第29話 伝説

「……はっ、そんな少女趣味に付き合ってられ――」

「話を戻しましょう」

 鈴木さんの無垢な眼差しに怯みかけた石中部長が負け惜しみじみたことを言い始め、すかさず俺は間に割って入る。


 一睡もせず作業を続けた疲れのせいで、正直、立ち上がるのも辛い。

 動く端から体中が、ギシギシと油の切れかけた機械みたいに悲鳴をあげているが構ってなどいられない。


 気が付けば、いつの間にか俺たちの周囲を朝練にやって来た運動部員たちが遠巻きに囲んでいた。昨日の朝と全く同じ状況だ。


「……なに? また揉めてるの?」

「ほんと、いい加減にしてほしいよね……」

「誰か先生呼んできてよ……」

 声をひそめているものの、周囲から注がれる呆れ混じりの視線が突き刺さる。流石に二日も続けてこの状況では当然だろう。


 それを追い風にしてなのか、石中部長は恥をかかされた昨日と同じ轍は踏むまいと果敢に俺を睨み付けてきた。


「なんの話だよ?」

プランターの話です」

「は、はあ? か、風で倒れたんだろ……? 昨日そう言ったじゃないか。そのせいでうちの用具がダメになるところだったんだし、いまさら綺麗にしたところで撤去の申請は取り下げる気はないからな?」

「そうですね、風なのかもしれません。ですが、何が原因だったとしてもこのプランターは全部、一つたりとも絶対に撤去はさせません」

 固い決意を視線に込めて石中部長を鋭く見据えてやる。


 それこそプランターを押し倒してしまいそうな向かい風でも受けていそうなほど、たじろいで仰け反る上半身を必死に留めて堪えているのがわかる。


 心配しなくても荒事なんて起こす気はない、事の経緯を見守っている白崎しろさき先輩の顔に泥を塗るわけにはいかないのだから。


「……な、なにを偉そうに言ってんだよ? お前らにそんな権利あるわけないだろ」

「ええ、その通りです。俺たちにはそんな権利はありません」

 遠慮することを止めた俺の視線に晒されて、それでも辛うじて言い返してきた石中部長にとっておきの権利とやらを見せつけるため、俺は倒れたプランターの縁に手をかける。


 中に入っていた土はあらかじめ出して空っぽにしておいたおかげで、俺一人でもなんとか持ち上げることが出来た。


 ズシッと重く鈍い音と共にプランターが元に戻る。

 俺の行動を、理解に苦しむ表情で見つめている石中部長と陸上部員たちからちょうど正面になるプランターの側面に、朝日を受けて鈍色に輝くステンレス製のプレートが貼り付けられていた。


 これが昨日、暗がりの中で表面の汚れを擦り落として見つけ出した起死回生の一手であり、絶対にプランターを撤去させない、いや撤去できない奥の手となるのだ。


「ここ、読めますか?」

 俺に向かって無遠慮に注がれる訝しげな視線を一身に集めながら、一晩かけて磨き上げたプレートを指差す。


 いままでは土と泥の跳ね返り汚れで本来の色さえわからなくなっていたプランターの側面に、

『寄贈 第45期卒業生 陸上部部員一同』

 と刻まれたプレートが貼り付けられていた。


「このプランターはここに書いてある通り、卒業生からの寄贈品です。これは陸上部となっていますが、あっちはサッカー部、その隣は野球部と刻まれています」


 途端に辺りがざわつき始める。


 遠巻きに取り囲んで様子を窺っていた運動部員の中には、当然サッカー部も野球部もいただろう。そのうちの誰一人として、このプランターが寄贈品だなんて知らなかったのだ。


 練習に励む後輩たちの姿を見守るように、グラウンドの外周にぐるりと設置されていたにもかかわらず、いつの間にか管理されないままプレートは汚れて見えなくなり、誰が何の目的で設置したのかもわからなくなり邪魔者扱いという憂き目に遭っていたのだ。


 よくこれまで、寄贈主である卒業生から一度も指摘されることもなく、これほど薄汚れて放置されるに至ったものだ。


「………………」

 今度は石中部長が言葉を失う番だった。


 いままでずっと親の敵のように練習の邪魔だと罵り続け、挙げ句に撤去してもらう口実作りに横倒しにしたプランターが、まさか陸上部に所属していた卒業生からの寄贈品だったとは夢にも思わなかっただろう。


 しかもそれだけじゃない。このプランターを特に陸上部の面々が、絶対に撤去なんて出来ない決定的な理由が――


 ぷっぷー。


 あまりに場違いな軽い調子でクラクションを響かせて、フラワーショップ咲彩さあやのロゴマークが入ったツートンカラーのレトロなワゴン車がグラウンド横の駐車場にやって来た。


