【File2】黒津神社⑤

 【04】人を呪わば


「だいたい、桜井さんを呪った相手を見つけてどうするつもりなの? 復讐? 単なる偶然かもしれないのに?」

 その杉本の言葉に、茅野循はあきれ果てた様子で肩をすくめる。

「これが偶然だと本気で思っているなら、自分の正気を疑った方がよいと思うけど」

「姉さん……ちょっと……」

 薫が姉をたしなめる。杉本も言い返す。

「正気を疑った方が良いのはそっちの方じゃない? 呪いが実在するなんて本気で考えているだなんて、これが中二病とかいうやつなの?」

「では、呪いではないと考えているならば、貴女あなたは梨沙さんの怪我の原因は何だと考えているの?」

「だから、偶然でしょ?」

「偶然というのはね、因果関係が不明であるという意味でしかないのよ」

「だから、桜井が怪我をしたのは車にかれたからよ! それ以上でもそれ以下でもない。事故が起こった原因は、運転手の不注意か、あいつの不注意かは知らないけど……そんな藁人形なんて関係ない! 関係があるはずがない!!」

 杉本はヒステリックに叫び散らした。周囲の客の目が彼女に集まる。

 薫がオロオロとしながら姉と杉本の顔を交互に見る。

「本当に、貴女はそう思っているの?」

 すべてを見透かすような茅野の視線。まるで、心臓をくかのような……。

「……どういう、意味……?」

 少しだけ冷静になった杉本はトーンを下げて聞き返す。

「貴女、さっき質問したわね? 呪った相手を見つけてどうするつもりかって」

「ええ。それで?」

「別に復讐なんて、するつもりは毛頭ないわ」

「じゃあ、何で……」

「警告よ」

 茅野は酷薄な笑みを浮かべる。

「何の、警告……?」

「人を呪わば穴二つ」

「は?」

「そのことわざの通り、何の代償もなしに呪術を行使できるだなんて、思わない事ね」

「しっ、知らないわよ……私じゃないもの……」

 呪術の行使には、必ず何らかの代償を支払わなければならない。

 それについては杉本も、事前にネットで調べたときに知った。

 しかし、黒津神社へ行ってから今まで、特に思いあたるような事は何もなかった。むしろ、幸せであったといえる。

 大嫌いな柔道から逃れ、放課後や休日を好きなように過ごし、自分の事を大切にしてくれる彼氏もできた。

 だいたい、あの夜の杉本はうしの刻参りの正式な手順を踏んでいない。

 格好もジャージとベンチコートにスニーカーだった。

 それに本来の丑の刻参りは、七晩も藁人形に五寸釘を打ち続けて、ようやく満願となる。あの夜以来、神社には一度も足を運んでいない。

 それでも桜井のもとに不幸が訪れたというならば、それは天罰なのだ。

 ただ存在するだけで、大勢の罪なき弱者を苦しめる、才能を持った者への罰。

 だから自分は何も悪くない。

 そう杉本は思い込んでいた。

 しかし、この日、茅野循のすべてを見透かすような視線にさらされ、彼女の中の確固たる信念が、わずかにほころび始めていた。

 茅野のひとみ

 色素の薄い。

 それこそまるで、呪いのような、くすんだ赤。不吉なそうぼうを見開き、茅野は話を続ける。

「……丑の刻参りを行った事を誰かに知られてしまえば、その呪いは跳ね返ってくる」

 それも知っていた。

 だが、その証拠はない。

 杉本奈緒が桜井梨沙を呪おうとした証拠など、どこにも存在しないのだ。しかし、茅野がそれについて何らかの証拠を握っていたとしたらどうだろう。杉本の脳裏に疑念が膨れあがる。

 例えば、どこかで自分の筆跡を手に入れて、藁人形の名札と照合されてしまっていたとしたら……。

 少なくとも、わざわざSNSで呼び出すくらいなのだから、何らかの理由で自分の事を疑っていた可能性は充分にある。

 もしも、そうであれば呪いは本当に自分へと跳ね返ってくる。ようやく杉本は、その可能性に思い至る。

「どうしたの? 顔色が悪いわよ?」

 茅野の言葉の一言一言が、胸を鋭くえぐる。杉本は息も絶え絶えになりながら、やっとの事で首を横に振った。

 すると、茅野が口角をゆがめる。そして、それが、まるで確定した未来であるかのように言い放った。

「……きっと、梨沙さんを呪った相手には、これからとてもひどい事が起こる」

「あ……あ……」

 杉本は半開きの口から声にならない言葉を漏らす。

 全身が総毛立ち、眩暈めまいがした。

 見知ったはずの世界が歪む。そのまま何も言えずにいると、茅野が伝票をつかんで立ちあがる。

「私たちはそろそろ帰るわ。何か思い出せたら連絡をちようだい

「ちょっと、姉さん……」

 姉の突然の行動に戸惑いながら薫が椅子から腰を浮かせる。

 そして、茅野は座ったままの杉本を見下ろしながら言う。

「貴女は顔色が優れないようだから、少し休んでいった方が良いわ。ドリンクのお金は私が払ってあげるから」

 薫が申し訳なさそうに頭を下げた。

 そのまま、二人は店を後にする。

 杉本はしばらく放心していたが、ふとスマホを確認すると彼氏からメッセージが届いていた。

 駅前のファミリーレストランにいると返信すると、すぐこちらに来てくれるらしい。

 本当に彼は優しい。

「な……何が、警告よ」

 もう桜井なんてどうでもいい。どうせ、得意だった柔道ができなくなって、惨めな暗い人生を送っているに違いない。勝ったのは自分の方だ。

 杉本はみだしなみを整え直すために席を立つ。

 気がつくと、入り口の硝子ガ ラス 張りの向こうは夜陰の中に沈んでいた。席はディナーを楽しむ客たちで埋まりつつある。

 そんな店内を足早に横切り、杉本はトイレに入って鏡の前に立つ。すると、そこには疲れ果てて、まるで赤の他人のような顔をした自分の姿があった。

 それは、桜井梨沙に試合で負けた直後の、昔の自分のようだった。

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