14話 「すまない、待たせたね」


「おそいぞロンジー!」

「あ、ユクシーさん! またまたどこに行っちゃってたのかしら!」

「…………」


 ――変わらない。

 何も、変わらない。


「すまない、待たせたね」

「あーえーと、し、仕方ないだろ、魔女教とか……色々、いたんだから……」


 ははは、と。

 たぶん、温度のこもっていない笑い声をあげながら――ぼくたち、ぼくとユクシーさんがやってきたのは、それは奇しくも……という程でもないが、最初にぼくと彼女たちが出会った時と似た雰囲気を持つ、そんな路地裏だった。

 それなりに入り組んでおり、周囲に人の気配はない。目抜き通りからいくらか離れているが、それでも時々子供の高い声や通行人の笑い声が聞こえてくる……ここは、そんな一角だった。


「……? どうしたの二人とも。早く行きましょう!」

「向こうの街角で美味い食い物をぶつけ合うイベントをやっとるらしいぞ。ま、われは興味ないのだがな――」

「お、おお…………」


 ――セレオルタとタミハが反対側の路地に抜けようとしている。ぼくは、それに追いすがるように彼女たちに近づこうとして、歩み寄っていこうとする。

 このまま、また……この暗い路地裏を抜けたら、明るい場所に……元の時間に戻るような、そんな気がしたから。もしそれが叶うなら、そっちの方がいいんじゃないかって、ぼくはそう思ってしまっていたから。


「---」


 ――でも。


「ユクシーさん……?」

「待つんだ、ロンジ君。行くんじゃない」

「…………」


 ――ぼくの肩には暖かな手が置かれていた。

 それは、つい先ほど、魔女教たちを一刀に伏したとは思えない、しなやかで、柔らかい……女性の手だった。普段なら、ぼくだってそれだけで少しドキドキしてしまったんだろうけど――


「? どうしたのユクシーさん!」

「なーにをしてるのだ。はやこい!」

「…………」


 ぼくらの様子に気付いて二人が立ち止まる。

 ああ、せめて、このまま二人ともどこかへ行ってしまえばいいって……この期に及んでも、心の片隅でおもってる、そんな自分がいて……そんな自分に、ぼくは少しだけ驚いた。

 彼女たちと過ごした短い時間が、ぼく自身に少しだけ、何らかの影響を与えている……そんな予感。


「……少し、待ってくれたまえ」

「…………」


 そう言って、ぼくを一歩後ろに下がらせるユクシーさん。彼女は、なんのことはないように肩にかけていた麻袋を、おもむろに地面に下ろして、そして中をかき回すように……がさがさ、と。紙と紙が擦れるような、そんな音が路地裏にこだましていた。

 一体。何をしているんだろう――と、セレオルタとタミハはこちらを見ている。セレオルタといえば片眉を上げて腕を組んで。タミハは微笑んだまま小首を傾げていた。

 なにをしているのか知らないけど、早く祭りに行きましょうよ! とでも言いたげな、そんな仕草。そんなはやる気持ちが、ありありと分かるような、そんな仕草で――


「私は趣味で自警活動をしていてね。そのツテで、こんなものを手に入れたんだ。なに、最初はほんのわずかな既視感でしかなかったものだったんだが――」

「……?」

「何……なんなのだ、なにをしておる、ユクシー」


 そして、麻袋の中に入れられたユクシーさんの手が止まる。そして、それがゆっくりと引き抜かれる……中から出てきたのは、音だけならば、特に予想も裏切らない……数枚の紙束だった。数枚を束と言っていいのか否か、それは頼りなく風に吹かれて、そのうちの一枚をユクシーさんはぼくに手渡す。


「……、これは……」


 ――見れば。そこには、先日ぼくが戦って、さきほどユクシーさんが……切り伏せた、そんな男の顔写真が一番上には印刷されていて。


「ファイク・ザオ…………」

「――魔女教の幹部の資料だね。呪いのかかった銃を所持しており、犯罪歴は数えきれない。いくつかの村から略奪、殺戮、強姦の被害報告が……中には滅んでしまって報告すらできなかった村もいくつかあった。まあいわゆる悪人というやつだ」

