第参章 第参節:ご新規のお客様一名ご案内

 一颯は基本、自分以外の誰かを家に招いたことがない。

 もてなす気が更々ないのももちろんだが、家とは本来憩いの場である。

 憩いの場にわざわざ客人を招いて乱す必要もあるまい。

 これに基づいて、細川みことは特別に招かれた二人目・・・の客人となる。


 シャワーの音とみことの「ふんふんふーんっと」と、独特なリズムの鼻歌をBGMに、一颯は厨房へと向かった。一人暮らしなので食事はむろん自炊なのは言うまでもない。



「パスタでいいだろ……現役JKなら皆食ってるだろうし」



 慣れた手つきでパスタを作り、いよいよ佳境に入ろうとしたところで「あーさっぱりしたー」と、ほくほく顔のみことが戻ってきた。

 その姿に一颯は「おまっ、何やってるんだ!」と激しく狼狽した。



「きゃっ! あ、あんまりこっち見ないでください一颯さん!」

「見るなって、そんな恰好してる方に問題があるだろうが! お前、俺が貸したズボンの方はどうした!?」



 みことは現在、上はジャージの恰好だが下の方はきれいですらっとした素足を晒している。

 傷一つない、触れればきっと柔らかな肉質だろう素足に一颯としては心臓に大変悪い。

 意識しないよう心掛けてもつい見てしまうのが人間の性というもの。そんなちらちらとした横目に「は、恥ずかしいです……」と、みことは両の内太ももをきゅっと閉じた。彼女の頬がほんのりと赤いのは、見間違いではない。


「恥ずかしいのならズボンさっさと履いてこい!」と、一颯はごくごく正論を唱えた。



「だ、だってズボンぶかぶかですぐずり落ちちゃうし……そ、そっちの方が恥ずかしいです!」

「調整できる紐があっただろうが!」

「あれはあれでお腹が締め付けられてなんだか嫌だったんですよ! そ、それに一颯さんのジャージおっきいからちょうどパ、パンツも隠れてくれるしいいかなぁって……」

「お前な……」と、しばらくして一颯は大きな溜息を吐くと、みことに背を向けた。

「もういい。とりあえず俺は飯を作るから、お前はそこで待ってろ」

「えっ!? 一颯さんご飯作れるんですか!?」と、痛く驚いた様子のみこと。

「当たり前だろ」と、一颯もすぐに返す。



 一人暮らしは別段、今に始まったわけではない。

 最初こそロクでもない……辛うじてすら不可能だったゲテモノしか作れなかった彼でも、何年と台所に立つことで次第に一颯も慣れていった。同様に昨今では動画配信サイトで詳しく、誰でも簡単にできるレシピ公開などとバリエーションもとても豊富だ。

 中でも一颯のお気に入りはパスタ料理で、フライパン一つで何もかも作ってしまう調理法は天才的だと過去一番の衝撃を憶えるほどだった。



「あ、あの一颯さん?」と、不意にみことが口を開いたのは盛り付け段階に入った時のこと。

「どうした?」

「あの……私の足を見て興奮しました?」



 配膳していたパスタを落としそうになった、それぐらいの彼女からの爆弾的発言に


「お前そう言うのマジでやめろって!」と、一颯は狼狽しながらみことを叱責した。



「だ、だって! さっきから一颯さんずっと私の足ばっかり見てるんですもん!」

「そりゃお前の偏見だ! 自意識過剰もここまでくると凄いな本当に!」

「い、言っておきますけどエッチなことは――」

「するか! そう思うんだったらさっさとズボン履け!」

「だから、ぶかぶかで嫌なんですってば!」

「あーもう……」と、一颯はどかっと床に腰を下ろした。



 こいつ、あいつ・・・によく似すぎだろ……! 脳裏にふと浮かんだそのシルエットに、一颯はふっと自嘲気味に小さく笑った。


 それを対面に座るみことがジッと見つめていて、だがわずかに細めた目は友好的とはお世辞にも言い難い。


 明らかに一颯に対して警戒しているみことは「睡眠薬とか、ないですよね……?」とマジマジとパスタを見やった。


「入れるか!?」と、一颯がそう即答するのは無理もあるまい。


 それからも結局、一颯はみことからあらぬ疑惑を持たれたまま、なんとも気が重い夕食を終えた。夕食とはもっと楽しい時間であるはずなのに、そうでなくてはならないと一颯は思っているのに、細川みことがすべてを台無しにした。


 因みに当の本人はというと「なかなかおいしかったですね……86点!」と、勝手に採点までする始末である。


 雨はまだ、ざぁざぁと降り頻ったままだ。


 雨じゃなかったらよかったのに……。今日ばかりはさしもの一颯も雨に対して、すこぶる本気で恨んだ。

 食事も終えた一颯はそのまま自室のベッドにごろりと寝転がった。

 本来は夜からが本格的な活動となるが、雨は時間と共に連れて激しさを増すばかり。

 また今宵は細川みこともいる。

 時刻はもうすぐ午後9時に差し掛かろうとしている。彼女の衣服はようやく乾燥に入ったばかりで、終わる頃にはもっと遅くなるのは明白だ。そうなると一颯は当然彼女の門限について心配するわけで「時間は大丈夫なのか?」と、言う質問に対してみことは静かに首肯した。



