第二章 シナリオ……通り?

「……で、なんでこんなに観客が多いんだ!?」

 練習試合の当日。騎士学校の生徒に交じって訓練場にめかけていたのは、キャアキャアと黄色い声を上げる大量の令嬢たちだ。

「仕方ないでしょう。練習試合をやるらしいって言ったら、みんなが見たいって」

 もちろん言いふらしたのはコーデリアだ。これはただの練習試合ではない。この機会に、アイザックの強さを知ってもらおうと思ったのだ。

 新商品お披露目会ならぬ、アイザックの実力お披露目会。

 ここで起きたことはすべて、プレスの代わりに令嬢たちが口コミで話を広げてくれるだろう。しゆざいじんを呼び集めておもしろそうな話題を提供するのも、広報の基本中の基本だ。

「俺は構わないけど、王子サマがあかぱじかくだけじゃないのか?」

 ジャンがフン、と鼻を鳴らして見せれば、せんとう用の服にえたアイザックが進み出る。

、手加減なしで来てほしい。負けた時に『王子だから手加減した』と言い訳されたくないから」

 バチバチッと、ふたりの間に見えない火花が飛び散った。間近で見ていたコーデリアがごくりとつばをのむ。

(さあ……私ができることは全部したわ。あとは殿下だのみよ)

 広報ができるのは、存在を周知させ、盛り上げること。だがそれもすべて、会社や商品の実力があってこそだ。備わっていない性能をうたえば、ただのだい広告になる。

 もしアイザックがそくに負けるようなことがあれば、評判は上がるどころかガタ落ちだろう。空気を読んでうまいことマイナスにならないよう書いてくれるメディアとちがって、令嬢たちはえんりよなく見たものをありのまま語るに違いない。

(殿下……信じていますわよ!)

 コーデリアがかたんで見守る中、ふたりがそれぞれの位置につく。

「それでは……はじめようか」

 アイザックが静かに顔を上げる。

「先手必勝! 俺から行くぜ!」

 すぐさまジャンが叫び、次のしゆんかん彼の姿がき消えた。

 直後、ガキィンと音がして、やいばと刃がぶつかりあう金属音がひびわたる。ジャンがすさまじい速さで、一気にアイザックに詰め寄ったのだ。

 それをなめらかな動きでアイザックがいなし、今度は彼がりかぶる。だがそれを、ジャンはゆうゆうとした顔で受け止めた。

 そのままガキン、ガキンと何度も剣がぶつかり、こすれあった刃から火花が散る。高速でり広げられるけんに、令嬢たちがキャアと声を上げた。

「おら、どうした! 受けるのでせいいつぱいか!?」

 やがて、目をぎらつかせて叫ぶジャンの言葉通り、少しずつアイザックが不利におちいった。ジャンの刃をひたすら受け止めているものの、はんげきに出るゆうがないように見える。

 そのうちジャンの一撃を受けて、ピッ、とアイザックのほおしゆが走った。だがそれもすぐに消え去る。アイザックが一瞬のうちに、魔法でしていたのだ。

「水魔法は治すのが得意だもんな!? だったら、どでかい傷を作っても平気だよな!?」

 そう叫んだ瞬間、ジャンの剣にごうが走った。同時にいくつもの火の玉が彼の周りにかび上がる。飛び散った火花に、見学者たちがの子を散らすように逃げていく。

(ジャンの魔法剣……! いよいよ、本気を出すつもりなのね)

 ジャンはこう見えて、〝けんじやしようごうを持つ魔法剣士だ。

 称号〝賢者〟とは、魔法技能における最上級クラスのしよう。この国ではあつかえる魔法の技術によってそれぞれ資格名とも言える称号が決まっており、その最高位は賢者と呼ばれている。この国では数えられるほどしかおらず、ジャンはそのうち火魔法使いの賢者だった。

(でも……それを言うならアイザック様だって水魔法使いの賢者よ!)