「……あいつ……」


 こんなとんでもない奴だったのか。

 いや、分かってはいたけれど――、ぼくは、自分の認識をもう少し改めるべきかもしれない。今ぼくは魔女化で自分が強くなっているから勘違いしているけれど……、本当に、危なく、紙一重の戦いだった、ということを……でも、それすらも、もはや……なんて。


「ふん、われを狙う奴らがクズなどという事は分かり切っておったこと。中でも魔女教どもはどうしようもないバカなのだ」

「…………」


 そこに異論はない。でも、彼らは危険だった。

 危険な馬鹿は、怖い。

 何よりも、怖い……怖かった、と言うべきだろうか。


「――ロンジ君、見て欲しいのは……この男のやってきた悪行の数々ではないんだ」

「え……」


 セレオルタの言葉を無視するように。

 そう言って、それはどこか……遠くを見るように。しかし目の前のぼくの持っている紙の、一番右上の一点を指さして、ユクシーさんは言った。


「ここの日付だよ」

「……?」


 なんだ、八の月の……


「……………………」


 ――言葉が。


  足に根が張ったように、とか。凍り付いたように、とか。そういう比喩は――表現をよく聞くことがあるけれど。

 これは――これは、そんな陳腐な表現も超越する様な。

 ともすれば、ぼく以外の世界が……ほんの少しだけ停滞してしまったかのような。静寂がおとずれてしまったかのような、そんな錯覚。


「え……あ、れ………………?」


 目をこする。

 こすっても、確かにそれは、印刷は変わらない。

 なんで。

 どうしてだ。

 どうなってる、これは。

 ――現実に、ぼくの思考が追い付かない。

 見間違いじゃないのに。

 自分の目を、今度こそ信じられない。だって、それはあり得ない事だったから。


「なんで――」

「日付は。これは、大戦が終わった直後の時代にまとめられた資料なんだよ」

「―――」


「つまり、いいかいロンジ君、君が戦って倒した。そして私がもう一度切り伏せた。あの魔女教徒たちは……このザオと言う男は」


 

 一昔前……――


 ――と。

 すらすらと。


 逡巡する事もなく、ただ事実を羅列するかのように、淀むことなく。下手をすれば吐き捨てるかのようにユクシーさんが言った。彼女の視線はぼくの方を見てはいない、資料の方も見ていない。ただ、セレオルタの方を向いて――それは、今まで感じたことがなかった、そんな感情を湛えていて。

 それは敵意――よりも手前にある、侮蔑。


「説明を願おうか、魔女」


 軽蔑だった。


「……ちょ、っと…………」

「ん?」


 ――ぼくは、ぼくはユクシーさんが持っている他の資料を……もつれるように、ひったくるように、奪い取る。そして、馬鹿みたいに……それこそ、犬が餌に……そんなポジティブなものではきっとなかったけれど。がっつくように、舐めるように資料に目を通していく。目を通すといっても……顔写真と、右上の日付を確認していくだけだったけれど。


「…………!」


 魔女教徒たちの他にもよく見知った――魔女狩り、ユーグルさんの顔を見つけた。日付は同じく260年前の八の月……


「これは、この資料は…………」

「共和国軍のものだよ。私のツテで国立資料保管室から取り寄せてもらった。あはは、室といっても大きな図書館のような施設なんだがね……あそこには、建国以来のほぼすべての記録が残されているらしいよ」

「……」

「そこにね、魔女教と魔女狩りの項目がある。言うまでもなく、彼らは謎の多い、特定の国家の管理下にある組織じゃない――だけれど、このレドワナの特性か、品ぞろえは……資料ぞろえはいい方だったみたいだ。助かったよ、結果として最短で真実を知れたんだから」

