【三章】伝わりそうで、伝わらない

 廊下に出て階段を下り、一階のロビーにある自販機へ向かう葵は、まだ顔が赤いのが治まらない。ロビーを出て外の風にでも当たった方がいいのかもしれないが、この時間にも行動に制限がある。自販機のある一角へ向かっていると、買ったばかりのジュースを飲む凛を見つけた。胸まである髪は下ろしていて、少し濡れていた。顔もほんのり赤くて、風呂上りなのだろうと葵は気付いた。


「……っ」


 葵を見つけると笑顔になって手を振る凛に、葵はまた顔が赤くなった気がした。だけど立ち止まるのも変だし、喉は乾いているので凛の隣に並んで自販機の飲み物を選ぶ。ミネラルウォーターを買うと蓋を開けて一口飲んだ。


「お風呂上りって熱いよね!」

「……うん」


 凛は葵も風呂上りなのだと思っている様で、顔が赤い理由を誤魔化せて都合が良かったと安堵する。だけど、風呂上りより熱い顔の温度と、鼓動の速さは治まる事を知らない。ロビーのドアが開く度に外の冷たい風が入って来て、それが心地いいと感じる。

 

(素直に言わないと伝わらない……か)


 先程の楓の言葉を思い出して葵は少しだけ凛に視線を向ける。ジュースを美味しそうに飲む凛が可愛くて、気付かれない内に自販機に視線を戻した。

 凛は天然な上に鈍感だ。その割には葵の事を知っている。バスケの大会の時も葵が伝えてない体調の変化に気付いていた。だから、葵の気持ちにも気付いているのかもしれない。思い返せば手を繋いだり抱きしめ合ったり、恋人同士でする事をしている気がする。凛はそれを拒まないし、だからこそできる行動だ。でも、凛は女子とも仲が良いし、寧ろ女子と一緒に行動する事が多い。だからこういうスキンシップは普通なのかもしれない。


「葵?」

「……っ」


 そんな葵の葛藤に気付いたのか、凛は不安そうに葵を見上げて首を傾げた。凛の大きな瞳に吸い込まれてしまいそうな、そんな錯覚をしてしまう位に、葵は凛へ体を向けて見つめる。素直になるなら今なのかもしれない。だけど、気持ちを伝えた後の凛の反応が――返事が怖い。人の気持ちを想像する事は誰でも出来る。だけど想像と現実が一緒になる訳でもない。友達で居続けたいという気持ちも大きいし、もし気持ちが一緒で無かったら、この関係は終わってしまうのではないか?


「凛……」


 でも不思議と、凛の表情かおから想いが伝わって来た様な気がして。


「……なに?」


 じっと見つめ合って、どれ位の時間が経ったのだろうか。鼓動が早くて、心臓が爆発してしまうのかもしれない。葵は口を開けて、そして勇気を振り絞って――


「くちゅんっ!」


 小さく可愛らしいその声を聞いて、葵は我に返る。室内とは言えロビーのドアが開く度に入って来る風は冷たい。凛は風呂上がりだ。逆上せてしまう前に部屋に帰さねば。


「ごめんっ、冷える前に部屋に戻ろう?」

「あ……うん」


 そう凛の手を掴んで階段を上る。葵の部屋は二階で、凛の部屋は三階だ。二階の廊下で手を離して葵は凛を見つめた。凛の頭を軽く撫でて葵は口を開く。


「風邪引かない様に布団ちゃんと掛けて寝てね? お腹出して寝ちゃ駄目だよ?」

「……えへへっ、葵ってお母さんみたい」


 凛の言葉に照れる素振りを見せない様に、葵は凛の頭から手を離してもう一度凛を見ると、凛は嬉しそうに微笑んでいた。


「葵も風邪ひかないように寝てね? おやすみなさい」

「うん、おやすみ」


 手を振って三階に上がっていく凛の背中を見続けた。凛の姿が見えなくなった所で葵も自分の班の部屋に戻る。戻ったら絶対に楓に何か言われるだろう。それ位顔の赤さが消えていなかった。

 

(お母さんみたいって初めて言われた……)


 いつかそんな風になるのだろうか。もしそうなるなら、相手は誰が良いか聞かれるまでもない。だから想像してしまって、葵はその日一睡も出来ずに夜が明けた。



 *



 翌日の行動が終わり、あとは東京に帰るだけだ。帰りの新幹線に乗り席に着く。凛は窓側に座りその隣に葵が座る。通路を挟んだ隣に楓が座った。


「楽しかったね!」

「うん」


 座席に着いた途端、葵は睡魔に襲われていた。一睡も出来ず、長旅で疲れも溜まったのだろうし、帰り道もまだ時間は掛かる。


「葵……? 眠いの?」

「うん……昨日あんまり寝られなくて」


 あんまり所ではなく寝られなかったのだが、凛に心配されそうなので少し嘘をつく。眠そうな葵を見て、凛は微笑む。


「私も楽しくて少ししか寝れなかったんだ〜」


 そう言って凛は葵の近くに寄る。


「寝ていいんだよ?」

「うん……ありがとう……」


 照れた様に葵は凛に寄り添う。すぐに寝息が聞こえて、余程寝れなかったのだと凛は少し心配する。


(甘えてくれるの珍しい……)


 でもそれ以上に自分に寄り添ってくれた葵の行動が嬉しくて、凛は微笑む。座席の間にある葵の手をじっと見て、凛は手を重ねた。そうして嬉しそうに凛も目を瞑ると、そのまま夢の中へ誘われて行った。


(早く付き合えばいいのに)


 その様子を見ていた楓は、仲良さそうに眠る二人を見て微笑んでしまう。不器用なのか素直じゃないのか、でもこんなに寄り添える位に仲が良いのは誰が見ても判る。

 だから修学旅行の思い出として、二人の寝姿を写真に収める。写真に収まる二人の表情かおは嬉しそうに笑っていた。それを見て楓も嬉しそうに笑った。



 


〈四話へ続く〉

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