13話 「全員、その場で動くなああああああああああああ!」


「なんで、泣いてるんだよお前…………」

「…………」


 そう言って、手を伸ばす。小さな背たけ。彼女の白髪が彼女の眼を隠していたから。

 頭を撫でるように、それとも、彼女が本当に泣いているのか、今一度確かめるように、ぼくは……彼女の頭に触れようとして、


「…………っ」


 そして、その手をはねのけられて。それは、いつものように力強く、彼女らしいといえば彼女らしい……そんな仕草に一瞬見えてしまったけれど。


「どうしてなのだ、ロンジ……」

「……、え…………」

「われは、倒せと言った。なのに、どうして魔女狩りはまだここにおる。それは、おぬしが、こいつを、この男を殺せなかったからだ。お前の、せいなのだ」

「………………」


 ――なにを、言っているんだろうこの、魔女は。

 彼女が言いそうな、それは傲慢で我儘な言葉の羅列。なのに、ぼくは彼女が何を言っているのか、それが良く分からない。言葉の意味は分かるが、なにか、どうしようもない、不可逆な違和感がぼくの全身を襲っていて。


 それは、完全に壊れてしまった器の様に。


 セレオルタは言葉を続ける。今はもう泣いてはいない、怒り任せに――駄々をこねる子供の様に。


「おぬしが倒し切らんかったからだ、こいつを倒し……殺し切るのだ、二度とわれらを襲えんように。それがおぬしの役目なのだ!」

「……ち、ちがう、セレオルタ……ぼくは、お前とタミハを無事に逃がす。そしてお前に人間に戻してもらうのがぼくの目的だ。お前、なにかが、変だぞ……」

「おぬしは黙ってわれのいう事を聞いておればいいのだ! そうすれば、おぬしは……助かる! だから、はやく、そいつを殺せえええええええええええええええええええ!」

「…………っ」

「なんなんだよ、修羅場カア?」


 ――うざったらしい、とでもいった様子で背後から声が――ユーグルが呟く。そして小さな物音、やつは罰字を構えている。


「セレオルタ……お前、お前は…………」


 ――ダメだ、今何が起こっているのか分かりそうで分からない。なにか、違和感だけが吹き溜まって……それは膨張して暴発寸前のように思えて。

 ぼくは――このまま、ユーグルと戦うべき、なのだろうか。それすらも、もう――


「セレ…………」

「全員、その場で動くなああああああああああああ!」

「!」


 ――ぼくの頭が熱を持つ。訳も分からず、セレオルタとユーグル、どちらを向けばいいのかもわからず。困惑に支配されている。

 その時だった。それは幸か不幸か、まったくもって玉虫色で。

 そんな、待っていたかのようなタイミングで、第三者――ぼくともセレオルタとも、タミハともユクシーさんとも違う。新たな――無骨な男の吠えるような声が響く。場の全てを制圧するような、そんな力のある大声。


「我々はレドワナ共和国軍 第二駐屯軍第一支部ミッターフォルン管轄 私は支部隊長のガロイラード、である!」

「…………ぼ」


 と、ぼくが一言、何を言うかも決めていないけど名乗り返そうと思ったところで、一声発したところで、正確に弓矢が――ぼくの足元を射った。


「動くな、とは口も動かすな、ということだ! これからお前たち全員を拘束する! これは元首の命である! お前たちはこれから第一支部に移送される!」

「…………っ」


 ガロイラード、と名乗った男は――そしてその背後に構える共和国軍の兵士たちは分厚い甲冑をしていてその表情は伺い知れないが……印象としては、高い練度と士気を以て、ぼくたちを拘束しようとしていることは分かる。

 まずい、どの程度相手にぼくらの素性はバレている……どういうつもりでこいつらは、ぼくたちを拘束しようとしている……もしもセレオルタが魔女だとバレているのなら、この世のあらゆる責め苦も生ぬるい目にあって、彼女は殺されるだろう。もちろんぼくも――


「…………ちッ」


 舌打ち。

 ミーロン教徒のユーグルは抵抗の素振りを見せない。相手の数は二十、三十……かなりの戦闘力を持つこの男でも、共和国軍の、おそらく精鋭複数以上を相手にするのは分が悪いと踏んだか……でもぼくなら、ぼくの身体能力なら、この場でセレオルタを掴んで、天井を壊す勢いで大ジャンプ……逃げ切ることも、おそらく可能――だけど。


「…………」


 ――今、セレオルタはなんの反応も示していない。さきほどの悲しみ、怒り……とは正反対の、激情の対局に位置する様な、不気味なほど静かに凪いだ……水面のような、今セレオルタはそんな感情を湛えているように、ぼくの眼には映ってしまって。

 それが不気味で……、なぜ彼女は……さっきの寸劇は一体なんだったのか。

 それがぼくには分からない。それゆえに、今ぼくはどう行動すればいいのか、決めきれない……


「セレッタ! ロンジくん!」

「…………!」


 ――と。

 そう、力を抜こうとした、次の瞬間だった。今度は――共和国軍の兵士たちとは違う方向から、吹き抜けになった建物の二階から、頭上から声が響く。ぼくのことをロンジ「くん」と呼ぶのはいつもの三人の中では、タミハとユクシーさんだけ……そしてすこし舌っ足らずの、この感じは言わずもがな、