「……真、実…………」


 あなたは――そういうあなたは、何者なんですか、と。

 誰に頼んで、誰がこの資料を持ってきたんですか。

 それに先ほどの剣技――そもそもツテと簡単に言うけれども、国立資料室にアクセスする権限なんて、並大抵の人間が持てるはずがない。持てるとしたら、国防に深く関わる人間か、この国の権力者か、それか――

 そう、ぼくは、二の句を継ごうとした。それは……おそらく、現実逃避なのかもしれない。目の前の現実を直視したくないから、横目で間を持たせるような。そんな、ユクシーさん……彼女の正体を問いただすために、ぼくは口を開いて――


「なにを見てるのかしら! わたしも見たいわ!」

「!」

「待つのじゃ、タミハ!」


 ――ぼくの前に走ってきて、そして屈みこんで、紙の一枚を拾い上げるタミハ。彼女の子リスのような立ち回りに、ぼくは思いがけず言葉が出ない。

 セレオルタだけが、なにかを……現在ぼくたちの間に流れているおかしな空気を感じ取ったのか、タミハを制する声を上げるが、そんなものはまったく気にならないと言うように、


「なになに……たくさん文字が書いてあるわね! でもわたし文字を読むのは得意なのよ、それに――え……」

「…………」


 ――この時、タミハもまた、ピクリと……さきほどのぼくがそうだったように、肩を緊張させて、一瞬停止する。


「え…………え……?」


 続く言葉は意味を持つものではなく、ただの困惑……なぜなら。

 ぼくがさっき止まってしまったのは、それは自分が戦った相手が……250年前の人物として公的な書類に記録されていたからだったけれど。

 タミハが、硬直したのは――


「さらに、この少女……タミハ・シルハナのことも調べた。呪い持ちは、現在多くの国において、確かな実証がある場合において記録として残される。場合によっては確保され、監禁状態に置かれることもある……さらに発展して投獄、終身……死刑のような場合も、呪いの性質によってはありうる」

「…………」


 困惑の色を隠すようなタミハと、ただ、ユクシーさんの言葉を……続く言葉に耳を澄ます事しかできないぼく。

 そしてセレオルタが今どんな表情をしているのか……そちらを見ていないぼくには分からない。

 分からないことだらけだ。


「だから、これもまた幸運……あらゆるものが集まりごった返すレドワナだからこそ、残されていたものだろうが……呪いの……呪い持ちの項目というのも、当然資料室にはあってね。そこに、一人の少女の記録が残されていた。呪いの仮称は『不幸の呪い』……その性質は、自身を中心に不運が積み重なっていく呪い」

「ね、ねえユクシーさん! この、この紙に書いてあるのってわた――」

「――」


 直後、だった。タミハが――彼女が、がくん、と姿勢を崩す。

 膝から崩れ落ちるように、前のめりになって、まるで首を垂れるように、ユクシーさんの目の前で四つん這いになって


「…………」


 最初、何をやっているんだと思った。何もないところで転ぶなんて、それこそ、これまで他人から見る分にはまったく実感がなかった、不幸の呪い、その効果そのものじゃないか――と。

 ぼくはそう思って、彼女に手を差し伸べようとして。


「ロンジくん……痛いの……すごく、足が痛いんだけど……わたし、怪我しちゃったのかしら……」

「…………」


 なんとか。本当にようやっと、という感じで、ぼくに向かって微笑むタミハ。額には汗が玉のように浮かんで――


「あ、足を捻った、のかも――」


 ぼくはそう思って、彼女の肩越しに後ろを見て。


「――」


 そこには、彼女の両足がなかった。


 いや、あるにはあったけれど、タミハの膝の部分から下が……まるで、そういう、出来の悪い木偶人形みたいに、二本の脚が、地面に転がって、そして彼女の脚の断面からはてろてろと、ゆっくりと黒い血が、流れ出てきて――

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