第二章 シナリオ……通り?
「……で、なんでこんなに観客が多いんだ!?」
練習試合の当日。騎士学校の生徒に交じって訓練場に
「仕方ないでしょう。練習試合をやるらしいって言ったら、
もちろん言いふらしたのはコーデリアだ。これはただの練習試合ではない。この機会に、アイザックの強さを知ってもらおうと思ったのだ。
新商品お披露目会ならぬ、アイザックの実力お披露目会。
ここで起きたことはすべて、プレスの代わりに令嬢たちが口コミで話を広げてくれるだろう。
「俺は構わないけど、王子サマが
ジャンがフン、と鼻を鳴らして見せれば、
「今日こそ、手加減なしで来てほしい。負けた時に『王子だから手加減した』と言い訳されたくないから」
バチバチッと、ふたりの間に見えない火花が飛び散った。間近で見ていたコーデリアがごくりと
(さあ……私ができることは全部したわ。あとは殿下
広報ができるのは、存在を周知させ、盛り上げること。だがそれもすべて、会社や商品の実力があってこそだ。備わっていない性能を
もしアイザックが
(殿下……信じていますわよ!)
コーデリアが
「それでは……はじめようか」
アイザックが静かに顔を上げる。
「先手必勝! 俺から行くぜ!」
すぐさまジャンが叫び、次の
直後、ガキィンと音がして、
それを
そのままガキン、ガキンと何度も剣がぶつかり、こすれあった刃から火花が散る。高速で
「おら、どうした! 受けるので
やがて、目をぎらつかせて叫ぶジャンの言葉通り、少しずつアイザックが不利に
そのうちジャンの一撃を受けて、ピッ、とアイザックの
「水魔法は治すのが得意だもんな!? だったら、どでかい傷を作っても平気だよな!?」
そう叫んだ瞬間、ジャンの剣に
(ジャンの魔法剣……! いよいよ、本気を出すつもりなのね)
ジャンはこう見えて、〝
称号〝賢者〟とは、魔法技能における最上級クラスの
(でも……それを言うならアイザック様だって水魔法使いの賢者よ!)
コーデリアが見守る中、アイザックもゆっくりと剣を振る。
「……君に合わせて剣だけで戦っていたが、魔法を使っていいんだな」
そう言った瞬間、宙に水でできた
剣は人ひとり分ほどの大きさがあり、アイザックを中心に、放射線状にすさまじい勢いで増えていく。彼の
「んな!?」
その危険度を
「そろそろ、この試合を終わらせよう」
水魔法を剣に
──それからは、一瞬のことだった。
宙に浮かんだすべての剣が、
「……くっそ」
それが試合
(す……すごい!! 本当に、あのジャンに勝ってしまったわ!!)
コーデリアの気持ちと連動するように、ワアァッと
「おい」
そこに声をかけたのはジャンだ。
(ジャン、何を言う気なの!?)
コーデリアが
「……今まで、悪かったな。王子サマなんて呼んで。……悔しいけど、あんたの強さは本物だった。よく思い知らされたよ」
ジャンの言葉を、アイザックは目を丸くして聞いていた。それからわずかに
「君もすごかった。剣だけだったら、きっと負けていただろう」
そう言ってアイザックが手を差し出す。その手を、ジャンはしばらくためらってから
その瞬間、キャアアアと
(しまった! 今ので、新しい世界に目覚めてしまった方もいるのではなくて!?)
