第弐章 第陸節:八百屋お七

「こっち側の人間じゃないのに、よくそれだけ深く考察できたもんだ……正直見直した。ただのエロ大好きな女子高生じゃなかったんだな」

「だから、私はエロくないですってば! ――、話を戻しますけど今回の怪異、私なんだかアレに似てるなぁってだんだん思ってきて……」


「アレ?」と、何故か肝心な部分をもったいぶるみことに、一颯は眉をしかめた。


 みことは、あくまでも数日前までは単なる一般人にすぎなかった。

 怪異に対する知識や経験も、その道のエキスパートである一颯と比較すれば雲泥の差があるのは言うまでもない。

 本来ならば素人の意見など聞くにすら値しないのだが、一颯はみことに期待を寄せていた。



「それで、アレって言うのは?」

「今回の怪異……なんだか、似てません? “八百屋お七”に」

「――、八百屋お七……?」



 一颯ははて、と小首をひねった。


「それって……」と、口にしたところで一颯はそこから先、言葉を紡ぐことはなかった。


 どこかで聞いたことがある、あるのだが詳細についてがまったく思い出せない。

 名前からして日本発祥の何かなのは、あえて確認するまでもなかろう。ただ如何せん、中身がわからなければ意味がない。


 しばし沈思する一颯の前で「教えてほしいですか?」と、したり顔のみことがそう言った。



「……教えてほしいんだけど?」

「じゃあ、それ相応のことしてくれないとなぁ」


「こいつ……!」と、一颯は怒りを顔に露わにした。



 明らかに足元を見ている。それが彼がこれまでにした不適切な発言か扱いか、本人にしかわからないので定かではないが、いずれにしても自分に対する仕返しなのだろうと、一颯は推測した。


 そんなにエロいって言ったのが駄目だったのか? これまでの、細川みことの言動についてはそう思われても致し方ない要素があまりにも多い――とは、あくまでも一颯の主観からくる個人的意見にすぎない。


 とにもかくにも、みことの機嫌を損なわせるような真似だけは、一颯としても避けたいところなので、おずおずと頭を深く下げた。



「……お願いします細川みことさん」

「ん~……ちょっと弱いかなぁ。もう一声ほしいかなぁ」

「ぐっ……ど、どうかわからない私に一つ知恵をお貸しください」


「ん~……よろしい!」と、勝ち誇った笑みをみことは浮かべた。


 当然ながら、頭を上げた際の一颯の顔はお世辞にも穏やかとは言い難い。

 さながらは阿修羅のようである。怒りを微塵にも隠さない彼の形相には、みこともごくりと生唾を飲みこんだ。



「ま、まぁ私ってば寛大な心の持ち主だから? 別に普通にお願いしてくれたらそれでよかったんですけど……」



 そう、必死に弁明するみことだったが、一颯の顔付は未だ険しいままだ。

 鋭く冷たい眼光は猛禽類のそれに等しく、まっすぐとみことの瞳を捉え離さない。

 瞬きすれば最後、眼球はおろか命をも刈り取らんとする気迫の一颯に、みことの瞳にはじんわりと涙が浮かび始めた。


 そこでようやく「これでおあいこだ」と、一颯が告げた途端、彼の身に纏っていた殺伐とした空気が一瞬にして緩和した。



「そ、そんなに本気で怒ることないじゃないですか……」



 そう不満をもらすみことの声は、若干上ずっている。



「お前も意地悪したんだ、俺が逆にしたって文句はないだろ?」



 一颯は鼻で一笑に伏したが、その表情かおはさっきとは打って変わってとても優しい。



「――、話を戻すか。それで、八百屋お七ってなんだ?」

「……江戸時代前期にいたって言われる女性の名前ですよ。八百屋ってあるようにお七は八百屋の娘なんです。ある日、江戸が火事に見舞われてお七とその家族はあるお寺へと避難しました。そこで出会った武士の息子にお七は一目惚れしたんですけど、火が消えれば離れ離れになってしまう。そこでお七はもう一度火事が起こればその武士の息子に会えると思って、自らが放火罪を犯してしまったんです」


 みことの説明に「あぁ、ようやく思い出した」と、一颯は言った。


 八百屋お七――恋をしたうら若き乙女が犯した大罪の物語は、演劇などでも取り上げられている。八百屋お七は、火あぶりという凄惨な結末を迎え創作や娯楽においても彼女の淡い恋が実ることはない。


「でも、どうしてその八百屋お七が出てくるんだ?」と、一颯。


「あくまでも憶測の域ですよ?」と、前振りをした後、みことが静かに口を切った。



「八百屋お七の話は、好きな人ともう一度会いたいって理由じゃないですか。だとしたら蒼い炎は、自分を見てもらうための、えっと……つまりアピールなんじゃないかなって思うんです」