 コーデリアが見守る中、アイザックもゆっくりと剣を振る。

「……君に合わせて剣だけで戦っていたが、魔法を使っていいんだな」

 そう言った瞬間、宙に水でできたきよだいつるぎがズラッと出現した。

 剣は人ひとり分ほどの大きさがあり、アイザックを中心に、放射線状にすさまじい勢いで増えていく。彼のりんとしたたたずまいと相まって、まるでこれから神の裁きがくだされるようなこうごうしさすら感じさせる光景だった。令嬢たちは見とれて声も出ない。

「んな!?」

 そのはだで感じたジャンが、あわててほのおを具現化させる。またたく間に巨大な火の鳥が、ジャンの頭上をっていた。

「そろそろ、この試合を終わらせよう」

 水魔法を剣にまとわせたアイザックが、目の前にまっすぐ剣をかざす。


 ──それからは、一瞬のことだった。


 宙に浮かんだすべての剣が、とうの勢いでジャンめがけて降り注ぐ。火の鳥がそれを必死に防ごうとしたものの、あわれにもくししにされ地にちた。同時に巻き起こったつちぼこりに人々は目をおおい、ようやく目を開けて皆が見たのは、しりもちをついて、剣をき付けられているジャンの姿だった。

「……くっそ」

 くやしそうに、ジャンがき捨てる。

 それが試合しゆうりようの合図だった。

(す……すごい!! 本当に、あのジャンに勝ってしまったわ!!)

 コーデリアの気持ちと連動するように、ワアァッとだいかんせいが上がり、会場がはくしゆに包まれる。それに浮かれた様子もなく、アイザックは何もなかったかのように剣をしまった。

「おい」

 そこに声をかけたのはジャンだ。

(ジャン、何を言う気なの!?)

 コーデリアがきんちようして見守る中、ジャンは立ち上がってぱっぱと服についた土をはらった。

「……今まで、悪かったな。王子サマなんて呼んで。……悔しいけど、あんたの強さは本物だった。よく思い知らされたよ」

 ジャンの言葉を、アイザックは目を丸くして聞いていた。それからわずかに微笑ほほえむ。

「君もすごかった。剣だけだったら、きっと負けていただろう」

 そう言ってアイザックが手を差し出す。その手を、ジャンはしばらくためらってからずかしそうににぎった。

 その瞬間、キャアアアとばくはつするような黄色い悲鳴が会場に響き渡る。ごれいじようたちだ。

(しまった! 今ので、新しい世界に目覚めてしまった方もいるのではなくて!?)

 男同士のアツい友情は、いつでも世の女性じんをアツく、ときめかせるのだ。

(試みとしては大成功だけれど、ジャンがこいのライバルになるのはかんべんして欲しいわ!)

 今回のねらいはアイザックの実力を周知させ、ジャンに知ってもらうことにある。彼は負けずぎらいではあるものの、根は真っすぐで、自分が認めた人間には従順なのだ。

 だがこれがきっかけで、もしジャンがコーデリアのライバルになってしまったら……。

 おそろしい想像をして、コーデリアはブルブルと頭を振ったのだった。


    ● ● ●


 その後アイザックと和解したジャンは、シナリオ通り彼のこのとなった。けれどシナリオと違って、彼は以前の態度がうそのようにアイザックと打ち解けている。そんな彼の様子にアイザックもまた、心なしかうれしそうな反応を返すようになっていた。

(仲良くなりすぎも心配だけれど、よそよそしいよりはずっといいことよね。……久しぶりに広報っぽいことをしたけれど、やっぱり知ってもらうのってすごく大事だわ)

 何事も、知らなければ始まらない。アイザックが無表情に見えて色々考えていることも、彼が実は努力家なことも、知らなければ他人にとってないのと同じだ。

 それを知ってもらい、届けるのが〝広報〟という職業でもあった。

(……思い出したわ。昔、かく開発の人と打ち合わせを重ねて行った体験会が話題になった時も、本当に嬉しかったのよね)

 広報ができることは、そう多くない。商品を作れるのは開発だけで、お金を出して宣伝するのは宣伝の仕事。広報はと言えば、宣伝とは別口でいかにメディアに取り上げてもらえるか、そして正しく理解してもらえるよう声を上げることだけ。