男同士のアツい友情は、いつでも世の女性
(試みとしては大成功だけれど、ジャンが
今回の
だがこれがきっかけで、もしジャンがコーデリアのライバルになってしまったら……。
● ● ●
その後アイザックと和解したジャンは、シナリオ通り彼の
(仲良くなりすぎも心配だけれど、よそよそしいよりはずっといいことよね。……久しぶりに広報っぽいことをしたけれど、やっぱり知ってもらうのってすごく大事だわ)
何事も、知らなければ始まらない。アイザックが無表情に見えて色々考えていることも、彼が実は努力家なことも、知らなければ他人にとってないのと同じだ。
それを知ってもらい、届けるのが〝広報〟という職業でもあった。
(……思い出したわ。昔、
広報ができることは、そう多くない。商品を作れるのは開発だけで、お金を出して宣伝するのは宣伝の仕事。広報はと言えば、宣伝とは別口でいかにメディアに取り上げてもらえるか、そして正しく理解してもらえるよう声を上げることだけ。
(でも、知ってもらうことで、少しでも世の中の
それから、コーデリアは
(もう、私に時間はあまり残されていないわ。けれど
コーデリアは今年、十七になる。それは聖女が見つかって保護され、そしてアイザックに
〇 〇 〇
やがてコーデリア十七歳の春。シナリオ通り、辺境の村で聖女が見つかった。
「数百年ぶりの聖女様だ!」
「今度の聖女様は、なんて
十年ぶりに見るひなは、前世で覚えている通り、いや、それ以上に美しく育っていた。
微笑む顔は前世同様、
「こうしてみるとやっぱり聖女様って特別ね。なんだか清らかというか……見て、アイザック殿下と並んでいても様になっているわ」
「聖女様はアイザック殿下を選ぶのかしら? でもよかったわ。わたくし本当は、
ヒソヒソと、そんな声も聞こえてくる。聖女であるひなが王宮に招かれてから、コーデリアの周りからは少しずつ人が減っていった。
(そうよね。王妃候補でなくなった闇魔法使いの私なんて、貴族たちにとっては何の魅力もないどころか、
ひと昔前まで、闇魔法使いは
それでも彼らになんと言われようが、まだよかった。一番大事にしたい、たったひとりに
「今なんとおっしゃいましたの……?」
いつものように、アイザックへの
「すまない。理由は言えないが、しばらくここに来るのは
コーデリアは
(なぜ……と聞きたいけれど、理由なんてわかりきっているわ。主人公である聖女が来たんだもの。ふたりはこれから、恋に落ちるのだから……)
ぎゅっと、手を握る。
──
いつか聖女になったひながやってきて、アイザックを連れて行くと。
(ああ……だというのに、なんて胸が痛いの。私、ほんの少し……ほんの少しだけ期待してしまったのかしら。この世界なら努力が
だが、現実はそうではなかった。
「……わかりました。私はもう、ここには来ないようにいたしますわ。殿下、どうぞお幸せになってくださいませ」
本当は泣きそうだったが、
「コーデリア!」
後ろでアイザックの声が聞こえたが、コーデリアは聞かなかったふりをして飛び出す。
「あれ? あなた……」
向こうも気付いたらしい。コーデリアに緊張が走る。
(……今度こそ私が〝加奈〟だったと、気づかれるかしら……?)
けれど、今回もひなが気付いた様子はなかった。
十年前と変わらず、ひなが〝悪役令嬢コーデリア〟に話しかけてくる。
「あなたとも十年ぶり。でもごめんね? アイザック様は、ひながもらっていっちゃうから。だってひながこの世界の主人公なんだもん。許してくれるよね?」
それだけ言うと、ひなは返事も待たずに歩いて行った。
向かう先はアイザックの部屋。ひなは慣れた様子でノックもなしに
(……わかっているわ。この世界の主人公は私じゃなくて、ひなだものね……)
ふたりがいる部屋の扉を見ながら、コーデリアは静かにため息をついた。
● ● ●
「……何にも、やる気が出ないわ」
あれから一か月。アイザックのもとに行かなくなったコーデリアは勉強もせず、社交界に出ることもなく、ただひたすらにぼんやりとした日々を過ごしていた。
(もともと断罪されるような役目ではないとは言え……社交界に出ればあっちでもこっちでも、
ふたりの話を聞くだけでも心が張り
(今になって、なんで原作のコーデリアが闇落ちしたのかわかるわ。アイザック殿下が
はあ、とため息をついて力なくソファにもたれかかっていると、
「お
若草のようにみずみずしい緑のおさげを
「行かないわ。だって、殿下と聖女様の間に割り込むようなことはしたくないもの」
その返事に、リリーがカッと目を見開く。
「アイザック殿下……! とてもいい方だと思っていましたのに、まさかお嬢様を裏切るなんて!! 好感度ダダ下がりですよ!!」
ばあやと同じくコーデリア愛の強い彼女は、アイザックの
「お嬢様もそんなやられっぱなしでいいんですか! ここは一発、闇魔法でもお
鼻息の
「そんなことをしたら、不敬罪で
「それも確かに、そうですね……」
コーデリアの闇魔法は、四元素魔法が束になっても
(実は私、この国で最強
ジャンもアイザックも、
(やっぱり他国に行って、魔法使いとして成り上がろうかしら?)