「あれが、アピールだって?」

「だって、一颯さんは未だに生きてるじゃないですか。でも他の人達は皆次の日には焼死体になってる……多分、消防局や一颯さんから幻だって言われで蒼い炎を見るのをやめちゃった・・・・・・・・・・からじゃないのかなって……」



 最後の方は、だんだんと自信がなくなってきたのだろう。ぼそぼそと力ない発言のみことだったが、対照的に一颯の口元は緩んでいた。



「そこまでの考察には俺も行きつかなかった……。お前、実はかなり有能じゃないか?」



 一颯はわしゃわしゃと、みことの頭を撫でた。

 彼の言葉に嘘偽りはなかった。幼い子供にして穢れを知らないならではの柔軟かつ豊かな想像力は、決して侮れるものではない。確証はもちろんない、あくまでこれらは仮説の域を脱しない憶測だ。

 しかし、試してみる価値は十二分にある。一颯はそう確信していた。



「とりあえず、今の俺達には情報が全然ないに等しい状態だ。ここは一つ、お前の案を取り入れてみようと思う」

「あ、あの……自分で言っておいてなんですけど、思い付きですよ?」

「それでもいいんだよ。そうとなったら、今すぐ外に出るぞ――時は金なり、だ」

「は、はい!」



 一颯とみことはラーメン屋を後にした。


 その後ろで「静かに出てけ!」と、店主からの叱責に対して二人はまったく意に介さない。


 適当にひらひらと手を振る態度が余計に相手を刺激して「二度とくるな」と、出禁を仲良くそろって言い渡された。


 それさえも現在いまの一颯とみことには、大した問題ではない。

 とにもかくにも、一颯達は町中を徘徊し続けた。

 これまでの怪異の傾向は、神出鬼没で追跡するのは極めて困難である。

 最初から追う必要などなかった。何故なら怪異は自分からやってくるのだから。



「もし、みことの言葉が本当だったとしたら……」



 一颯は忙しなく視線を動かした。


 そして程なくしてついに「いたぞ!」と、一颯は怪異と対峙した。


「どこにいるんですか?」と、みことの目には、やはり怪異は見えない。



「そこの銅像の前だ。銅像が火だるま状態だぞ、まったく……」



 一颯は蒼き炎の怪異をジッと見据える。

 不敵な微笑みは妖艶だが、七つの赤き目が、否が応にも意識を現実へと連れ戻す。



「さて……ここからどうすればいいのやら」



 時間帯は午後1時をすぎたばかりで、日も高くあるので人の出入りも多い。

 現在、蒼き炎と怪異を視認できるのは大鳥一颯おおとりいぶきのみで、万が一ここで得物を抜こうものなら彼の方が他の犠牲者同様異常者として第三者には映ってしまう。

 どうにかして人気のない場所まで誘い出す、その方法をすでに一颯は考えていた。



「――、みこと。とりあえず俺に合わせてくれないか?」


「え?」と、みこと。彼の言葉の真意がわからないと困惑の感情いろ表情かおに滲ませるみことに、一颯は続けて言葉を紡ぐ。



「あいつは恐らく、俺が意識して見続ける限りずっと同じことを繰り返すだろう。燃やすことで自分に夢中にさせる……だったら、その逆のことをしてやればいい」

「えっと、でもそれって一颯さんが危ないんじゃ……」



 みことは一颯の身を案じたのは、これまでの犠牲者を思ってのことだった。

 怪異から視線を逸らしたことで犠牲者が焼死体となる、これがもし真実だとすれば当然ながら一颯の身にも危険が及ぶ。だが、一颯は「安心しろ」と、不安がるみことにそっと微笑んだ。



「その方が俺としても対処しやすい。とにかく、人気のない場所に移動するぞ――いいか? あいつを意識するな。至ってごく普通の会話をするようにするんだ」

「わ、わかりました。私、頑張ってみます……!」


「よしっ」と、一颯は怪異の前を素通りした。



「しっかし、今日は天気がいいなぁ。まだ時間もあるし、どこか遊びにでもいくか?」

「えっ? 一颯さんがもちろん奢ってくれるんですよね?」

「……まぁ、な」

「じゃあ私、カラオケが行きたいなぁ。ここ最近満足に歌えてないし」

「カラオケか……それじゃあ俺はパスだな。人前で歌ったりするのは、あんまり好きじゃない」

「え~いいじゃないですか。せっかくの機会なんだし親睦会込めて歌いましょうよ」



 何気ない会話のはずなのに、一颯の表情かおは呆れと困惑の感情いろが色濃く滲んでいた。

 あくまでも怪異から意識を外すための演技で、ぎこちなさなどは皆無であるから寧ろ完璧と評価してもいい。

 ただし口調から察するに彼女はこれを演技として認識していない、そんな印象がどうしても拭えない一颯は、またしても危機に瀕した財布事情に頭を心底悩ませた。

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