第弐章 第伍節:冴えわたる勘

 アプリではなく、紙の地図がよっぽど珍しいのか「なんかすごいですね!」と、みことがはしゃいだ。


 その様子を一颯は、ほとほと呆れた様子で小さく溜息を吐いた。



「遊びに来てるんじゃないんだぞ?」



 彼女の言動について一颯はやんわりながらも、しっかりと咎める。

 これがピクニックでもあれば陽気なみことの行動にも目を瞑れようが、生憎と彼らは仕事中である。そして人命に大きく影響を及ぼしかねない以上、一時の気の緩みでさえも許されない。



「す、すいません……」

「……まぁ、元々俺とお前とじゃあ住んでる世界が違うんだ。無理もないって言えばそうかもしれない、だけど……他人はもちろんだが自分の命も危険に晒される、それだけはよく憶えておいてほしい」

「わ、わかりました!」



「よし」と、返した一颯はすぐに意識を地図へと向ける。


「あの、どうして地図なんですか?」と、不思議そうに一颯の隣で覗き込むみこと。



「もちろん、確認するために決まってるだろ?」

「地理についてなら、お前よりも長く生きてる俺の方が上だぞ――調べたいのは地理じゃない」

「え? じゃあ、もしかしてこの丸印が何か関係してるんですか?」



 みことが一颯にそう尋ねたように、地図にはいくつもの小さな赤と青の丸印があった。

 これらが何を意味するかを、当然みことが知る由もないので、一颯に彼女は尋ねた。



「これがわからないようじゃあ、まだまだだな」



 一颯がそう言うと、どうやら馬鹿にされたと彼女はそう感じたのだろう。

 頬をムッとしたみことは、じろりと一颯の方を睨んだまましばし沈黙した。


 どんな回答がくる……? 沈思するみことを前に、一颯は静観に徹した。


 だが、わずか一分というあまりにも短すぎる時間で、みことが出した結論は「……わかりません」と、放棄したことを告げる言葉だった。


 これにはさしもの一颯も心底呆れた顔で「学生なんだからさぁ……」と、みことを咎めた。


 怪異との対峙には単純に物理的な力だけではない、臨機応変さと柔軟な思考も必要不可欠となる。

 そう言う意味では、細川みことは一般人なので後者……知力についてもっと柔軟性を養うべきであると一颯は判断した。剣質も猪突猛進である彼女だが、生き抜くためにはやはり知略をないがしろにはできない。



「だ、だって本当にわからないんですもん」

「これはこれまでに起きた蒼い炎と不気味な怪異が目撃された場所、そして焼死体が発見された場所を記したものだよ。とりあえず何か関連性がないかって思ってつけてたんだよ」

「あ、そう言えば……この公園、確か一颯さんが蒼い炎を見たって場所でしたよね!」

「あぁ、赤が目撃した場所と青は焼死体の発見場所だ。でも、こうしていざ印をつけてみたけども……」



 一颯はそこで口を閉ざした。

 どれだけ印を細かくつけたところで、何か関連性が発見できたわけでもなし。

 こうした努力も実を結ばず、結局調査は相変わらずふりだしのままだった。

 これからどうするべきか。一颯は沈思した。

 いくら自問を繰り返したところで、満足のいく回答がすんなりと出るはずもなし。時間だけがどんどん経過して、とうとう昼前となった一颯とみことは、ひとまずラーメン屋に身を寄せた。どれだけ調査が難航していようとも、人間生きていれば必ず腹が減る。


 腹が減っては戦もできぬ――こじんまりとした店内に昼前でありながら客の姿はほとんどなく、それがこの店の不人気さを物語っているが、一颯は気にすることなく淡々とメニューを注文した。