(でも、知ってもらうことで、少しでも世の中のてきなものに気付いてもらえたら……そう思って、仕事をしていたんだっけ)

 それから、コーデリアはさびしそうに微笑む。

(もう、私に時間はあまり残されていないわ。けれど殿でんのために、最後にジャンという友達を残せたのならそれで十分よ)

 コーデリアは今年、十七になる。それは聖女が見つかって保護され、そしてアイザックにこんやくをされる年だった。


   〇 〇 〇


 やがてコーデリア十七歳の春。シナリオ通り、辺境の村で聖女が見つかった。

「数百年ぶりの聖女様だ!」

「今度の聖女様は、なんてりよくにあふれている方なんだ!」

 十年ぶりに見るひなは、前世で覚えている通り、いや、それ以上に美しく育っていた。

 微笑む顔は前世同様、として可愛かわいらしく、見られることに慣れ切っているせいか、仕草もむらむすめとは思えないほど品がある。

「こうしてみるとやっぱり聖女様って特別ね。なんだか清らかというか……見て、アイザック殿下と並んでいても様になっているわ」

「聖女様はアイザック殿下を選ぶのかしら? でもよかったわ。わたくし本当は、やみほう使つかいがおうの座に座るのはどうかと思っていたのよ」

 ヒソヒソと、そんな声も聞こえてくる。聖女であるひなが王宮に招かれてから、コーデリアの周りからは少しずつ人が減っていった。

(そうよね。王妃候補でなくなった闇魔法使いの私なんて、貴族たちにとっては何の魅力もないどころか、けたい対象だもの)

 ひと昔前まで、闇魔法使いははくがいの対象だったのだ。今も心の奥底で差別意識を持っている貴族は少なくない。

 それでも彼らになんと言われようが、まだよかった。一番大事にしたい、たったひとりにきよされるまでは。


「今なんとおっしゃいましたの……?」

 いつものように、アイザックへの土産みやげを持ったコーデリアは、彼の部屋で立ちくしていた。目の前では、かつてないほど厳しい表情をしたアイザックが机をにらんでいる。

「すまない。理由は言えないが、しばらくここに来るのはひかえてほしい」

 コーデリアはくちびるんでうつむいた。

(なぜ……と聞きたいけれど、理由なんてわかりきっているわ。主人公である聖女が来たんだもの。ふたりはこれから、恋に落ちるのだから……)

 ぎゅっと、手を握る。

 ──かくはしていた。

 いつか聖女になったひながやってきて、アイザックを連れて行くと。

(ああ……だというのに、なんて胸が痛いの。私、ほんの少し……ほんの少しだけ期待してしまったのかしら。この世界なら努力がむくわれて、幸せになれるかもしれないって)

 だが、現実はそうではなかった。

「……わかりました。私はもう、ここには来ないようにいたしますわ。殿下、どうぞお幸せになってくださいませ」

 本当は泣きそうだったが、なみだを見せたらきっとアイザックが困ってしまう。せいいつぱいがおを作ってお辞儀カーテシーをすると、コーデリアはげるようにして身をひるがえした。

「コーデリア!」

 後ろでアイザックの声が聞こえたが、コーデリアは聞かなかったふりをして飛び出す。

 けるようにしてろうを歩いていると、目の前から白いワンピースを着た女性が歩いてきた。──ひなだった。

「あれ? あなた……」

 向こうも気付いたらしい。コーデリアに緊張が走る。

(……今度こそ私が〝加奈〟だったと、気づかれるかしら……?)

 けれど、今回もひなが気付いた様子はなかった。

 十年前と変わらず、ひなが〝悪役令嬢コーデリア〟に話しかけてくる。

「あなたとも十年ぶり。でもごめんね? アイザック様は、ひながもらっていっちゃうから。だってひながこの世界の主人公なんだもん。許してくれるよね?」

 それだけ言うと、ひなは返事も待たずに歩いて行った。

 向かう先はアイザックの部屋。ひなは慣れた様子でノックもなしにとびらを開けると、そのままコーデリアをいちべつすることもなくアイザックの部屋の中へと消えていった。

(……わかっているわ。この世界の主人公は私じゃなくて、ひなだものね……)

 ふたりがいる部屋の扉を見ながら、コーデリアは静かにため息をついた。


    ● ● ●


「……何にも、やる気が出ないわ」

 あれから一か月。アイザックのもとに行かなくなったコーデリアは勉強もせず、社交界に出ることもなく、ただひたすらにぼんやりとした日々を過ごしていた。

(もともと断罪されるような役目ではないとは言え……社交界に出ればあっちでもこっちでも、なかむつまじい殿下と聖女の話で持ち切り。これ、想像の十倍以上つらいわ……!)

