第11話 湯気に巻かれて

一日目の観光を終えた私たちは、宿泊予定だったホテルへと向かった。

山の中に孤島のように反り立つ白い壁に向かって歩く。

すっかりいつもの調子を取り戻し、

取り止めのないことで喧嘩をする若者たちをBGMにチェックインを終える。

空気のおいしさに心までも、紅葉の紅葉こうよう如く、健康色へと移り変わっていった。

部屋に入ると目の前に木々の迫る緑が出迎えてくれる。

すっかり、子供時代のような心持ちの私は、少しばかりベッドのスプリングに身を投げた。

体は軽い。それに伴って心も軽い。

その隣で奥のベッドに身を投げた宮間は、クマが少し消えたように思えた。

少しベタつく体に、ハッとしベッドから立ち上がると、宮間が楽しそうに起き上がりながら言った。

「明海先輩、温泉行きましょ?」

賛成。というと、宮間はピョコりと飛び上がりながら、倒れたスーツケースに屈み込む。

その動作がやっぱり子供っぽくて、幼い妹を見ているような気分になった。

2人して部屋にあった浴衣に、必要なものを揃えて、温泉へと向かう。

有給をわざわざ取ってきたからか、人は随分空いていて、思う存分楽しめそうだ。

暖簾を潜り、脱衣所へ行くと案の定人は少なく、数人いる程度だった。

服を脱ぎ丁寧に畳んでから、申し訳程度にタオルで前を隠し、宮間を先導して、ドアを開き中に入る。

温泉の匂いのする煙に巻かれながら、空いているシャワーで頭や体を洗った。

シャワーを終え、宮間を待ってから一緒に取り敢えず目の前の風呂に浸かる。

あぁ…と声が漏れて、隣の宮間がクスリと笑ったのがわかった。

「あんた今、おばさんぽいとか思ったでしょ?」

少し怒った形をして言うと、彼女はあたふたと慌てて、弁解の言葉を探す。

私の顔を見た途端に揶揄われていたことを理解したらしく、ブスッと膨れて、

夜景を眺め始める。

ある程度に温まるまで、二人で取り留めのない話をしながら、過ごす。

仕事のことや、プライベートのこと、しかし無意識か二人とも恋愛の話には触れずにいた。

温まってから、露天風呂に向かう。この風呂に浸かるまでがとにかく寒い。

足早に露天風呂まで小走りし、ぽちゃんと、遠慮のない音を鳴らして浸かった。

目の前には、オレンジや赤の葉たちが、暗闇の中で異彩を放っている。

ちょうど私たちが入るタイミングで、誰も露天風呂から居なくなっていたのだ。

誰かがいると話しづらいし、ちょうどいいと、私はとにかく言葉を探した。

「宮間はさ、友井のことどう思ってるわけ?」

身構えた割に私から出た言葉は、淡白で、飾りすら付けられていない裸の言葉だった。

面を食らったような顔をした宮間は、ぽちゃりと音を立てて、湯船に沈む。

暫く考えたのちに、拗ねたような顔をして、小さくつぶやいた。

「なんで、そんなこと聞くんですか?」

「…宮間はさ、友井といる時楽しそうだから。そういうのは羨ましいの」

半分本音だった。いつしか、取り繕ってばかりの自分に疲れていた。大人であることに。

そんな毎日が懐かしかった。

宮間は暫く考え込んだ後、不服そうな顔をして、湯船に半分ほど顔を埋める。

ぷはっと、そこから飛び出してきた宮間は、紅葉を目に移して言った。

「楽です。友井といるのは、すごく。何も考えなくていい」

まだ輝きの残る目に、真っ赤な恋を写した彼女は、自分の折りたたんだ脚を抱える。

その瞬間、私は無駄な言葉を口にしていた。

「ここからは、しがないアラサーの独り言なんだけど」

「え?」

思い出される、数々の真っ赤な恋。紛れもない恋。それを思い出す。

枯れてしまった葉は、恋を落として時が進んでいくことの、証明のようで。

湯船に落ちた紅葉の葉が、私のもとに流れてきたのは、まるで嘲笑われている気分だ。

「私は、お節介なの。お母さんみたいなの」

別れる時に言われたのはそんな言葉だった。

女として見れない。恋ができない。お節介で面倒くさい。私の中で蔓延る記憶。

「でも、今の旦那にはそう思われたくなくって。猫かぶってた」

大学の時、本気で好きだった。男。

優しくて、私のことを可愛いと言ってくれた。少しお節介でもいいよ、って。

でも、本気で好きで。嫌われるのは怖くて。

ずっとずっと、猫をかぶり続けた。でも、結婚した後、お互いに猫をかぶっていたとわかった。

愛想を尽かされて、旦那が女の元へ通うようになった。

隠されていた彼の本性を知って、私も私で、彼から離れていった。

「私と彼は、結婚すべきじゃなかった。お互いに恋ではあったけど、それより上にはならなかった。

 お互いの上面ばかりに惹かれた寂しい結婚だった」

彼がもしかしたら、自分を受けいれてくれる。そんな思いを、信じて産んでいたら。

お互いに今頃、もっと素敵な人に会って、心の底から愛し合う人に会えていたかもしれない。

でも、私たちは道を間違えてしまった。

「背伸びして、上面ばかりの恋って。一瞬綺麗なだけで、ただただ悲しいものなの」

過去に取り憑いた私の後悔。時を戻せるのならば、私が私であれる人のそばに居たいと。

そんなふうに願う。

紅葉の中に、映ったのは、私が酔うたびに受け入れてくれるあのバーと、町岡の姿。

例えば、あんな人みたいなね。

ははっと自嘲的に笑うと、宮間は俯いていた。余計なことを口走ったかもしれない。

「ちょっとのぼせたわ。余計なこと言ったね、忘れて」

宮間は、分からないほど小さく頷いて、フラフラと立ち上がる。

こんな思いも、記憶も、湯気に巻かれて消えてしまえ、なんて馬鹿なことを思ったんだった。

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