第30話 俺にだけ聞こえる

「はい、じゃあこれ納品伝票ね。それじゃあ後輩のみんな~、私たち卒業生はこれからもプランター越しにずっと応援してるからねえ~。練習がんばってね~!」

「「「はいっ! ありがとうございますっ!」」」

 俺が伝票を受け取ると、陸上部員たちが腰を直角に折り曲げて礼をしながら立ち去る咲子さきこさんを送り出す。


 その美しさすら感じさせる礼は、フラワーショップ咲彩さあやのワゴン車が見えなくなるまで続けられた。

 俺が例えると洒落にならないのだが、まるで組長が乗る黒塗りのベンツを見送る組織幹部たちのようだった。


「やってくれたじゃないか鮫島さめじまくん。見た目通りのシノギだったね」

「シノギとか言うのやめませんか……?」

 にまにまと笑みを浮かべながら白崎しろさき先輩が俺の脇腹に肘を打ち込んでくる。


 見た目通りのシノギなどと言われて素直に喜んで良いのか引っかかりを覚えるが、これでなんとかプランター撤去の阻止は出来たはずだ。


「それはそうと鈴木さんは……?」

 辺りを見回してみるのだが、ワゴン車から育苗トレーを下ろしていた間から鈴木さんの姿が全く見えない。


「そういえば姿が見えないね? 彩子あやこくんが一番に喜んでいそうなのだけれど」

【太陽の子だったらあっちに行ったぞ】

 プランター側に並べられた苗たちから声をかけられる。


 太陽の子、つまり鈴木さんのことだ。


「あっちに行ったって、どっちだよ?」

「うん? ど、どうしたんだい鮫島くん……?」

 いきなり育苗トレーに向かって声を発した俺を、白崎先輩が目を丸くして見上げてくる。


「あっ、いえ……、ひ、独り言で……」

 慌てて口をつぐむがうっかり零れた声は戻らない。気を付けているつもりだが、咄嗟に植物から声をかけられて返事をしてしまう癖を治さないと……。


 こうしている今も、トレーの中の苗たちから、

【あっちよ、あっち!】

【あっちに歩いて行っちゃったわ】

【はやくはやく! 太陽の子、悲しそうだったよ!】

 そんな風にしきりに心配そうな声を上げてざわめく。


 悲しそうに歩いて行っただと? いったいどうして……? 


「白崎先輩、ここ任せても良いですか? 鈴木さんを探してきます」

「うん? ああ、いいとも」

 一言断りを入れて、ひとまずグラウンドを後にする。


【もうっ、どこに行くのよ? こっちよこっち!】


 グラウンド駐車場の脇に花を咲かせていたシロツメクサが騒ぎ立てる。

 そんなことを言われても、お前たちから『あっち』だの『こっち』だのと言われてもどっちなのかがわからないのだ。


 俺はシロツメクサの声が聞こえる方向へ導かれるように校舎裏に向かって駆け出す。


【ほら、急いで! 太陽の子だったらあっちに行ったわ!】

【こっちこっち、早く早くーっ!】

【もたもたしないで! 太陽の子が陰っちゃうよ!】

【どこを見ているそっちではない。あの娘、泣いておったぞ。ほら走れ】


 声に振り回されながら、駆け出した先のセイヨウタンポポに急かされ、小さな花を揺らすナズナたちに追い立てられる。


【ここよここよ、太陽の子ならここにいるよ!】

 チクチクとした紫の花を揺らして野アザミが教えてくれた場所は裏庭の用務員倉庫だった。


 一晩中の作業のうえに駆け出したせいで乱れた息をなんとか整え、そっと倉庫の裏手に回ってみるとしゃがみ込んで俯く鈴木さんの姿が目に入った。


 ハッと気配を感じ取って俺を見上げたものの、すぐに顔を背けるようにして俯いてしまう。


 たったそれだけのわずかな一瞬で気が付いてしまうほど、眼鏡越しにもはっきり涙を流しているようだった。


 その手のひらに、大切に大切に、労るように優しく一つだけ育苗ポットを乗せて顔を伏せる鈴木さんの姿は、あまりにも痛々しく見えて見つけ出したことを後悔しそうになってしまう。


「……あはは、隠れてたのにバレちゃった。鮫島くん、よくわかったね」

 頬を伝う涙を拭いながら気丈に笑顔を浮かべて見せる。


 ここまでの道すがら、花たちがみんな心配していたからなんて言ったら信じてくれるだろうか。

 そんな一抹の不安がよぎってしまうほど、いつものはつらつとした特徴的な笑い方とぜんぜん違っていて、無理して取り繕っているその様が気の毒に思えてかけるべき声が見つからなかった。