 ふたりの話を聞くだけでも心が張りけそうなのに、今後は彼らが結婚し、子を産み育てていく過程を家臣として一生見続けなくてはいけないのだ。コーデリアはせんりつした。

(今になって、なんで原作のコーデリアが闇落ちしたのかわかるわ。アイザック殿下がほかの女性とイチャイチャしているところを一生見なくちゃいけないなんて、ごくでしかないもの! こうなったらいっそ、婚約破棄後はりんごくにでも旅立とうかしら……)

 はあ、とため息をついて力なくソファにもたれかかっていると、じよがティーセットのったワゴンを押して声をかけてきた。

「おじようさま……今日も、アイザック殿下のもとには行かれないのですか?」

 若草のようにみずみずしい緑のおさげをらしているのは、侍女であり、姉妹しまいでもあるリリーだ。

「行かないわ。だって、殿下と聖女様の間に割り込むようなことはしたくないもの」

 その返事に、リリーがカッと目を見開く。

「アイザック殿下……! とてもいい方だと思っていましたのに、まさかお嬢様を裏切るなんて!! 好感度ダダ下がりですよ!!」

 ばあやと同じくコーデリア愛の強い彼女は、アイザックのいが許せないらしい。

「お嬢様もそんなやられっぱなしでいいんですか! ここは一発、闇魔法でもおいしてやりましょうよ!」

 鼻息のあらいリリーに、コーデリアはしようした。

「そんなことをしたら、不敬罪でつかまるどころじゃないわ。下手すると王宮がしようめつしかねないもの」

「それも確かに、そうですね……」

 コーデリアの闇魔法は、四元素魔法が束になってもかなわない、強すぎるかい力を持っている。おまけに、がみ様に言われた『あなたが努力した分だけ、正しく報われる世界に連れて行きましょう』という言葉も、しっかり能力に反映されていた。

 しようごうけんじや〟の取得だって、赤子の手をひねるよりも簡単だった。

 みんなこわがらせないため、そのことはアイザックにしか言っていないけれど……。

(実は私、この国で最強わくがあるのよね……)

 ジャンもアイザックも、おそらくコーデリアには敵わないだろう。

(やっぱり他国に行って、魔法使いとして成り上がろうかしら?)

 前世では異世界転生と同じぐらい、ゆうゆうてきなスローライフものも流行はやっていた。

(悪役令嬢としての役目が終わった今、本気で第二の人生を始めるのもありね……)


 ──そう思っていた矢先だった。アイザックに呼び出され、あまつさえ「こんやくしたくない」と言われたのは。


    ● ● ●


「ど、どういうことですか!? 聖女におどされているって何事です!?」

 ──『聖女殿どのに、婚約破棄しないと国をほろぼすと脅されたんだ』

 アイザックに言われた話がとうとつすぎて、まったくついていけない。コーデリアが目を白黒させていると、暗い顔をしたアイザックが言った。

「最初はもっとやさしい言い方だったんだ。『私を選べば、あなたを王にしてあげられます』と。けれど私には君がいる。だから聖女殿は選べないと伝えたら……」

「伝えたら?」

 アイザックの部屋で見つめあって手をにぎったまま、じっと彼の言葉を待つ。

「『どうしてもあの人を選ぶのなら、せいじゆうたのんで国を滅ぼしちゃいますよ』と言われた」

「なんて!?」

 想定外の発言に思わずさけんでいた。

(ひな、どうしちゃったの!? というか、殿でんもどうしちゃったんです!?)