「タミハ!」

「―――!」


 ぼくよりも先にセレオルタが反応した。タミハの声に反応して、その表情はいつも通りの彼女……傲慢と自尊に溢れた、しかしどこか綻んだ、彼女といる時だけは楽しそうなセレオルタのいつもの表情に戻っていて。


「二人とも、逃げましょう!」

「うお…………!」


 言った瞬間、辺りを真っ白い煙が覆った。

 煙幕のたぐい、か――そういえば、祭りの露店でタミハがそんな玩具を買っていた気がする。これ、おもちゃってレベルの煙幕じゃないけど――とにかく、動くなら今しかない。

 ぼくは、灰色の世界に突入するまでもなく、まずは目の前のセレオルタを抱きかかえ、そして軽くステップするように二階に飛び上がって、反対の腕にタミハを抱えて――


「きゃああああああ! あはははは!」

「ここから離れるのだ、ロンジっ」

「……分かってるよ!」


 ――最初に彼女たちと出会った時のように、そのまま天井窓をぶち破って、ぼくは、ぼくらは跳躍――天高く、空高く――この場からあまりに迅速な離脱を遂行する。

 行先は……そういえば、ユクシーさんは今どこに――


「――」


 そうして、自由落下が始まる。とりあえず、手近な建物の屋上に――と。


「う、そ……だろ…………」


 ――それは。

 ぼくは、あの店内でのことを、ほんの一瞬だけ、なにか悪夢のような……白昼夢のような何かだと。

 そう思いかけていた……思ってみたかったのかもしれない。

 暗い空間で、何かありもしない恐ろしいものを見たのだと……今、両隣にタミハとセレオルタがいて。こうしている分には、それは最初から何も変わらない……いつも通りがまた、何事もなかったかのように再開してくれるのだと。奇妙なことに、ぼくが……そういうことを疎んで、一刻も早く人間に戻りたがっていたぼくが、それを望んでしまうくらいには、ぼくたちが、同じ時間を共有しすぎたのだと。

 でも――それは、そう思っていたのは、実は、ぼくだけだったのかも……と。そう、思わせるのはそれは必要十分な、


「なんで……あいつらが、いるんだよ」

「ロンジくん、あれ…………!」


 タミハがようやく気付いて眼下を指さす。もちろん分かっている、ぼくの方が随分先に分かっている。

 着地点付近にいるのは、。彼らも、つい先日――昨日だ。ぼくと戦いを繰り広げた、中でも、その中の一人とは、まさに命のやり取りとしか言いようがない、そしてその戦いの果てに確かにぼくが、辛うじて勝利した――


…………」


 ぼくらの着地点には魔女教が待ち構えていた。そしてその中心に立って、銃……すべてを腐らせる呪いを持った銃、呪銃を構えて立っている一人の男。

 短く刈った緑髪に、青い瞳。十一本の縦線が顔に走る、微笑――と銃口をこちらに向けて立っている男――


「ザオ…………」


 ファイク・ザオ。魔女教幹部が、そこには当たり前のように――


「ロンジくん!」

「…………」


 また、セレオルタは喋らない。でも、こいつに何かを聞く時間はもう残されていない。あと数瞬で着地して、おそらく今度こそ戦いが始まってしまう。だからぼくは、


「逃げろ!」

「…………ッ」


 ドン、と。両脇に抱えているセレオルタとタミハを、空中にいるうちに他の場所――眼下に見える街中に置かれた公園の中の小さな湖に向けて押し出すように投げる。

 ぼくの狙いは正確だ。ぼくの視力で確認しても水深は十分。

 セレオルタはともかく、タミハが落ちても怪我はしない、よしんばしても、セレオルタが彼女を守るだろう。

 そう――そう思いつつ、ぼくは魔女教たちの目の前に降り立つ。空中では回避は難しいと、前の戦いでも良く分かっているのに、ザオはぼくを撃たなかった。ぼくが下りてくるのを待ち構えている。

 それは、ザオが……ぼくのことをまだ知らないから。

 ぼくが何か、空中で攻撃を回避する手段を持っているとか、そういう風に警戒したから……つまり、ザオはぼくと戦うのはこれが初めてだと思っている。ザオは記憶喪失? 何で何も覚えていない?


