくても同じ事よ。私の友人を殺そうとした」

「じゃあ、姉さんは、本当に、今日みたいに桜井さんを怨んでいそうな人全員に会うつもりなの?」

 答えは解りきっている。姉ならきっとこのふくしゆうをやりとげる。

 しかし、その予想に反して茅野循は首を横に振った。

「それは今日でおしまいね。なぜなら、梨沙さんの藁人形を打ったのは十中八九、杉本奈緒で間違いはないからよ」

「え? 何で……」

「梨沙さんの名札が貼られた藁人形に打たれていた五寸くぎは、に突き刺さっていた」

「右足に?」

「そう。右足によ。理由は解らないけれど。それはも角として、彼女、こんな事を言っていたわ」

『偶然でしょ。いくらみぎひざを怪我したからって、呪いのせいだなんて。そんなの……』

「……それが、どうしたの?」

「ああ……」

 薫にも解ってしまった。杉本の発言の不自然さが。

「……にもかかわらず、まるで梨沙さんが右膝に怪我を負った事に特別な符合があるような言い方をしていた」

「確かに藁人形の右足だけに五寸釘が刺してあるのは一般的なイメージとは言えないかも。普通なら胴体とか……」

「それか、四肢のすべてに釘を打ちつけてはりつけにする様を想像するのが普通じゃないかしら?」

「じゃあ、少なくとも杉本さんは、桜井さんの藁人形の右足のみに五寸釘が打たれていた事を知っていた可能性が高い……」

 弟の言葉に、茅野は満足げな様子で首肯する。

「もっとも、梨沙さんの怪我が偶然などではなく、本当に呪いが原因だったとしたら私の言葉なんて、まるで意味はないわ。きっと、彼女は手痛いしっぺ返しをくらう事となる。必ずね」

 そうじゃないと釣り合いが取れないもの……と、茅野循は微笑む。

 そこで、薫は理解する。

 ノーシーボ効果は単なる保険なのだ。呪いの力が存在しなかったときのための。

 そして、この悪魔は、これから先、杉本が無惨な死をとげたと知ってもまゆ一つ動かさないのだろう。

 背筋にうすら寒い物を感じつつ、駅裏へと続く地下道の階段を登る。そこで、新たな疑問が頭の中に浮かんだ。

「……そういえば、姉さん」

「何かしら?」

「もう一つ、疑問があるんだけど……」

「だから何? 言ってちようだい

「何で、僕を連れてきたの? 僕っている意味あった?」

 茅野は弟の方を向いていたずらっぽく笑う。

「それは、一人で杉本さんに会いに行くのが怖かったからよ。だって、相手は面倒な儀式をしてまで他人を呪うような危険人物なのかもしれないのに……だから、頼りになる弟についてきてもらいたかったの。梨沙さん本人に頼む訳にもいかないでしょ?」

 そう言って茅野循は、まるで天使のように微笑んだ。

「薫。今日は、ありがとうね」

 悪魔に似つかわしくない素直な言葉。

 その不意打ちに、薫は照れ臭くなり、しどろもどろになって受け答えた。

「え、うん……ま、まあ……」

 すると、姉は急に半眼で唇をとがらせる。

「それにしても、普段、私がいくら遊びに誘っても、ぜんぜん乗って来ないのに、あこがれの梨沙さんの事となると二つ返事なのね」

「えっ、それは……違」

 不意を突かれて、大きく目を見開き、姉の横顔を見た。すると、彼女は口元に手を当てて、くすくすと笑う。

「いいのよ? 誤魔化さなくて。本当に貴方あなたはいつまで経っても、私の可愛い弟ね」

 薫の頰が一気に紅潮する。

 彼は思った。

 だから、このあくまは苦手なのだと……。


     ◇ ◇ ◇


『洋食、喫茶うさぎの家』


 藤見市の繁華街から少し外れた昔ながらの住宅街の一角に所在する。

 ディナーのピークが過ぎて、客足は少し落ち着いていた。

 そのちゆうぼうでフライパンを振るい、波打つナポリタンの中でタコさんウインナーを泳がせるのは桜井梨沙である。

 ケチャップが煮詰まり、こうばしい香りが立ってくるとしようなべ肌沿いにそそぎ、フライパンを傾けて焦がす。

 手早くトングで混ぜてから、均等に二つの皿に盛りつけた。

 そして、厨房の奥で黙々とキャベツの繊切りにいそしむ中年男に声をかけてカウンターへと出る。

 それから、奇妙な歌を口ずさみながら、カウンター席に並んで座る、茅野きようだいの前に二つの皿を置く。

「ここはとあるレストラン♪ 人気メニューはナポリタン♪」

「梨沙さん、それはいけないわ」

 そう突っ込みつつ、茅野循はナポリタンにタバスコを大量にぶっかけ始める。

 薫は二人のやりとりが意味不明だったのか、少し首を傾げてから、フォークに絡めたパスタを、ふー、ふーとし始めた。

 茅野たちが桜井のアルバイト先にやって来たのは、ついさっきの事だった。どうも夕食の準備が面倒になったらしい。常日頃から「最近、弟が構ってくれない」と彼女に愚痴られていたので、珍しい事もあるものだと思いつつ、桜井は厨房へと戻ろうとした。

 すると、薫に呼び止められる。

「ところで桜井さん」

「なーに?」

「今日は珍しく眼鏡なんだね」

 薫の指摘通り、この日の桜井は普段とは違いリムレスタイプの眼鏡をかけていた。実は彼女の視力はかなり悪く、裸眼だと目の前にいる人の顔すら判別する事ができない。

「……コンタクト切らしてるの忘れててさあ」

 桜井が照れ臭そうに笑う。すると、茅野があきれた様子で言った。

「たまに梨沙さんは、コンタクトどころか眼鏡すら忘れるときがあるわ」

 そこで、入り口近くのレジにいた女性が声をあげる。

「梨沙。今日はしめ作業はいいから、二人を送っていってあげなさい。最近はここら辺も物騒だから」

 彼女は桜井梨沙の実姉であるたけともである。下手をすると十代半ばにすら見える容姿は、妹の梨沙とよく似ていた。

 ちなみに厨房でキャベツを繊切りしていたのが、智子のだんである武井けんぞうであった。元自衛官で柔道と剣道の有段者でもある寡黙な男だ。

 桜井の姉夫婦にあたる二人は、この店の経営者でもある。

 その姉の言葉に、桜井は「はーい」と返事をする。そして、茅野たちに向かって言った。

「という訳で、もう少しで上がりだから、珈琲コーヒーでも飲んで待っててよ」

 そこで茅野が口を開いた。

「梨沙さん」

「何?」

 茅野は桜井に問う。

貴女あなたは、杉本奈緒さんって、覚えているかしら?」

 その質問に、桜井は少しだけ記憶をはんすうしたあとで、こう答えた。

「ああ。あの柔道の! 覚えてるよ。むき出しの闘志がすごくて、いつも侮れない相手だったよ」

 そして、現役時代を思い出したのか少し切なげに目を細め、彼女について更に続けた。

「今も柔道続けてるかな? きっと、もっと強くなってるだろうな」

 その言葉を聞いて、茅野姉弟は何とも言えない表情で顔を見合わせるのだった。

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