「ご、ごめんね……、わたしがちゃんとお花を管理出来なかったからあんなことになって」


 あんなことというのは石中部長との諍いの結果、倒されてしまったプランターのことだろう。けれど、どうして鈴木さんが謝るのだ? 花の管理は万全だったのだ。


 なによりあんなことになってしまったのは、俺への当てつけと嫌がらせだったのだから。

 鈴木さんはただの、純然たる被害者なのに。


「もっと、誰が見てもはっきりわかるように、お花が咲いてる苗を選んでいれば……」


 違う、そんなはずないじゃないか。

 鈴木さんは、これからもっと暖かくなるにしたがってどんどん咲き誇っていくように考えて、まだ蕾の苗ばかりをあえて選んだのだ。


 美しく咲き誇るその時のことを想像して、その花を見た誰かが、ほんの一瞬でも足を止めてくれることを願って。

 そうやって足を止めた瞬間だけでも、心を癒やしてもらえるように願って、誰よりもその姿を楽しみにして。


「そんなこと、ないですよ」

 やっとの思いで絞り出した言葉は、そんな取って付けたみたいなものだった。


 これまで接してきた中で、ただの一度として見たことのなかった鈴木さんの落ち込みきった姿が、あまりにも弱々しく、ひたすらに痛々しく映ってしまい、どんなに手探りで取り繕う言葉を並べようととても正解が見当たらないのだ。


「わたしがちゃんと出来ないから、鮫島くんが咲子お姉ちゃんに頼んでお花を用意してくれたんでしょ? ……本当に、わたしってダメで、ごめんね」

「ち、違いますっ、今回の件で石中部長を納得させる一番の解決方法が、咲子さんにあの場に来てもらうことだったんです」

「うん、わかってる。わかってるよ。……わかってるんだけど、やっぱり、自分がみじめに思えて、こんな嫌味なこと言っちゃってる。……本当の本当に、わたしってダメだね」


 ――なんてことだ。


 これでなんとかなる、むしろこれしかないと思って取った俺の行動のせいで、鈴木さんを苦しめてしまうことになるとは思わなかった。


 お姉さんである咲子さんに対しての対抗意識、きっとそれは何をやらせても自分よりも完璧にこなしてしまう姉に対するコンプレックスなのだろう。実力差を突き付けられるほどに、途方もない劣等感に苛まれる。


 よりにもよって、苦しむ鈴木さんを助けるために最も施しを受けたくなかった咲子さんのおかげで全てが丸く収まってしまい、結果、より苦しめることになってしまっていたのだ。


 誤算だったのかもしれない。

 けれど、プランター撤去を阻止するための手段としてはもう、ああするより他なかったのだ。ダメだと言うなら、それは完全に俺の方だ。今の俺には、それ以外に手段が思い付かなかったのだから。


「……プランターの寄贈プレートがあると確信したのは、倒されたプランターの裏側に『祝インターハイ出場記念』と文字が彫り刻まれていたんです。見えなくなる裏側にこっそり刻まれていたから、あのまま普通に設置されていては気付くことはありませんでした。わざわざ倒されたからこそ気付けたんです。だから、鈴木さんはダメなんかじゃありません。ダメなのは、咲子さんに頼ることしか思い付かなかった俺の方です」


 さかえ先輩が撮影したスマホの動画に映っていた、陸上部員たちがプランターを倒す映像。そんなことをしたがばかりに皮肉にも事態の収束へと繋がったのだ。


 さらに、刻まれた文字の横にフラワーショップ咲彩さあやの特徴的なロゴマークがあったのだ。それであのプランターが咲彩のオリジナル商品であること、そして以前、鈴木さんの部屋にお邪魔した時に咲子さんがで、さらにであると聞いていたこと。


 どれか一つでも欠けていたらきっと結びつくことはなかった、奇跡を寄せ集めた偶然の賜なのだ。


 だから昨日、閉店前の咲彩に駆け込んで咲子さんに無理なお願いをしたのだ。

 花を売ってくださいと。しかも翌日の早朝、直接グラウンドに納品に来てください、と。


 そして俺は、無理を引き受けてくれた咲子さんに薄汚れたプランターを見せるわけにいかず、一晩かけて全てのプランターを磨き上げたのだ。当然、納品された花の苗たちを植え込むために土の入れ替えも必要だった。