「いやぁ~、懐かしの我が校だねえ~。おまたせ~」

「……さ、咲子さきこお姉ちゃん?」

 咲子さんが運転席から下りるなり一つ大きく伸びをしながらほがらかな笑顔で言い放つ姿に、鈴木さんが眼鏡をずらして驚く。


「さあ~、ガーデニング部への注文の品だよ~!」

 プランター周りからの視線を一身に浴びてなお、まるで気にする様子も見せずに咲子さんがワゴン車の荷台のドアを大きく開け放つ。


【わあー、ひろーい!】

【どこどこ、ここどこー? いい天気ー!】

【どこに連れて来られるのかと思ったら広々した場所じゃねえか】

【出して出してー、お日様浴びたーい!】


 所狭しと荷台に積み込まれた、色とりどりのたくさんの花の苗たちから一斉に歓声が上がる。


 ワゴン車の荷台で春色に咲き乱れる、まるで小さなスタジアムのような盛り上がりだ。


「お、若人よ~、朝練とは精が出るね~」

 呆気にとられた視線を欲しいがままにして、咲子さんが俺たちの元に歩いてくる。


「おはようございます。無理を言ってすみません」

「良いのよ、これが仕事なんだから~。それより鮫島さめじまくんどうしたの? 前転しながら持久走したみたいな汚れ方してるじゃない?」

「ああ、これはちょっと……」


 俺が言葉を濁したところでそれ以上の詮索を止めた咲子さんは、何かを察したように口元をわずかにつり上げて、

「あらぁ~! すっごく綺麗に管理されてて嬉しいわあ~。後輩たちに大事にしてもらってるのねえ~。私たちが寄贈したこのプランター!」


 演技じみて見えるほど身をくねらせて喜びを全身で表しながら、愛おしそうにプランターをそっと撫でてみせる。


 俺がわざわざ一晩かけて全てのプランターを磨き上げたのはこのためだ。


 せっかく自分たちが後輩のために寄贈したものが、大切に管理されずに薄汚れてしまっている様なんて見せられるわけがない。


「よ~し、それじゃあ鮫島くん。花たちはここに運んじゃっていいかしら?」

「はい、お願いします」


 荷下ろしを始めるため、肩を回しながら意気揚々とワゴン車へと戻っていく咲子さんの後ろ姿に、

「……ねえ今の人って、鈴木咲子先輩でしょ?」

「うそっ、うちの学校で唯一インターハイに出場したって先輩!?」

「鈴木先輩って陸上女子200メートルでいまだに破られてない県記録保持者でしょ!?」

「ちょっと待って、鈴木さんって、あの伝説の先輩の妹だったの……?」

 いち早く気が付いた女子陸上部のざわめきがにわかに色めき立つ。


 その姿を後ろから眺め、この期に及んで理解が追いつかないのか、だらしなく口を半開きにしたまま愕然と立ちすくむ石中部長の隣に立ち、

「……どうしますか? この高校でを、邪魔だからって理由でまだ撤去したいですか? あれだけ先輩の偉業を口にしておきながら、まさか無下に扱ったりなんてしませんよね?」

 その耳元に小声で囁きかけると、愕然とした面持ちはそのままに石中部長がそろそろと俺に視線を送ってくる。


 ギラついた刃物みたいだと恐れられる鋭い目を限界まで見開き、眉尻を下げて瞬き一つせずに口角をぐいっと持ち上げて見つめ返す。


 繰り返し鏡の前で練習を重ねた、俺なりの渾身のスマイルだ。


 何度も言うが荒事なんて起こすつもりはないし、威嚇するつもりだってさらさらない。

 これでお互いに手打ちにしましょうという意味合いの笑顔だったのに、みるみる表情から血の気を失せさせて、分身しそうなくらい小刻みに震えながら俺から視線を逸らしてしまう。


 いままでで一番のスマイルを浮かべることが出来たと思ったのに、どうしていつも上手くいかないのだろう。毎度のことながら傷付いてしまう……。


「ふぅ~、私って元陸上部とはいえ、見ての通りか弱いのよ~? もう歳なのかしら~……」

 育苗トレーをよいしょっとプランターの側に下ろしながら、かいてもいない額の汗を拭う仕草でチラチラと視線を送る咲子さんに、

「――せ、先輩っ、私たちも手伝いますっ!」

「お、おい、みんなっ、俺たちも手伝うぞっ!」

 女子陸上部員たちが一斉に駆け寄り、続いて男子陸上部員たちも争うように我先にと進み出る。


 運動部特有の絶対的な上下関係を逆手に取った作戦は、これ以上は無理なほどに効果てきめんだった。


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