「私……ラーメンよりも、もっとオシャレな店がよかったんですけど」

「食わせてもらう身で贅沢言うな」

「それだったら私が出しますからもっと違う店行きましょうよ~」

「それこそ駄目だろ。自分よりも年下の相手に奢られるとか、言語道断だ」



 一颯はさっさと支払いを済ませた。


 今月は、あんまり余裕はないな……。外見が高級なのに対してとても寂しい中身に、一颯は小さく溜息を吐いた。


 普段の彼はそう出費の激しい生活はしていないが、今月は細川みことの件が大きく関与している。

 彼女の半身となる打刀は、千子村正せんごむらまさが打った代物だ。

 名工と謳われるだけあって、どれだけ格安であろうと値段は軽く100万は超えるし、怪異用ともなると費用はうんと跳ね上がる。

 それだけの価値があるのだから一颯とて文句の付け所はないのだが、予期せぬ形で痛い出費なのは事実である。

 無駄遣いは当然、今後とも許されない。


「……また業務用スーパーの世話になるか」と、一颯はもそりとそう呟いた。



「一颯さん、早く食べましょうよー私、お腹空いちゃいました……」

「そうだな」



 一颯とみこと、二人は向かい合ってラーメンを口にした。


 ずるずると小気味良く食した一口目で「あんまりおいしくないかも……」と、ぼそっと不満をもらすみことに、一颯は意に介さず無言でラーメンをあっという間に食した。


 そして一言だけ「……そう思う」と、同意した。


 ――続いてのニュースです。昨晩都内にある……。


 BGM代わりのテレビに一颯ははたとそちらに目をやった。

 内容は速報とあるだけに、穏やかさは皆無である。

 またしても都内で焼死体が見つかった。身元はまだ特定されてないものの、一颯にはなんとなく、この時その被害者が誰であるのか、大体の想像がついていた。

 いずれにせよ、新たな犠牲者であることにはなんら変わりなく。いつどこで、犠牲者が出るかわからない現状を一颯は歯がゆく思った。

 焦りだけが彼の胸中でどんどん大きくなっていく。

 ラーメンに悪戦苦闘中であるみことが「ところで一颯さん」と、不意に口を開いた。



「どうかしたのか?」

「この後、どうします? 次はどこを探しますか?」

「そうだな……」



 一颯は改めて地図を机の上に広げた。

 出現場所と焼死体は発見された場所、二つの印をつけたものの解決の糸口と呼ぶにはあまりにも脆弱極まりない。ここから果たして何がわかるというのか、そう幾度となく一颯は自問をするも未だに納得のいく回答が出ないのが現状だ。

 地図とにらめっこをするだけ時間の無駄ということも、彼は重々理解していて、一颯はまだここからヒントが得られないかと凝視した。


「一颯さん、私思うんですけど……」と、みこと。


 ようやく食べ終えた彼女は、水を何度も飲んで口直しをしていた。



「ん? どうしたんだ?」

「あの、これは私の思い付きって言うか、根拠なんて全然ないんですけど……」

「なんでもいい。言ってみてくれ」

「私はまだ見ていないんですけど、一颯さんは見たんですよね?」


 みことの何気ない質問に一颯は「あぁ」と、だけ答えた。


 ほぼ人間の容姿をした怪異というのは、実は結構珍しい。

 人型と呼称されるものは確かにあれど、蒼き炎を見せる怪異は顔さえ除けばほとんど人間のそれと大差ない。

 そして、みことは現在でも怪異の存在を視認できておらず、一颯だけが何故か捉えられた。

 これには何かしらの法則性があるとは思ってはいるものの、真相への到達はまだずっと遥か遠くにある。



「これまで犠牲になった人は、皆その怪異を目撃したから。これまで発見された焼死体がその怪異の仕業だとして、どうして一颯さんだけが何度も遭遇してるのに生きているのか……不思議じゃありません?」

「それは、俺も思ってはいるけど……」

「もし、怪異の目的が魂の捕食なんかじゃなかったとしたら……? だって、私が怪異だったら【衛府人えふびと】の一颯さんは最大の障害になるから真っ先にやっつけにいくと思います。警戒するにしたって、自分だってやられるかもしれないのに何度も現れるのもおかしいですし」

「……お前、すごいな」



 すらすらと流れる言葉は一颯に心地良ささえも与え、みことの考察力に感嘆の声をもらした。 

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