「……そっか。……やっぱり、咲子お姉ちゃんはすごいな。ぜんぜん敵わない」

 俺のつたない説明で納得したのかしていないのか、手のひらの苗の葉をそっと優しく撫でながら鈴木さんが呟く。


 その苗は昨日、踏みつけられて茎が折れかけてしまったサフィニアだった。


 寄せ植えのリーダーだと張り切って植え付けていた、青い花を咲かせるはずだったサフィニア。けれど、鈴木さんに撫でられても、その声は聞こえてこない。


「すみません。……俺が、勝手なことをしてしまって」

「ううん、どうして鮫島くんが謝るの? プランターが撤去されずに済むようにがんばってくれたんだから。……ぜんぜん何も出来なかったのはわたしだけだから……」

「そんなこと――」

「わたしがあんな風に感情的になって大騒ぎしなかったら、こんなことにはなってなかったかもしれない。そうしたらこの子だって、きっと綺麗に花を咲かせられたのにね……」


 視線を落とし小さく洟をすする。

 そっとそっと優しく、苗を胸に抱き締める。

 傷付けないように、苦しめないように、包み込むようにどこまでも優しく。


「……ごめんね、痛かったよね、わたしが、わたしなんかが関わっちゃったから、もう咲かせられないね……」


 その頬を、はらりと舞う花びらのように、ひと筋の涙の雫が伝う。


「わたし……、お花たちに嫌われてるよね。ぜんぜん、うまく育ててあげられなくって……」

「そんなこと――」


【――……いわ】


 聞こえた。


【………………そん、な、……ないわ】


 それはとてもか細く、弱々しく消え入りそうな小ささで。

 鈴木さんが胸に抱くサフィニアの声が聞こえた。


【……かないで。……泣かな、いで。……太陽の子。……え、がおを、……曇らせ、ないで】


 無惨と言うしかないほど、土に埋まり踏みつけられて茎が折れかけて弱り切っている。


 それなのに、必死で言葉を紡いでいる。

 聞こえるはずのない鈴木さんに気持ちを届けようとしている。


「――――――ないです。花たちに嫌われているなんて、そんなことないです」


 伝えなければ。


 鈴木さんが花たちに嫌われているなんて、絶対にない。


 俺にはわかる。

 俺にだけは、それが聞こえる。


「……どうして?」


 顔を上げた鈴木さんが、まっすぐに俺を見つめてくる。

 涙で濡れた眼鏡の奥の瞳が、俺を試すみたいに、断言の真意を見抜こうとしている。


 植物たちから太陽の子と呼ばれる鈴木さんは、どうやらその手のひらからとんでもない光エネルギーを発しているらしい。人間の俺にはまるでわからないが、鈴木さんに触れられた植物たちは、軒並み熱い熱いと苦しみながら悲鳴を上げていた。


 けれど、鈴木さんの部屋のパキラは言っていた。


 ――一途すぎて、愛が重いのよ。と。


 そう、植物たちはみんな苦しんで叫びはするものの、ただの一度だって鈴木さんのことを嫌いだとは言ったことはない。それだけは間違っても聞いたことがない。


 俺にだけは聞こえる、俺にだけはそれがわかるんだ。


【……あなたに、触れられて、……嬉しかったわ。……私たちを、大切に、思ってくれる気持ち、……私たちも、あなたのこと――】


 今もサフィニアは弱り切ったその葉を震わせて、必死にただそれだけを伝えようとしている。


 涙に濡れるその瞳に、ただまっすぐに伝えようとしている。


 俺にはそれが聞こえる。

 俺にしかそれが聞こえないのだ。


 だから――


「ねえ、どうして? どうして嫌われてないなんてわかる――」

「好きだからですっ!!」


 悲痛な面持ちで見つめてくる鈴木さんの言葉を遮って俺は叫んだ。


 一番最初に、鈴木さんに教えられ心に響いた一言を思い出す。


 ――好きなら好きって言わなきゃお花がかわいそうだよ?


「今もまさに鈴木さんのことを好きだって思ってる! 俺にはわかるんですっ!!」

「――――――――えっ」


 必死に好きだと伝えようとしているサフィニアの言葉を代弁する。


 好きだと伝わらないと、ちゃんと言ってあげないとサフィニアがかわいそうじゃないか。


 鈴木さんは嫌われてなんていない。

 ただ、ほんの少しだけ植物たちに対する愛情が強くて重すぎるだけなのだから。


「…………………………………………あ、……えと、その」

 突然すぎる俺の絶叫に言葉を失ってしまった鈴木さんが眼鏡の奥で瞬きを繰り返す。


「だから、花たちに、植物たちに嫌われているなんて思わないでください」

「――え、あっ、う、うん……」

 震えるみたいに歯切れ悪く頷き、なぜだか鈴木さんは目を泳がせる。


 俺みたいな強面がいきなり大声を出したりして萎縮させてしまったのだろうか、だとしたら申し訳ないことをしてしまった。


「…………えっ、と、……わたしのことが、……………………す、すす、好き?」

「はい。大好きですよ。だから自信持ってください」

 揺るぎのない俺の即答にさっきまで涙を流していた頬を、なぜだかほんのりと赤みを帯びさせて所在なさげに瞬きを繰り返す。


 大好きでもない人に、こんなに弱り切ったサフィニアが必死で気持ちを伝えようとなんてするはずがないのだ。植物たちはどこまでも素直なのだから。


【……あなた、素敵、ね。……じゃあ、そろそろ、……落ち着ける、場所に、植え直してくれると、嬉しいわ】

「そ、そっか…………、す、好き、だからか……」


 ぼそぼそ呟いてなぜだか挙動不審におろおろとし始める鈴木さんに手を差し伸べ、

「だから、早くグラウンドに戻りましょう。たくさん仕入れた苗の植え込みに鈴木さんの手が必要なんです。そのサフィニアも急いで植え直してあげましょう」

「――は、はい……、わかりました……」


 どういうわけか敬語で答えて、そろそろと握り返してきたその手は、やけに熱を感じさせてほかほかだった。


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