 そもそも原作では、聖女がどちらかを選べ! なんてせまったりはしない。ふたりは自然にかれあってこいに落ち、その時初めてコーデリアが障害になるという筋書きだ。

 それなのに、どうもあずかり知らないところでおかしな話になっているらしい。

「君にしばらく部屋に来ないで欲しいと言ったのも、聖女殿が君に危害を加えそうな気配を感じたからだ」

(なるほど、そんな理由だったのね……!)

 そう思いながらコーデリアはそっとたずねる。

「あの、殿下……? 私には構わず、聖女様のところに行ってもいいのですよ……?」

 そう言ったら彼も助かるかと思いきや、アイザックがムッとした顔をする。

「なぜそんなことを言う? 私の婚約者は君だ。それは絶対に変わらない」

 まさかの反応にますますわけがわからなくなる。彼はおこりつつもコーデリアの手を放す気はないようで、ためしにそっと手を引きこうとしたら、逆に強くつかまれてしまった。

(一体何が起きているの……)

 前世はねんれいイコール彼氏いない歴。つうしよう〝おかん〟。当然、れんあい経験値はゼロ。

 ──そんなコーデリアに、今のじようきようは難しすぎた。

 なおもコーデリアの手をしっかり握ったまま、アイザックが続ける。

「私は第一王子として生まれ、その地位におごることなく、努力を重ねてきたつもりだった」

 コーデリアは静かにうなずいた。

 よく追い出されなかったなと思うほど、コーデリアはアイザックの勉強部屋に通いめたのだ。当然、彼が血のにじむような努力をしてきたのを、だれよりも近くで見てきている。

「けれど、かんじんな時に私は何もできない。君を守ることも、国を守ることも……。私はなんて無力なのだろう。何のために努力してきたのか、わからなくなってしまった」

(わかる、わかるわ! 努力が無意味だったと感じる時って、本当につらいのよね……って今はそんなことよりも、殿下がかつてないほど落ち込んでいるわ!)

 聖女のくだりは理解できていないが、この落ち込みが本気だということだけはわかる。

 なんとかして彼をなぐさめないと。コーデリアは急いで言葉を探した。

「だ、だいじようですわ殿下! 私がついております!」

(いや私がついていたところで何も解決しないんだけれども!)

 自分でっ込みを入れながら、少しでも解決の糸口がないか考える。

「……というか、もう一度聞きますけれど、本当に婚約破棄しなくてよいのですか? 私より聖女様を選んだ方が王位につけますし、国も無事でいられるのでしょう?」

「君はまたそういうことを言う」

 言葉選びに失敗したらしい。たちまちアイザックの目に不満の色がかんだ。

「そもそも私と君の婚約は周知の事実だ。もちろん聖女殿にも話してある。その上で彼女がしようとしていることはりやくだつに他ならない。私は、そういうのはきらいだ」

(うわっ。びっくりするぐらい正論ですわ! その上原作のご自分を完全に否定しちゃっているけれど大丈夫なのかしら!?)

 などと心配しながら、同時にコーデリアはとてつもないかんを覚えていた。

 外見から好きになった身ではあるものの、実はが見たいと、ずっと思っていたのだ。


 ──ほかの女に走らない、いちで誠実なアイザックのルートを。


 元々アイザックルートは『な王子と、恋という名の罪に落ちる』というコンセプトのもと作られており、略奪愛になるのはまあしょうがない。だが、彼本来の誠実さや一途さをつらぬき通したストーリーというのは、ずっとファンの間で待ち望まれていたのだ。

 聖女にとってはちがいなくバッドエンドになるので、難しいのは分かっていたが……。

(それがまさか見られるなんて……。生きていてよかった。いや一回死んでよかった)

 くっとくちびるめたコーデリアに、アイザックが不安そうな声をかけてくる。

「……それとも君は、私との婚約を破棄したいのか?」

 いつも冷静な目が切なげに細められているのを見て、コーデリアがきゅんとする。

(悲しそうな顔もてき! ……じゃなくて)

「まさか! そんなはずありませんわ。私はずっと殿下をおしたいしておりますもの」

「そうか。……ならよかった」

 そのままふわりと微笑ほほえんだがおの尊さと言ったら。

 コーデリアはあやうく鼻血をき出すところだった。

(子どものころ可愛かわいさが限界をとつしていたけれど、今はしさが加わって、まさにはくせきの貴公子……! 基本的にこの国は乙女おとめゲーのたいだけあってイケメンが多いけれど、殿下はその中でも格別だわ!)

