【File1】五十嵐脳病院②

 【02】輩たち


 それは中間テストの最終日だった。

 五月病がますます悪化しそうな蒸し暑い曇天の正午過ぎ。学校の周辺に広がる田園地帯を抜け、桜井梨沙と茅野循は五十嵐脳病院を目指した。

 病院が所在する黒谷地区と二人の自宅は、学校を挟んで反対方向にある。ゆえに、二人は下校せずに直接現地を目指す事にした。探索に必要な物は、登校時にあらかじめスクールバッグに入れてあり、反対に筆記用具や教科書などは、すべて学校に置いてきた。

 ともあれ、暇をもて余した田舎の女子高生特有のバイタリティで、不快な湿気を置き去りにするかのように自転車で風を切る。

 やがて、二人は田園地帯を抜け、山沿いを横切る国道に出る。その沿道にあったファミリーレストランに入り、少し遅めの昼食を取る事にした。

 店内は冷房が効いており、にじんだ汗が即座に引いていった。二人は駐車場が見渡せる窓際の席に座りメニューを開く。

「うわーい。テストが終わったから、ハンバーグを食べよう。チョコミントパフェもごほうび」

 桜井が無邪気に言い放つ。

「私は、この五月のフェアで一番売れてなさそうなアスパラ納豆カレーにしようかしら……」

 茅野は呼び鈴を押して店員を呼ぶ。各々が注文を済ませた。

 やがて料理が運ばれてきて、食欲をそそる匂いが二人の胃壁をくすぐる。さっそく食事に取り掛かり、その最中の話題は、終わったばかりの中間テストの事となった。

 ……あの問題はどう答えた、とか、あの教科の出来はどうだった……とか。

 そんな話を続けるうちに茅野の表情が青ざめる。

「……梨沙さん。貴女、本当に大丈夫なのかしら? 今、話を聞いた限りでは完全にアウトのようだけれど」

「だ、だいじょうぶ……多分。まだ可能性はある」

 目をらす桜井。

 その様子をじっとりとめつけるよこしまな視線がある事に、二人は気がついていなかった。


     ◇ ◇ ◇


「あれ、どこの制服?」

 そう言ってあごをしゃくるのは、黒のタンクトップに派手な柄物のシャツを着たオールバックの男だった。

 名前をおおぬまゆうすけという。

 彼の目線は喫煙席からほど近い、窓際の座席に向けられていた。

 そこでは二人の女子高生が向かい合って座っている。

 一人はスタイルのいい黒髪の美少女。もう一人は小柄で可愛らしい童顔だった。

 茅野循と桜井梨沙である。

 大沼はねっとりとした視線を向けながら、くわえていたマルボロのフィルターを唇から離し、ふう……と白い煙を吐き出した。

 その彼の疑問に答えたのは、メタルバンドのTシャツを着たさかだるのような男だった。

「あれ、藤見女子の制服じゃん」

 名前をはしげん という。大沼とは中学の時からの悪友である。

「そうですね。あれはフジジョの制服っす」

 橋野の言葉に同意を示したのは、さむかわしようである。大沼と橋野の一つ歳下の後輩だ。

 短い髪を金色に染めた彼は、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、桜井と茅野の方へと視線を向ける。

「何度かあの学校の女の子と遊んだ事あるんですけど、あそこの生徒、ちょろいんですぐに落とせますよ」

 大沼が煙を「ふう」と吐き出して、短くなった煙草をもみ消した。

「……んじゃ、寒川さあ」

「何すか。大沼さん」

「あの子たちナンパして来て。いつも通り、ヤリ部屋連れ込んで酔わせてからマワそうぜ」

「あ、リョーカイでーす」

 寒川は席を立つ。

 それは、まるで『ちょっと、コンビニにでも行ってくる』といったような気安さであった。


     ◇ ◇ ◇


 いつの間にか、話題は中間テストの出来映えから、五十嵐脳病院についてへと移り変わっていった。

「……五十嵐脳病院は、当時の最新鋭の医療をうたって、心の病んだ人を格安の入院費用で受け入れていたといわれているわ」

 そう言って、茅野は納豆とカレールーをスプーンで混ぜ始めた。

 桜井は「ふうん……」と、気の抜けた相づちを返し、切り分けたハンバーグを白米と共に口の中にかき込んだ。そのまま、茅野の話に耳を傾ける。

「……昔はまともな精神医療を受ける事ができたのは一部のお金持ちだけ。中流階級より下は、神社や寺でとうに頼るか、私宅監置が一般的だった」

「したく……かんち?」

 桜井が首をひねる。

「私宅監置は……そうね。しきろうの事よ。昔は心の病んだ人を自宅にある土蔵や地下室に閉じ込めていたの。そういうのが法律で認められていたのよ」

「へえ……じゃあ、これから行くところは、いい病院だったの?」

「いいえ。入院させたらそのまんま」

「そのまんまって……?」

「治療どころか、ろくな食事も与えないで、病室に閉じ込めたきり」

 桜井がまゆをひそめた。

「……何で、そんなひどい事を」

「入院費が目的ね。患者を受け入れるだけ受け入れて、お金だけ取って何もしない。そうする事で不当に利益を得ていたのよ。実は、こうした悪質な病院は、昔はけっこうあったらしくて……」

