幕間② 真帆の章

 真帆はふたたび反射で縮こまり、顔から腹部にかけてを両手でガードをする。

 二人が接触する瞬間、再びバチン、と破裂音がした。

 吸血種の拳は確かに真帆の腹をとらえたが、またしても彼女は無傷だった。

「なるほどなァ、俺の拳を受けてもなおお前が無傷である謎が解けたぜ」

 吸血種の男は満足そうに両手を叩いた。

 無言で睨みつける。

「お前、防護魔法を張っているな?」

 真帆は諦めたかのようにため息をついて、「正解だよ」と言った。

 防護魔法。文字通り、体を守る魔法だ。

 防護魔法は地水火風とは別の、無属性の精霊の力を借りる無属性魔法の一種だ。

 瞬間移動も同じ無属性のカテゴリである。

 かつて魔法使いの中には無属性攻撃魔法を使用する者も居たそうだが、真帆はそのような物騒な魔法は習得していない。


 瞬間移動や地属性魔法使用時のように、通常魔法には呪文の詠唱が必要である。

 精霊の力を借りるわけだから当然だ。

 いくら晩ごはんを作ってほしいと思っていても、誰にも何も言わなかったら勝手に出てこないだろう。自分で作れ。

 魔法もそれと同じで、思っているだけでは精霊に意思が伝わらない。

 無詠唱、つまり思念だけで精霊に呼びかけることができる魔法使いは現代には存在していない。

「お前が攻撃を受ける瞬間に反射のように呟いている『』という言葉は、ただのリアクションなんじゃなくて、詠唱なんだな? オレもではうまく使えねェが、魔法は得意だったからよくわかるぜ」

 こっちの世界、という単語が真帆には理解不能だったが、吸血種の答えは自体は完璧だった。

 真帆は肉体に防護壁を張る魔法のみ何度も繰り返し鍛錬を行い、最高速度の詠唱を可能としている。


 


 これはかなりの高等技術であり、真帆が現在使用できる一文字詠唱は、防護壁を張る魔法のみである。

「……防護魔法自体は通用している、んだけどね」

 真帆は小さな声で呟いた。

 これまでのやり取りで、真帆の防護壁が吸血種に効果的であることは分かった。

 しかし、肝心の攻撃手段がなかった。

 土では有効打を加えられず、長い呪文詠唱をしていると詠唱中に光速の攻撃が飛んでくる。

 魔法の世界には一度に借りられる精霊の力は一種類までというルールがあるため、真帆が再度地水火風の魔法を使うためには、もう一度長い呪文を詠唱しなければならない。

 吸血種の男が、その隙を与えてくれるとは思えなかった。

 このままだとじり貧だろう。守備しか回ってこない野球ゲームでどう勝てばいい?

 向こう側に退く意思はない。

 退却と言う言葉が頭を過る。

 しかし、真帆のみが退却することは容易いだろうが、そうした場合取り残された被害者の女性の命が危ない。


 こいつはここで止めなきゃ……


 真帆は覚悟を決めた。多少無理をしてでも詠唱を唱え切る。

 彼女は人差し指を立てて額に当てる。

「『だいだいなる溶鉄ようてつ 紫の手鏡てかがみ 横たわるかんげ』」

 しかし、彼女の詠唱は最後まで続かなかった。

「ッ-」

 真帆の腹に吸血種の右拳がめり込む。

「ひゃはッ、魔法使いは詠唱途中が一番の隙だからなァ!」

 そのまま振り抜かれた拳によって、真帆は十メートル以上先に吹っ飛ばされた。

 最速の一文字詠唱すら間に合わなかった彼女は、防護壁を張ることができず背中から無様に落下する。肺から空気が漏れ、一瞬呼吸が止まった。


 ――全く見えなかった。


 真帆は気が遠のくような痛みを堪え、まとまらない思考を無理やり繋げる。

 今までの攻撃も、攻撃自体を視認できたわけではなかったが、その予備動作を見ることで対策をしていた。

 しかし今回の攻撃には、その予備動作が全くなかったのだ。だから防護壁を張ることができず、もろにダメージを受けてしまったのだ。

 もちろん予備動作がない攻撃だったため、百パーセントの力を乗せきることができなかったのだろう。アスファルトのように真帆が砕け散っていないことがその証拠である。

 しかし、それでもたった一発で真帆は痛みと恐怖を植え付けられた。

「くそっ……やらかした、かな」

 口から血が吐き出される。内臓が傷ついている証拠だった。

 吸血種からの追撃が来ないので、真帆は静かに無属性の回復魔法を詠唱する。

 もしこのまま数時間回復魔法をかけ続けることができれば、傷跡も残らず全快するだろう。

 しかし今は戦闘中で、興奮冷めやらぬ吸血種はゆっくりと真帆の方へ歩を進めている。

「あー、死にたくないな」

 霞む目を擦って、真帆は今日一日を振り返った。

 大学に行って、歓迎イベントに巻き込まれた。

 幼少期から魔法使いとして育てられた彼女にとって、たくさんの同年代と行動を共にするのは人生で初めての経験だった。

 はじめての同期、はじめての観光、はじめての食事会。

 楽しかったなあ。

 真帆は朝田剣のことを思い出す。

 食事会の最中に質問攻めにあっていた真帆を庇ってくれたことは、彼女の中の嬉しい記憶として刻まれている。

 忘れ物をした間抜けなわたしのお願いを快く引き受け、洞窟についてきてくれたこと。

 容赦なくツッコミを入れ、対等な人間として会話をしてくれたこと。

 真帆にとって、そんな当たり前のことがとても幸せなことだった。

 そして同時に心配にもなる。彼は聖剣に選ばれたのだ。これから否応なくの戦いに巻き込まれていくだろう。

 普通の男の子だった彼はそれに耐えられるだろうか。

「……剣くん」

 小さく呟いても何も起こるはずもなく。

 ただゆっくりと歩いてきた吸血種が、目の前で立ち止まった。

「ははッ、楽しかったぜ、女ァ!」

 目をぎらつかせながら彼は乱暴な口調で言った。

 真帆はため息をついて、人生最後の言葉を吐き出す。

「ねえ……君。女性に……向かって、女ァって呼ぶのは、よくないよ……。ネットに書いてた」

「そうかそうか、じゃあな、女ァ!」

 拳が振り上げられる。


 その瞬間。

「いや、むしろネットの人間こそ女ァって呼んでそうだけど!」

 二人の頭上、空中に浮いている朝田剣が、そんな場違いな感想を叫んだ。

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