 必死に歯を食いしばって鼻血をこらえていると、視線を落とした彼がぽつりと言う。

「……だ。一度はあきらめるべきだとも思ったが、やはり私は君と離れたくない。君がいなくなったら、どうやって生きていけばいいかわからない」

(ちょっと発言は重いですけれどうれしいですわ! ……でもどうして私を?)

 それは彼の話が始まってから、絶えずコーデリアの中にあった疑問だ。

 原作では、アイザックは婚約者のコーデリアに義理こそ感じていたけれど、決して愛情を感じていたわけではないと書かれていた。それなのに、今の彼は、まるでコーデリアのことが好きであるかのような口ぶりだ。

「あの……殿下……? お気持ちはとても嬉しいのですけれど、どうしてそこまで私にこだわってくださるんですの?」

 おそる恐る聞けば、彼はおどろいたようにコーデリアを見た。

「それは──」

「アイザック様! そろそろお話は終わりましたか?」

 けれどアイザックの言葉をかき消すように、部屋のとびらが勢いよく開いた。

 そこに現れたのは、ある意味予想通りともいえる人物、ひなだ。

(いい時にじやが入るのはお約束とは言え、もう少しだけ空気を読んで欲しかった!)

 そんなひなを見て、アイザックがつかれたように言う。

「聖女殿……話が終わるまで入ってこないでくれと、あれほど」

「だってひな、待ちきれなかったんだもん」

 そういうひなのひとみは最初、キラキラとかがやいていた。けれど、アイザックとコーデリアがたがいの手を固く握りしめているのに気づいたしゆんかんはんにやのように険しい表情になる。

「……アイザック様? 何を、しているのですか?」

 その声は今までの彼女からは考えられないほど低く冷たい。まるで夫のうわ現場に乗り込んできた本妻のようだ。

(って殿下の婚約者は私だから、責められる理由はまったくないのだけれど!)

 前世では向こうの立場があつとう的に上で、ついでに現世でも向こうの方が上なせいで、強気に出られないのが悲しい。しかしコーデリアとて、悪いことはしていない。はずだ。

 アイザックが、コーデリアにだけ聞こえる小さなため息をついて、コーデリアとひなの間に立つ。まるでかばってくれているようだと感じるのは、思い上がりだろうか。

「アイザック様。早くこの人とこんやくしてくださいって、ひな言いましたよね?」

 そう言ったひなの顔は引きつっている。

「聖女殿どの。……すまないが、やはり私は自分の気持ちにうそはつけない。彼女と婚約破棄は──しない」

「嘘っ! なんで!?」

 どうようして叫んだひなは、けれどすぐに静かになった。そしてじっとりとした目でアイザックを見つめる。

「……国がほろんだとしても、ですか? 前も言いましたけど、結婚してくれないならせいじゆうたのんで国を滅ぼしてもいいんですからね。そうしたら、アイザック様が国を滅ぼす原因になっちゃうんですよ?」

「国を滅ぼすのは私ではない。原因は私でも、実行できるのはあなただけだ。聖女殿」

 そう言ったアイザックの瞳は、いだ水面みなものように落ち着いている。

 ひく、とひなの顔が引きつった。

「聖女殿、どうか冷静になってほしい。国を滅ぼしたとしてもあなたには何の利点もない。それどころかさいやくあつかいされ、人々から背を向けられることになる。私はあなたに、そんな存在になって欲しくない」