前世では異世界転生と同じぐらい、
(悪役令嬢としての役目が終わった今、本気で第二の人生を始めるのもありね……)
──そう思っていた矢先だった。アイザックに呼び出され、あまつさえ「
● ● ●
「ど、どういうことですか!? 聖女に
──『聖女
アイザックに言われた話が
「最初はもっと
「伝えたら?」
アイザックの部屋で見つめあって手を
「『どうしてもあの人を選ぶのなら、
「なんて!?」
想定外の発言に思わず
(ひな、どうしちゃったの!? というか、
そもそも原作では、聖女がどちらかを選べ! なんて
それなのに、どうも
「君にしばらく部屋に来ないで欲しいと言ったのも、聖女殿が君に危害を加えそうな気配を感じたからだ」
(なるほど、そんな理由だったのね……!)
そう思いながらコーデリアはそっと
「あの、殿下……? 私には構わず、聖女様のところに行ってもいいのですよ……?」
そう言ったら彼も助かるかと思いきや、アイザックがムッとした顔をする。
「なぜそんなことを言う? 私の婚約者は君だ。それは絶対に変わらない」
まさかの反応にますますわけがわからなくなる。彼は
(一体何が起きているの……)
前世は
──そんなコーデリアに、今の
なおもコーデリアの手をしっかり握ったまま、アイザックが続ける。
「私は第一王子として生まれ、その地位に
コーデリアは静かにうなずいた。
よく追い出されなかったなと思うほど、コーデリアはアイザックの勉強部屋に通い
「けれど、
(わかる、わかるわ! 努力が無意味だったと感じる時って、本当に
聖女のくだりは理解できていないが、この落ち込みが本気だということだけはわかる。
なんとかして彼を
「だ、
(いや私がついていたところで何も解決しないんだけれども!)
自分で
「……というか、もう一度聞きますけれど、本当に婚約破棄しなくてよいのですか? 私より聖女様を選んだ方が王位につけますし、国も無事でいられるのでしょう?」
「君はまたそういうことを言う」
言葉選びに失敗したらしい。たちまちアイザックの目に不満の色が
「そもそも私と君の婚約は周知の事実だ。もちろん聖女殿にも話してある。その上で彼女がしようとしていることは
(うわっ。びっくりするぐらい正論ですわ! その上原作のご自分を完全に否定しちゃっているけれど大丈夫なのかしら!?)
などと心配しながら、同時にコーデリアはとてつもない
外見から好きになった身ではあるものの、実はこれが見たいと、ずっと思っていたのだ。
──
元々アイザックルートは『
聖女にとっては
(それがまさか見られるなんて……。生きていてよかった。いや一回死んでよかった)
くっと
「……それとも君は、私との婚約を破棄したいのか?」
いつも冷静な目が切なげに細められているのを見て、コーデリアがきゅんとする。
(悲しそうな顔も
「まさか! そんなはずありませんわ。私はずっと殿下をお
「そうか。……ならよかった」
そのままふわりと
コーデリアは
(子どもの
必死に歯を食いしばって鼻血を
「……
(ちょっと発言は重いですけれど
それは彼の話が始まってから、絶えずコーデリアの中にあった疑問だ。
原作では、アイザックは婚約者のコーデリアに義理こそ感じていたけれど、決して愛情を感じていたわけではないと書かれていた。それなのに、今の彼は、まるでコーデリアのことが好きであるかのような口ぶりだ。
「あの……殿下……? お気持ちはとても嬉しいのですけれど、どうしてそこまで私にこだわってくださるんですの?」
「それは──」
「アイザック様! そろそろお話は終わりましたか?」
けれどアイザックの言葉をかき消すように、部屋の
そこに現れたのは、ある意味予想通りともいえる人物、ひなだ。
(いい時に
そんなひなを見て、アイザックが
「聖女殿……話が終わるまで入ってこないでくれと、あれほど」
「だってひな、待ちきれなかったんだもん」
そういうひなの
「……アイザック様? 何を、しているのですか?」
その声は今までの彼女からは考えられないほど低く冷たい。まるで夫の
(って殿下の婚約者は私だから、責められる理由はまったくないのだけれど!)