 そこから、昔の精神医療が現在に比べていかに酷いものであったかを茅野が語り始めた。

 話が進むにつれて彼女の声音は熱を帯び始める。

 対する桜井は話を聞いてなさそうな、ぼんやりとした顔つきであった。しかし、実際には聞いていない訳ではなく、その相づちのタイミングは的確で、ときおり質問も挟んでいた。

 そうして、時は過ぎて、食事と話題が一区切りついた頃合いだった。

「ねえ、君たちさぁ、フジジョでしょ?」

 唐突に声がした。

 桜井と茅野は、その声のした方へと視線を向ける。

 いつのまにか、テーブルの脇に短い金髪の男が立っていた。目を弓なりに細め、軽薄そうな笑みを浮かべている。寒川だった。

「何の用ですか?」

 茅野が冷たい声音で聞き返す。しかし寒川は彼女の言葉に答えようとはしなかった。

「俺、フジジョの女の子と、この前、合コンしたんだけど……」

 恐らく彼の目的はナンパであろう。それを悟った茅野は大きなめ息を吐いた。

 桜井の方はというと、無視してチョコミントパフェの残りを急いで食べ始める。

 しかし、寒川は自分の存在が上滑りしている事を気にした様子もなくしやべり続けた。

「……知ってる? レイコちゃんってコで一年生でテニス部なんだけど」

 桜井と茅野は反応を示さない。絶対零度の気まずい沈黙。しかし、寒川はめげない。

「何かノリ悪いね、君たち。そうだ。今からカラオケ行かない? もちろん、おごるから」

「嫌です」

 一秒の間もなく茅野は返答する。そこで桜井がのんな声をあげた。

「あー、しかった。食べ終わったし、そろそろ行くんで、あたしたち」

 茅野は、ふっ、と鼻を鳴らして笑う。

「そうね」

 椅子から腰を浮かせ、伝票受けに手を伸ばした。その手首を寒川がつかむ。茅野は嫌悪をあらわにする。

「ちょっと……放してください」

 雑談をかわしていた他の客たちが騒動に気がつき、静まり返る。茅野たちの方を注視し始めた。

 しかし、寒川は目を弓なりに細めたまま引きさがろうとしない。

「そっちが無視するからいけないんでしょ」

 そこで、桜井が剣吞な表情で寒川をにらみつける。

「ちょっとさあ……」

 一触即発の空気が漂い始める。

 すると、目ざとく事態を察知した中年男の店員が小走りでやってきた。

「あー、お客様、他のお客様のご迷惑になりますので……」

 次の瞬間だった。にこやかだった寒川の表情が一変する。

「うるせえなあ! でしゃばってくんなよ!」

 突然の怒声に店内の空気が凍りつく。

 数十秒……一分は超えたかもしれない。

 その止まった時間を動かしたのは……。

「おい、やめろって。他のお客に迷惑だろ?」

 奥の喫煙席から聞こえた声だった。

 大沼が立ちあがり、煙草を咥えていた。

 その傍らでは橋野が粘り気のある笑みを浮かべて桜井の事をめつけている。

 寒川が喫煙席の方に向かって言った。

「でも、大沼さん……」

「もう、いいから」

 大沼は煙を吐き出しながら苦笑する。

「でも……」

 と、寒川が何かを言いかけたところで、大沼が真顔になった。

「聞こえなかったのか?」

 すると、寒川に脅えの色が差した。その直後、彼は茅野の手首を離し、大きな舌打ちをする。すごすごと喫煙席へと戻って行った。

「出ましょう」

「うん……」

 桜井と茅野は急いでレジへと向かった。


     ◇ ◇ ◇


 店内を後にする二人を目で追いながら、大沼はいぶかしげな顔で言う。

「……にしても、こんな何もない山奥に、JKが何の用なんだ?」

「さあな」と、橋野は肩をすくめた。

 そして、寒川が嫌らしい笑みを浮かべながら言う。

「……あいつら、廃病院の話をしてましたよ。もしかして、これから行くんじゃないんですかね?」

「何であんな、何もない所に」

 橋野の発した疑問に寒川が答える。

「肝試しにでも行くんじゃないっすか? 動画を撮るとか」

 そこで、大沼が煙草をくわえたまま、ニタリ、と口角をあげた。

「なら、好都合だ。あそこなら泣こうがわめこうが誰も来ないからな」

 その言葉を聞いた途端、寒川と橋野が不気味な微笑を浮かべた。大沼も盛大に煙を吹き出して笑う。

「男をめると、どうなるのか、しっかりと解らせてやろうぜ」

 そう言って、灰皿にマルボロの灰をたたいて落とした。

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