 どうやら彼は、説得を試みることにしたらしい。コーデリアはかたんで話の行方ゆくえを見守った。恋愛経験がなくてもわかる。変に口を出してげきしない方がいい。

「なんで……なんでそんなこと言うの!? アイザック様がひなと結婚してくれれば、ひなだってそんなことしなくていいし、みんな幸せになれるのに!」

 ひながイライラしたようにさけぶ。

「……あなたの気持ちは嬉しいが、私は彼女と共に歩んでいきたいんだ」

 アイザックがそう言ったたん、ひながギロッとコーデリアをにらんだ。

 ──恐ろしい瞳だった。

 同時に、コーデリアはその瞳をよく知っていた。まだ前世のひなといつしよに行動していた時、よく他の女の子がそういう目でひなを見ていたからだ。それは、しつの目。

(まさかひながそんな目をするなんて……)

 ひなは、いつも嫉妬される側だった。

 ニコッと微笑むだけで欲しいものを手に入れ、賞賛され、求められる人生。嫉妬でくつかくされても先生を味方につけ、次の日にはもっといい靴を手に入れてケロッとしているような、そういう世界の住人。

 そんなひなが、目に聖女らしからぬ嫉妬とぞうを浮かべて、コーデリアをにらんでいる。

(そもそも男性にられるひななんてありえなかったのに。……もう、私の知っているひなとは違う人なのかもしれない)

 前世のおくを持ちながら今の人生を歩んでいるのはコーデリアであり、決して加奈ではない。ひなも、まだ自分でひなと名乗っているものの、今はエルリーナであり、以前のひなとは違うのかもしれない。

 やがてひなはコーデリアから視線を外すと、悲しそうな顔で笑った。

「……だいじよう、大丈夫だよ。〝アイザック様〟は、聖女が望めば最後には来てくれるって、ひな知っているから……」

 原作の話を言っているのだろうか。今のじようきようを受け入れるつもりはまったくないらしい。

「見ていてください、アイザック様。冷静にならなきゃいけないのはひなじゃなくてアイザック様なんだってこと、きっとわかるようになりますから」

 それから、恐ろしい目つきでコーデリアを見る。

「……あなたも、かんちがいしないで! 主人公はいつだって、ひななんだから!!」

 そう言ったひなは、おこっているようにも、泣きそうなようにも見えた。

 キッと口を引き結んだひなが、かたいからせて部屋から出ていく。


 バタンと乱暴に扉が閉まったのを見て、コーデリアはぶるっと肩を震わせた。

(……っていうか、ひな、メンヘラ化していません!?)

 ひなは確実に何かたくらんでいる。やつかいなことでなければいいが、『国を滅ぼす』なんておどしてきた彼女のことだ。九十九パーセント厄介ごとだろう。

(そもそも好きな人を脅すって、それでうまくいくわけがないわよね……?)

 脅しでこいが実るのであれば、コーデリアもとっくに使っている。れんあい経験ゼロの彼女にすらわかりそうなことを、過去にあれだけ色々なイケメンをはべらせてきたひなにわからないのだろう。

 考えているとアイザックが振り向いた。その顔にはじゆうがにじんでいる。

「すまない……。うまく伝えられなかった」

「いえ、今のは殿でんのせいではないと思いますわ」

 アイザックはこの上なくはっきりと気持ちを告げていた。ただ、受け取る側に問題がありすぎたのだ。

「だがまだ話し合う機会はあるはずだ。決着がつくまで、ジャンを君の身辺警護につけよう。正直、今の聖女殿は何をするかわからない」

(殿下が私のことを心配してくださっている……!? なんておやさしい……!)

 しんけんにコーデリアのことを案じるまなざしにきゅんとしつつも、力強く首を横に振る。

「いえ、ジャンは結構ですわ。だって私の方が強いのは、殿下もご存じでしょう?」

「確かに君は強いが、それでも心配だ。なにせ相手は聖獣。いざとなったらジャンをおとりにしてげてほしい」

(あっ殿下、地味にジャンのあつかいがひどいわね?)