「…………こんにちはあ。魔女様もどきさん。我々魔女教という者なんですけどお」

「……知ってるよ」


 そう、ぼくは予想した。そして実際、ザオもまた、さっきのユーグルの様に……なにも、覚えていなかった。


「う…………」


 吐き気がする、頭がくらくらする。ぼくは何をすれば……どうすれば、ここからどう動けばいい。何が……一体、何が起きてるんだ。


「…………かかって、こいよ」

「お、ヤル気ですねえ」


 ――と。もう考える事が面倒だ。なにもかも捨て置いて、楽になりたい――と、頭痛を誤魔化すように吐き捨てた、目の前の魔女教徒共に吐き捨てた。それに嬉しそうに、銃を構えたザオ。ああいっそ、もうあれに当たってしまおうかな――


「---」


 と。一歩踏み出したと同時に、それは起こる。

 巻き起こる。


「な…………」


 ザオが目を見開いた。そして間を置かず、銃口が……銃が真っ二つに切断されて、銃身が地面に落ちる。

 そしてバタバタと……それは一聞きすると、何か、紙束をいくらか地面に落としてしまったような、そんな含みのない音だったけれど。

 そんな質量のない音と共に魔女教徒たちがぼくの前で倒れていく。

 それは明らかに、命を断ち切られた時特有の、ぷつりと糸が切れたような、気を失っただけとはまた違う、そんな倒れ方で――


「れ、れ…………」

「…………!」


 そして。ご多分に漏れず例に漏れず。その集団の中にいたザオも、目を見開いたまま、姿勢はそのままで、首だけが――胴体から、ぽとりと落ちた。

 余韻すらなく、もはや言葉を発する事もなく、ただ静かに。ザオが死んだという事だけが良く分かる――そんな、


「怪我はないかいロンジ君」

「…………」


 聞きなれた声。それがぼくの正面――魔女教徒たちの死体の山の向こう側から聞こえてくる。

 ここは屋上――そして彼女もまた、ぼくを待っていたかのように壁にもたれかかって。


「ユクシーさん、なんで……」

「いや、君が危ないかと思ったから。勝手に手を出させてもらったんだよ。迷惑だったかな?」

「い…………、え…………」


 ただ、頷くしかぼくは出来ない。それじゃ首肯してしまうことになるみたいだが、細かい齟齬を気にしてはいられなかった。

 迷惑とかそれ以前に、この人は、ぼくが苦戦した魔女教徒たちを不意打ちとはいえ、一太刀、一呼吸のうちに全員……数十人は切り捨ててしまった。

 なんの葛藤もなく数十人を殺して、そして息一つ切らしてはいない。そして、もちろん、彼女はぼくが良く知るユクシーさんその人……橙色の髪と瞳を持つ女剣士で、そして、他の魔女教と魔女狩りとは違うのは、彼女はちゃんとぼくのことを覚えているってことで……


「ユクシーさん、あなたは…………」

「…………」


 やっとそれだけ声が出た。ぼくの目の前にいる人はあのユクシーさんだ。

 さっきまで一緒にロップコーンを食べて笑い合っていた、あの変わり者でタミハと仲がよくて、天然で食い意地が意外と張っているあのユクシーさん……それは間違いない。


 事実、彼女の雰囲気は最初と出会った時と何も変わっていない。

 それが、目の前に死体が……それも彼女がたった今切り捨てた死体の山がなければ、素直にぼくもそう思う事も出来たのだけれど――


「ユクシー、さん……彼らは魔女教で……」

「知っているよ。しかし、ここにいる魔女教徒の何人かは……君が、この緑髪の男と戦っている時に、私が退けた者たち……それは今知った」

「…………?」


 なにか……なにか良く分からないことを言いながら、ユクシーさんが黒ずくめの男のフードをはぎ取った。中にはやはり、というべきか……中身は普通の人間だ。魔女教徒と言えど普通の人間……それが失われたという実感が――


「…………!」

「ふむ…………」


 ――そう思った直後のことだった。いよいよ、と言うべきか。それは奇妙に……しかし必然的に、ぼくたちの目の前で起こった現象。

 たった今切り捨て殺された魔女教徒たち……ザオの遺体が。


「どう、いう…………」

「…………消えていくね」


 ――そう、。まるで砂の様に、塵の様になって、……それはあらかじめ、彼らが生まれた時から決まっていたかのように。

 それは運命だとでも言わんげに。

 彼らの死体が消えていく。消滅していった。それは、どこか……とても見覚えのある、そんな、消え方でしかなくて。


「…………ロンジ君」

「は、い…………」

「君は確かに見たね? 私が切った人間が消滅していった。塵芥の様になって霧散していった。それを、確かにその優れた視力で見たね?」

「……は、い…………」


 確認するように、そう問いかけてくるユクシーさん。

 その表情は……微笑していたけれど。ぼくには、それが何か別の感情を覆い隠しているように見えて仕方なくて。ぼくはただ頷くしかなかった。だって、それはどうしようもなく事実だったから。

 ――まるで、死体が、セレオルタの能力……辺幽によって消し去られたように見えたのは。

 どうしようもなく、確かに目の前で起こったことだったから。


「……さあ、彼女たちのところに行こう。すぐ近くにいるんだろう?」

「…………」

「ロンジ君、案内してほしい」

「……あ、はい……」


 ――ユクシーさんはセレオルタのところに行こうとは言わない。そして、ぼくが歩き出すと……あいつの方向へと一歩進むと、ぼくとほとんど横並び……ほんの少しだけ後ろから一緒に付いてくるユクシーさん。


 案内……案内ってなんだろう。


 もう一回みんなで集まって、集合して……また、レドワナ大祭をみんなで楽しむんだろうか。遊びを再開するんだろうか、なんて。


 そんなありえなさそうなことを何となく思いつつ、ぼくは屋上を後にした。





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