前世では向こうの立場が
アイザックが、コーデリアにだけ聞こえる小さなため息をついて、コーデリアとひなの間に立つ。まるでかばってくれているようだと感じるのは、思い上がりだろうか。
「アイザック様。早くこの人と
そう言ったひなの顔は引きつっている。
「聖女
「嘘っ! なんで!?」
「……国が
「国を滅ぼすのは私ではない。原因は私でも、実行できるのはあなただけだ。聖女殿」
そう言ったアイザックの瞳は、
ひく、とひなの顔が引きつった。
「聖女殿、どうか冷静になってほしい。国を滅ぼしたとしてもあなたには何の利点もない。それどころか
どうやら彼は、説得を試みることにしたらしい。コーデリアは
「なんで……なんでそんなこと言うの!? アイザック様がひなと結婚してくれれば、ひなだってそんなことしなくていいし、みんな幸せになれるのに!」
ひながイライラしたように
「……あなたの気持ちは嬉しいが、私は彼女と共に歩んでいきたいんだ」
アイザックがそう言った
──恐ろしい瞳だった。
同時に、コーデリアはその瞳をよく知っていた。まだ前世のひなと
(まさかひながそんな目をするなんて……)
ひなは、いつも嫉妬される側だった。
ニコッと微笑むだけで欲しいものを手に入れ、賞賛され、求められる人生。嫉妬で
そんなひなが、目に聖女らしからぬ嫉妬と
(そもそも男性に
前世の
やがてひなはコーデリアから視線を外すと、悲しそうな顔で笑った。
「……
原作の話を言っているのだろうか。今の
「見ていてください、アイザック様。冷静にならなきゃいけないのはひなじゃなくてアイザック様なんだってこと、きっとわかるようになりますから」
それから、恐ろしい目つきでコーデリアを見る。
「……あなたも、
そう言ったひなは、
キッと口を引き結んだひなが、
バタンと乱暴に扉が閉まったのを見て、コーデリアはぶるっと肩を震わせた。
(……っていうか、ひな、メンヘラ化していません!?)
ひなは確実に何か
(そもそも好きな人を脅すって、それでうまくいくわけがないわよね……?)
脅しで
考えているとアイザックが振り向いた。その顔には
「すまない……。うまく伝えられなかった」
「いえ、今のは
アイザックはこの上なくはっきりと気持ちを告げていた。ただ、受け取る側に問題がありすぎたのだ。
「だがまだ話し合う機会はあるはずだ。決着がつくまで、ジャンを君の身辺警護につけよう。正直、今の聖女殿は何をするかわからない」
(殿下が私のことを心配してくださっている……!? なんてお
「いえ、ジャンは結構ですわ。だって私の方が強いのは、殿下もご存じでしょう?」
「確かに君は強いが、それでも心配だ。なにせ相手は聖獣。いざとなったらジャンを
(あっ殿下、地味にジャンの
言葉には出さず心の中で
「……もちろん、ジャンならなんとか生き延びてくれると信じている」
これも打ち解けたからこその発言……と自分を
「やっぱり聖女様は聖獣をけしかけてくるのかしら……」
先ほどから言っている聖獣とは、建国記にも出てくる聖なる
建国記によると、フェンリルは元々
以降ラキセン王国の守り神となったフェンリルは、千年以上もこの国を守り続けてきている。そして数百年に一度、フェンリルの加護を受けた聖女が現れるたびに、その
「そもそも国を滅ぼすなんて言っていますけれど、そんな恐ろしいことできるんですか?」
「聖獣は、聖女と聖女の愛するものを守るために動くと聞く。裏返せば、聖女にとって守る価値がないものを
コーデリアの顔が
(こう言っては失礼だけど、今回の聖女、絶対人選を間違えていると思うわ……)
元々
「……国を守るためには、私が
「殿下……」
冷静に考えれば、アイザックが聖女と
(だけど……原作のように思い合っているならともかく、今のアイザック殿下は
コーデリアは目の前にいるアイザックを、じっと見つめた。
(確かに、原作のコーデリアより私の方がずっと殿下と仲良くなったという自負はあるわ。でも、殿下に恋愛として好かれているって気は……正直しないのよね。どっちかというとこう、
〝懐かれている〟。自分で思い
(あっ、あああ~! しまった、一回思いついてしまったら、もうそれしか考えられない……! だって私、全力で彼に
まめまめしく世話を焼き、声をかけ、
元々原作の彼も、コーデリアとの関係を〝婚約者としての情〟ゆえになかなか切れなかった過去がある。原作の
(そうよね……。冷静に考えてみれば、それしかありえないわ)
──恋愛経験ゼロをこじらせ、散々〝おかん〟呼ばわりされた結果、コーデリアの頭の中には「自分は女性として
(でも私のことはいいわ! 大事なのは、殿下が聖女との結婚を嫌がっていることよ!)
そのためにはどうすべきか。自分にできることは、ないか。
散々
「私、思いつきましたわ!」
それから
「脅しに
「──すまない、今なんて?」
アイザックが信じられないものを見る目でコーデリアを見た。
広報部出身の悪役令嬢ですが、無表情な王子が「君を手放したくない」と言い出しました 宮之みやこ/角川ビーンズ文庫 @beans
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