 言葉には出さず心の中でつぶやいたのだが、目に気持ちが表れてしまっていたらしい。アイザックがやや気まずそうに付け足した。

「……もちろん、ジャンならなんとか生き延びてくれると信じている」

 これも打ち解けたからこその発言……と自分をなつとくさせてから、コーデリアは呟いた。

「やっぱり聖女様は聖獣をけしかけてくるのかしら……」

 先ほどから言っている聖獣とは、建国記にも出てくる聖なるおおかみ、フェンリルのことだ。

 建国記によると、フェンリルは元々どうもうかいぶつだったが、聖なる乙女おとめに出会ったことで聖獣へと姿を転じたのだという。その聖なる乙女がラキセン王国初代おうであり、聖女の始まりともなる伝説の乙女だった。

 以降ラキセン王国の守り神となったフェンリルは、千年以上もこの国を守り続けてきている。そして数百年に一度、フェンリルの加護を受けた聖女が現れるたびに、そのたくせんによって新たな王が決まっていた。

「そもそも国を滅ぼすなんて言っていますけれど、そんな恐ろしいことできるんですか?」

「聖獣は、聖女と聖女の愛するものを守るために動くと聞く。裏返せば、聖女にとって守る価値がないものをかいすることもあるらしい」

 コーデリアの顔がくもる。国を守るべき聖獣が、国を滅ぼす。……考えただけでおそろしい。

(こう言っては失礼だけど、今回の聖女、絶対人選を間違えていると思うわ……)

 元々がみは、加奈とひなの設定とやらを間違えた前科がある。また間違えていても、不思議ではなかった。

「……国を守るためには、私があきらめて彼女と結婚するしかないのだろうか」

「殿下……」

 けんを押さえてのうするアイザックを、コーデリアは心配そうに見つめた。

 冷静に考えれば、アイザックが聖女とけつこんすることで国は滅びずにすみ、彼も王になれるため、いいことくしなのは間違いない。ある意味政略結婚というか、王族の責務として考えるなら、もろを挙げて受け入れるべきなのだ。

(だけど……原作のように思い合っているならともかく、今のアイザック殿下はいやがっているように見える。それも、私とはなれたくないと……なぜ?)

 コーデリアは目の前にいるアイザックを、じっと見つめた。

(確かに、原作のコーデリアより私の方がずっと殿下と仲良くなったという自負はあるわ。でも、殿下に恋愛として好かれているって気は……正直しないのよね。どっちかというとこう、なつかれている、みたいな)


〝懐かれている〟。自分で思いかべたその言葉が、みようにしっくり来た。


(あっ、あああ~! しまった、一回思いついてしまったら、もうそれしか考えられない……! だって私、全力で彼にくしてきたんだもの! 〝おかん力〟を、かんなく発揮してしまったんだもの!)

 まめまめしく世話を焼き、声をかけ、はげまし……。それは母を失い、父ともうまくいっていなかったアイザックにとっては、この上なく心地ここちよいものだったのかもしれない。

 元々原作の彼も、コーデリアとの関係を〝婚約者としての情〟ゆえになかなか切れなかった過去がある。原作のはくな関係ですらそれなら、情に厚いアイザックのことだ。今のコーデリアに対して『結婚して恩を返す』ぐらい考えていても何も不思議ではない。

(そうよね……。冷静に考えてみれば、それしかわ)


 ──恋愛経験ゼロをこじらせ、散々〝おかん〟呼ばわりされた結果、コーデリアの頭の中には「自分は女性としてりよく的」という考え方は、いつさいなかった。


(でも私のことはいいわ! 大事なのは、殿下が聖女との結婚を嫌がっていることよ!)

 しには、身も心も幸せになってもらいたい。当然、望まぬ結婚などして欲しくない。

 そのためにはどうすべきか。自分にできることは、ないか。

 散々なやんだ末に、コーデリアはパッと顔を上げ、アイザックを正面から見つめた。

「私、思いつきましたわ!」

 それからこぶしをにぎり、自信満々に言い放つ。

「脅しにせいじゆうが使われているなら、その聖獣を私がぶっ飛ばしてしまえばいいんです!!」

「──すまない、今なんて?」

 アイザックが信じられないものを見る目でコーデリアを見た。

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広報部出身の悪役令嬢ですが、無表情な王子が「君を手放したくない」と言い出しました 宮之みやこ/角川ビーンズ文庫 @beans

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