「それについては問題ありません」

「何か対策でもしてきてるのか?」

「もちろんです。今日友達の家に泊るって言いましたから」と、自信満々のみことに対して一颯は顔を青くした。

「はっ?」と、素っ頓狂な声をもらした一颯は、みことに怪訝な眼差しを送る。

「お前……どういうつもりだ?」

「だって、調査していたら絶対に予期せぬ事態って起こるじゃないですか? だからもしものために、お母さんには友達の家に泊るって先に言っておきました」

「いや、普通に駄目だろそれ。今すぐ送ってやるから帰れ!」

「でも、このまま帰ったら一颯さんが怪しまれますよ?」

「なんでそうなるんだよ」

「だって、私の服まだ乾いていませんし、それに送るってことは当然一颯さんも同伴するわけですよね? 逆にお父さんに迎えにきてもらうにしても、一颯さんの家にくるわけですよ? そうしたらどうなると思います?」

「なっ……」



 一颯は、みことの言葉に絶句した。

 要約すれば、彼女の言い分を了承しなければ手痛い目に遭うと、みことは暗に一颯を脅迫しているのである。当の本人にその意志がなかったとしても、あらぬ誤解を招くのは目に見えていた。



「うちのお父さん、怒ると怖いですよ?」

「ぐっ……で、でも、お前は本当にそれでいいのか?」



 彼の自室は4LDKなので、突然の宿泊があったとしても特に問題はない。

 人を基本招かない一颯だが、予備の寝具一式もしっかりと常備してある。

 だが、細川みことは未成年者だ。そのようないたいけな少女を異性の家に泊めて果たしてよいものか、一颯の胸中では激しい葛藤が生まれていた。


 夜ももう遅い。安全面を考慮するならば、目の届く位置に置いた方が如何様にも対処できる。

 メリットがあるのは一颯も否めないが、世間体的に大変よろしくないのもまた然り。

 そもそも、彼女は果たしてそれでいいのだろうか。



「みこと、お前はその、あまりにも警戒心というかなんというか……もっと気を付けた方がいいぞ?」



「私だって言う相手ぐらいはちゃんと見極めてます!」と、みことからの怒りの返答に、一颯は思わずたじろいでしまう。



「一颯さん、時々私のことエッチな目で見てきますけど……でも。乱暴したりしない人だって言うのは自信をもって言えます」

「いや、最初の方は完全にお前の想像だからな?」

「――、とにかく! 一颯さんだから私も安心して泊れるって思ったんです!」



 みことのまっすぐな眼差しに、一颯はしばし口を閉ざした。



「……単純にエロいことが好きな女子高生じゃなかったんだな」



 さらりと、前々からあった細川みことの印象について一颯は口にした。

 事あるごとに下話に繋げてきた彼女なのだ、彼がこう思っても無理はなかろう。


 当の本人は「わ、私エロくなんかありません!」と、頑なに否定していた。



「それじゃあ、寝具を用意してくる。お前の部屋はそっちの空き部屋だ、折り畳み式ベッドだけど、今日だけなら問題ないだろ」

「えー天幕付きとかじゃないんですか?」



 こいつの家はめっちゃ金持ちなのか? 天幕付きのベッドなど漫画やアニメでしか見たことがない一颯は、改めて細川みことの家柄について興味を持った。


 【聖オルトリンデ女学院】に通うほどなのだから当然金は、あるのだろう。ごくごく普通の私立高校出身である一颯には、縁もなにもない場所だけに好奇心が少し彼の胸中でじくりと疼いた。


 それはさておき。


「天幕付きのベッドが俺の家にあると思ってるのか?」と、一颯は当たり前のことを彼女に尋ねた。


 彼の認識では、あれはお嬢様だけが使うことを許された超レアリティの高い寝具アイテムというイメージが根底に根付いている。


 もっとも、元より一颯の趣味嗜好に該当しないので、自分のために購入することはまずありえないのだが。



「え、私の家にはあるのに……ないんですか?」と、心底みことは驚いた様子だ。

「お前な……」

「【衛府人えふびと】って危険なお仕事なのに、給料安いんですね。いくらぐらい月もらってるんですか? 後年収は? 福利厚生は? その他の手当てとか――」

「あーもう! 終わりだ終わりだこの話は! ほらガキはさっさと部屋に行って寝た寝た!」

「あ、ちょっと待ってくださいよ一颯さん! 私まだ眠たくないですし、それにもっと一颯さんといろんなことお話ししたいんです!」

「そのお話が給料の話か! いいからとっとと寝ろ! 明日も早いんだからな!」



 一颯がそこまで言ってようやく「はぁ~い……」と、渋々と言った様子でみことが部屋へと戻っていった。


 深い溜息をその場で一つして、一颯も自室へと戻る。

 そのまま彼が床に就くことはない。外回りが終わっても次は中での仕事がある。

 社会人になれば誰しもがこの道を通り、そして地獄を見る書類仕事。

 【衛府人えふびと】とて日々の業務連絡は必須項目であり特に、一颯のように自宅を拠点として活動するならば猶更のこと。

 薄暗い部屋の中でキーボードを軽やかに叩く音だけが静かに奏でられる。

 大鳥一颯おおとりいぶきはいつも、この書類仕事が苦手で「あぁ、うぜぇ」と、愚痴をもらすのはもはや口癖である。刻一刻と時間だけがすぎていく中で、ふと一颯は席を立った。

 閉じられた扉にそっと近づいて、思いっきり開放した先で「あっ」と、間の抜けた顔をしたみことが中へと転がり込むように入ってきた。



「――、何をしてたんだ?」

「いやぁ……」と、目を泳がすみこと。

「……さっさと寝ろと言っただろうが」

「その、一颯さん今何やってるのかなぁって気になっちゃって……あはは……」

「はぁ……今は書類仕事中なんだ。俺ももうすぐしたら寝るから、お前もさっさと寝ろ。仮にも高校生なんだから、あんまり俺を困らせないでくれ」



 一颯に咎められたみことは「は~い」と、すごすごと部屋へと戻った。



「まったくもう、あいつは、どこまで……」



 心底呆れた様子の一颯だったが、その頬は微かに優しく緩んでいた。

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